第10話 昔話
「昔を思い出すな、パパドロス」
薄暗い部屋の中でお互いに向き合って地に座る。月明りがあまり入らない位置に建物があるようで明かりは小さな容器に入れられたろうそくだけが頼りだった。ゆらゆらとうごめく明かり。
「どうした?急にらしくないじゃない」
風が強いのか、良くろうそくの火が揺れる。左右にゆらゆらと…。見ていると眠くなってきそうだ。
「いや、お前がああやって人前で大声を出しているのを見るとな、まだ俺たちの故郷があった時が思い出されるんだ」
故郷。アワヒアだったけ。なんだっけ?ここの支配者は俺のことをそんな風に言っていただろうか。…まぁ、昔は俺も支配者側だったけど。権力もない子供だけど。
「そんな、昔の事を思い出してどうする、ないものはないんだからさ」
「うん、再確認したいんだ、また初心に戻ろうか」
どうしたんだ。アガメムノン。らしくないじゃないか。もっとどっしり構えてくれよ。そんな、言葉を飲み込む。何を言いたいかは理解ができる。この遠征に出口が見えない。だから、それを聞きたいのだろう。
「まず、俺たちの目標はキプロス島の奪取とヒッタイトの海航路の封、そうだろう?いや、そうだったろ?」
「あぁ、確かに俺たちの王はそう言っていたな」
「じゃあ、今、これはなんだ?ヒッタイトを滅ぼす?俺たちが?」
ヒッタイトを滅ぼす事は、はっきり言って無謀だろう。確かに、多くの民族を巻き込んで大きくなった。しかし、それでも単独でつぶすのは無謀としか言いようがない。だが、わかりやすい敵はヒッタイトしか居なかった。敵がいなければ、人はいくら奪われようが確実な明日の為に全てを我慢して生きる。
「そうだ、俺たちでヒッタイトを滅ぼす、奴らの海航路を封鎖したところで住む場所の無くなった俺たちには帰る場所が無い、あの王様のいう事を守って儀に殉ずるだけでは俺たちは野垂れ死ぬ、そして、伝説にも語られない、誰にも語られない人間になるだけ」
窓から風が入ってきて、ろうそくの火が消える。すっかり真っ暗だ。しかし、自分もアガメムノンも何も言いださない。俺はそもそも言い出す気は無かった。
「…そうか、相変わらずだな、お前はすっかり先導者になってたんだよな、身も心もな」
「ははは、先導者ね!喜劇だな!」
昔の生活など無い。過去など無い。しかし、それでも希望を見続けることは可能だろう。だれだって神話になりたいはずだろう。死ねば、エリュシオンに行くと言えば皆死にたがるだろう。
「俺は何も変わってない、いつまでたってもパパドロスだ、それが、たとえ先導者であってもな」
そう言って立ち上がる。手探りで扉を探し、引いて開ける。
「どこ行くんだ?」
「仲間が馬鹿やってないかみてくんだよ」
後ろ手に扉を閉め、吹き抜けになっている広間に出る。部屋に入っていると気づかなかったが。がやがやと声が響き渡っていた。女の声も聞こえる。そこらへんから連れ込んだか。
そういえば、人質はいつ来るんだ。俺たちはここの連中からみればきっと野蛮な怪物だろう。怪物を信用する馬鹿は少ない。そして、ここの王はそんなバカではないだろう。利用しつくす気だろうな。
表から外にでる。真っ暗な森がまっすぐつづいており、はるか後ろに行った随分と遠いところに建物が密集している。いくつかは、明かりが窓からもれていた。
信用されてないのは良いとして、約束を反故にするのは良くないな。宮殿からここまでどれくらいの距離があるのだろうか。確か、砂浜から宮殿まで歩いたとき、そこまで大した距離では無かった。そして、またここまで歩いてきたときもそこまでの距離には感じなかった。
…大した距離じゃないのか。
物を考えながら街並みを眺める。よくよく眺める。少し、上り調子の土地になっているようで、家も土地に合わせてせり上がっていた。その後ろに、家々を超えた後ろに、よくよく見ると…壁。白い壁が見えた。あれは遠くに見えるが…そう考えると随分と大きい壁だ。恐らくは防御壁だろう。
?。つまり、通って来たあの町は壁の中に納まりきらなくなった奴らが作ったもので、もとからあったものじゃないということか?じゃあ、あの町には大して重要な施設は無い?ならば、あの宮殿はなんだった?さほど重要じゃないのか?
…どうやら、この街は思っていたよりも随分と手ごわそうな街じゃないか。まぁ、しかしだ。それとこれとは話が別だ。相手がいかに強そうでも、引き下がるわけにはいかない。約束を反故にされるのは信用の問題だ。人質を要求しに行こう。
まぁ、その人質。本物かどうか…調べる手段は無い。だから、見かけだけのものになるかもしれないが…。
再び、宿の中に入り適当な部屋の扉を開ける。中には、7人の仲間が窮屈そうに横になっていた。
「起きろ!寝る前に一仕事だ!剣と盾を持て!」
海の民~青銅器時代の大略奪~ 蛇いちご @type66
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