第141話

 

「クソ! クソ!」

 

 オスカーの拳はアリエルに掠りもしない。理由として挙げられるのはオスカーが精細さを欠いているからと言うものが考えられるが、なによりも彼と彼女との間にある実力の差が余りにも大きいのだ。

 

「どうして、当たらない!」

 

 顔を狙って放つ拳も、腹に向かって突き入れようとする拳も全てが見切られてしまう。

 

「……あの時、私はあなたを信じきってたんです。仲間だって」

 

 だが。

 今は違うのだ。明確に敵対し、オスカーは確実にアリエルを殺しにきている。

 

「仲間……? オレはお前を家族だなんて認めていない!」

 

 家族ならばこれほどに憎く思うことなどあるわけがない。

 

「お前は! 他の奴らとは違う!」

 

 本来であれば彼女は幸せを知らずに生きていく運命を背負っていたのだ。だというのに彼女は幸せになっていた。

 

「人間じゃないからっ! お前は利用されるだけ利用されて! 殺されて! 不幸になってくれたなら……」

 

 ここまでお前を憎いとは思わなかった。

 

 彼は心の中で呟く。

 どうしても彼女と自らを比べてしまう。

 幸せになれた怪物と幸せになれなかった人間。

 どこに違いがあったのか。何に差があったのか。

 

「でも、お前は幸せだったと言ったんだ。だから……だから、オレは。この手で、お前を殺したくて殺したくて、仕方がないんだ」

 

 ホルスターから銃を引き抜いて銃口を彼女の胸の辺りに向ける。

 引き金を引くことに躊躇いは必要か。

 彼女には銃はない。

 リーチとしてはオスカーが確実に有利だ。

 

「やっぱり……辛かったんですよね」

 

 本当の所は、きっと。

 聖女の様に微笑む彼女にオスカーはたじろいでしまう。

 

「止めろ……!」

 

 辛かった。

 苦しかった。

 そんな感情をあのワンシーンに当て嵌められてしまったなら、彼は思い出してしまうから。

 気持ち良かったはずだ。

 どうして。

 何が快楽を刺激した。

 だって。

 地獄から解放された様な気がしたのだから。泣き笑いしてナイフを突き立て、苦しい世界から逃げられたはずだった。

 

「違う! そんなのは間違いだ!」

 

 だが認めてしまえば、今まで積み重ねてきた愛に嘘を吐く事になる。

 何の為に『牙』を殺したのか。

 疑問が自らの脳内を埋め尽くして今まで見えていたはずの道が突然に消えてしまう。彼の中で愛と言う物が揺れ始めている。

 

「アリエル!」

 

 銃をしっかりと握りなおし、アリエルに向ける。彼女の存在を否定する為に。自らの愛を肯定する為に。

 痛みは愛だ。

 今までこれを信じて生きてきたのだ。

 そう考えれば両親を殺した事に、両親が残したモノで答えられると思った。

 

「フッ!」

 

 懐にアリエルが飛び込んでくる。

 銃を撃とうにも間に合わない。

 

「ぐっ……!」

 

 銃を握る右手を力強く右足で蹴り上げられる。ジンジンと痺れた感覚にグリップを手放してしまう。

 アリエルの攻撃が続く事を理解して、オスカーは近づいた彼女の顔に左の拳を叩き込もうとする。

 

「……たァッ!!」

 

 アリエルの身体が深く左斜めに沈み込み、次の瞬間には飛ぶ様に跳ね上がり、オスカーの下顎に左のアッパーカットを叩き込んでいた。

 

「がっ……ふ……っぅ。はぁ、クソ……がァ!」

 

 よろよろと仰け反りながらも彼は倒れない。銃を落としてしまった今、条件はアリエルと変わらない。

 だから、オスカーは身に染みて理解する。


「怪物、が……」


 正面に見据えるアリエルの異常な強さを。

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