第105話

「アーサー……」


 病院への入院が決まった彼の側で魂が抜け落ちた様な顔をして、アイリスは名前を呼び指先を静かに握り込んだ。


「アイリスさん。そろそろ、時間ですので」


 眠りについたままのアーサーは手術後に目を覚ますことはなかった。弾丸は腹を貫通した様で、一命は取り留めた。

 けれど。


「もっと早く……来てれば」


 余りにも『牙』が来るのが、あの忌まわしい女が駆け付けるのが遅すぎたのだ。などとアイリスは湧き上がる怨恨を止めることはない。考えるだけで頭が沸騰してしまいそうだ。

 そうだ。


「あの、クソ売女ビッチが……!」


 気に食わない。

 何もかもが、嫌いだ。

 シミ一つとしてない顔の美しさも、汚点を敢えて探そうとしなければ指摘できない程の性格の良さも。全部が男に好かれる為だろう、分かっている。あの時から何も変わっていない。

 気持ち悪い。

 アーサーに取り入りやがって。

 ムカムカとしたものをアイリスは言葉として吐き出した。口の中で、周りには極力響かぬ様に。


「クソ、クソクソクソクソクソクソッ! クソ!!!! お前はっ! 私の前から! 消した筈なのにっ!」


 あの女さえいなければ、あの事件には巻き込まれなかった。もっと平和に生きていられた。気に入らない。助けられていない。あんな女が誰かを助けるわけが無い。

 アイリスは現実を、事実を否定していく。

 病院の外に出て、八つ当たり気味に大きな木を蹴り飛ばした。ジンジンと痛む足を抱え込んで、蹲り、涙目になってしまう。


「犯罪者の癖に!」


 自分の生徒に手を出した、淫乱教師。教育者の風上にもおけぬ屑。生徒との淫行の証拠をでっち上げ、圧力をかけて追い出した。


「ヘラヘラしやがって……!」


 許せない。

 どうせ、笑っている。

 幸せそうに生きている。アーサーに感謝されたことを噛み締めているのだ。その言葉の向く先は自分だけでいいのに。

 邪魔だ。

 死ねばいい。

 そうしたら、きっともう二度と顔も見る事も、この世のどこかで巡り会う可能性もない。


 アイリスの酷く理不尽な思い込みを、誰かが窘める訳でもなく。湧き上がってくる殺意は段々と盛り上がっていく。

 守ってくれたのだとは思わない。

 思えるわけが無い。

 自分の抱く憎悪は簡単に変わるものでは無いと、心の奥底が凝り固まってしまっているから。

 

「本当に──」

 

 バイアスが掛かっている。

 嫌いという先入観がアイリスの、全ての判断を濁していく。

 

「──気持ち悪い」

 

 正義を気取った悪人が。

 彼女は自らの悪意を客観視など出来ない。アーサーの前でも見せることはない。アーサーに相応しい綺麗な自分を演じているのだから。

 心底、吐き気がする。

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