第140話

 ずっと昔に立つ自分の気持ちをオスカーは理解できない。

 あの日、血に濡れた自分はどんな思いで両親にナイフを突き立てたのか。泣き叫ぶ彼らに何を思ったのか。

 映画のワンシーンの様に脳にこびりついた古い記憶はどこか他人事だ。ただ強烈な印象が脳に残るだけ。

 劇場で画面を見る様にオスカーには想像でしか物を見ることはできなくなった。だから語るにしても感情は宿らず、まるで他の誰かの出来事の様になってしまう。

 

「…………」

 

 分からない。

 何度思い出しても殺したシーンだけは鮮明に。だが感情だけが分からない。

 ただ、愛だけだったと。

 

「愛」

 

 そう、愛だ。

 彼らを殺したのはこれが愛なのだと思ったからに他ならない。オスカーにとって害する事が愛なのだと。

 思い込んでいる。

 

「…………」

 

 アリエルがゆっくりと立ち上がる。

 

「アリエル……お前は分かっていない」

 

 渦巻く怒りも殺意も彼女にぶつけてしまえば良い。もう誰もオスカーを止めないのだから。

 

「単なる怪物なんだ、お前は。だからお前には家族なんていない」

 

 人の手により生み出されたアリエルと言う存在に無償の愛を授ける者などいる筈がない。こんな化け物を愛するなど気が狂っている。

 

「父親も母親も、いる筈がない」

「嫉妬ですか」

 

 彼女にこの言葉を吐かれるのは二度目だ。

 認められない。

 

「お前にっ! 何でオレが嫉妬するんだ! あり得ないだろ!! 家族のいたオレがっ! 家族のいない、タダの化け物のお前に……お前なんかに!!!!」

 

 実際、オスカーがアリエルを否定する為の材料は彼女が人工的に生み出されたミカエルのクローンであると言う点しか存在しない。クローンならば家族を持てる筈がないという憶測による否定だ。

 オスカーの言葉は子供の暴論に他ならない。

 

「私は……ユージン・アガターの娘として生きてきた。美味しいご飯を食べたり、クロエおばさんと一緒に遊んだり。それが幸せだったんです」

 

 アリエルの目は真っ直ぐにオスカーを見つめる。真剣な面持ちで、彼女の言葉に嘘はないのだとわかる。

 分かってしまうのだ。

 

「何で……何でお前が……」

 

 ホロリとオスカーの口からは言葉が漏れる。

 

「……化け物のお前が」

 

 嫉妬だ。

 腹わたの煮え繰り返るほどの怒りが噴き出し、歯噛みをしながらに小さな声を出した。

 

「幸せだったんだよ」

 

 感情がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられる。

 嫉妬が、怒りが、殺意がオスカーの身体を突き動かす。目の前の全てを否定しようと。引き裂こうと破壊衝動に駆られてアリエルに向かって走り出す。

 

「──あ、あああああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!」

 

 オスカーが真っ直ぐに右の拳を放つ。

 アリエルは避ける素振りなど見せずに左の頬に大人しく彼の拳を食らって倒れる。

 

「はあっ……はっ、はっ」

 

 オスカーの攻撃を受けたのはアリエルが彼に同情したから。口の中の血を吐き出しながらアリエルは立ち上がる。

 

「オスカー……副団長」

 

 彼女から憐憫の眼差しが向けられる。

 

「ふざけるな……」

 

 彼女の行為がより一層にオスカーの心を掻き乱すのだ。

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