第106話

 戦争。

 朝日が上っていく世界の中、青空は土埃によってぼやけ、血の天気雨が降り注ぐ。

 鳴り響く銃声は、絶叫は、喩えるのなら雷鳴か。

 終わりの見えない殺し合い。隠す必要のない殺人現場。

 始まりは何だったか。


「入るぞ、アサド」


 扉を叩き、泥レンガの屋内へとカイスは足を踏み入れた。


「ああ、カイスか……。経過はどうだ」


 窓辺に座るガラベーヤに身を包んだ髭を生やした男は今しがた、部屋の中に入り込んできたカイスの顔を覗く様に見上げた。


「それにしても……汚いな」


 カイスの姿はお世辞にも綺麗なものとは言えない。砂埃に塗れ、頬も茶色に染まっている。とは言え、戦地に居たのだから仕方があるまい。


「経過は良好だろう。アスタゴも攻めあぐねている。何より、敵の鎧は一つ落とした」


 鎧。

 つまりは『牙』の事だ。彼らにとって異質な存在として認識しており、まず間違いなく最も警戒すべき敵だ。


「……そうか。この戦争は粘り勝つ物だ」


 攻め込まれている以上は、粘り勝ち敵の戦力を削っていく。こちらとしても痛手を負うことになるのは目を瞑る他ない。


「急いてはならない。我々の命運が掛かっている。慎重に、臆病に……だ」


 ならば、なぜテロを起こしたのか。

 慎重であったのなら、臆病になるのであったなら、そもそもテロリズムなど行わないはずだ。


「このチャンスを逃してはならない」


 アダーラの民が戦うのは今、この瞬間なのだとアサドは考えたのだ。何年も前から、燻っていた戦意。それは、武器を与えられた瞬間に具現化した。

 武器が無いのなら、助力しよう。

 方法が無いのなら、与えよう。


「ワタシは楽園を望む」


 迷う必要はなかった。


「……それよりも、だ。カイス、アーキルは見つかったか?」


 まずは目の前の事から処理していこう。


「いや」


 見つけられなかった。


「そうか」


 カイスの答えに不満を覚えた様子ではない。


「見つけたのであれば殺せ。奴の思想はこの先の毒だ」


 アダーラの平和、楽園を築く為には邪魔にしかならない物だ。なにせ、この戦争の主導は過激派により押し進められた物であり、穏健派であるアーキルとは決定的なまでに法典への理解が決裂しているのだから。


「ワタシ達のアダーラ正義こそが本物だ」

「……了解した」


 返答は簡素な物。アサドが疑う様な目をぶつけて来るものの、カイスは気にした素振りを見せない。


「まさか、情が残っているのか?」


 アサドの質問に答える事もなくカイスは部屋を出てしまった。


「フン。情など──」


 あるものか。

 内から湧き上がる感情は愛でも友情でもない。ただ、嫌悪する。

 卓越した能力を持ち神の子と崇められながら、現状の打開を求めなかったアーキルを。

 自分であったのなら。

 などと妄想に浸り、余計に感情を害される。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る