第83話

 彼は金が欲しかったのだ。

 よくある話。

 彼は学生時代から裕福な生活に憧れていたが、どうにも自分には単純明快な出世の道がない事にも気がついていた。


 父は誰かも分からない。

 母は男を憎んでいた。

 理由はわからない。ただ、そうである事を受け入れて、ありのままの現実に生きるしかないのだと思っていた。

 彼の母は赤髪の彼を嫌っていた。

 あの男を思い出すからと。

 暴力を振るい、育児放棄。

 金はない。


 盗みも汚い商売も生きていくためには仕方がないだろう。警察の世話になった事もある。

 仕事は見つからない。

 当たり前の日常はもうどこにも無い。

 だとしても、きっと金があれば変えられると思ったのだ。


「ああっ、クソ……! 何でいつもいつも上手く行かないのかねぇ」


 悪態を吐いて自らに銃を向けてくる黒色の仮面のヒーローを見る。

 分かってはいるのだ。

 自分が悪であり、相手に正当性があると言う事も。銃撃事件を起こすように仕事を任されたのも彼には理由は良く分かっていないが、碌な理由もないだろうという推測程度は立てられる。


「これは……アレだ。俺の人生ってのが裏側にあるからか?」


 肩を負傷したオリバーも走り回って飛んでくる銃弾を避けては、応戦するようにトリガーを弾く。

 血を垂らしながらも一定以上の動きが出来ているのは『牙』のお陰なのだろう。

 

 ヒュンッ!

 

 耳元で音が響くと同時に痛みと熱さを覚える。


「痛っづぅうあああぁぁぁあああ!!」


 当たったのは弾丸の半径分。

 耳の軟骨を抉り、削り飛ばした。

 月が欠けるように、耳が欠けた。ドポドポと血が垂れ落ちる。ピアス穴というには余りにも大きすぎる。


「あ、ひぃっ……痛ぅっ……」


 耳の損傷、音を上手く聞き取れない。

 慣れない痛みだ。

 彼自体、痛みに慣れるような経験をしてきた覚えもない。


「痛てぇ、痛てぇなぁ、チクショウ……」


 苦悶で顔を歪めながらも彼は銃を握り込む。

 死ぬつもりはない。


「でも、雇われてんだ。金の分の信頼には応えないと、な」


 真面な労働環境で働いた試しがないからなのか。彼にとって途中で投げ出す事も、適当にやるという考えもない。

 少しでも世間に、社会に慣れているのなら手の抜き方の一つでも知っていたのだろう。

 新たにマガジンに弾を装填する。


「ヒーローってのは良いよな……。報われる人生だ」


 誰かから応援される事もある。

 誰かから期待される事もある。

 希望なのだ、ヒーローと言うモノは。


「羨ましい限りだよ、アンタが」


 正しい生き方を選べたオリバーに彼は羨ましさを感じている。

 距離が近くなっている。痛みに慣れるまでの合間に詰められたのか。


「俺にも分けて欲しいくらいだ、その幸せってのを。……汚ねぇことしなくてもいい人生ってのをっ、よォ!」


 正しく、善を為すだけでも生きていられる人間は報われている。綺麗事を話せば理解してくれる人々に囲まれているなど、余りにも幸せだ。

 言論に価値はなく。

 誕生を望まれず。

 生きるには罪を重ねねばならぬと。

 全くもって彼とは正反対。

 認識はそんな物。

 けれど。


「俺の人生を勝手にわかった気になってんじゃねぇ!!」


 オリバーの人生は彼の思い描く理想などとは程遠い。

 正義が何かも、自らが正しいのかも悩みもがく日々だ。あの日かけられた言葉に背かぬように生きてきたのだ。


 しるべは一つしかない。

 オリバーは爆発的な加速で少しずつ縮めていた距離を更に詰め、パワードスーツによって筋力を底上げされた右腕で銃を握る男の腕を弾き上げた。

 ビリビリと男の右手首の辺りに痺れるような感覚が走る。骨は折れていない。


「ぐっ!」


 不味い。

 腕を弾きあげられた事でがら空きになった腹に拳が突き刺さる。これまた威力抜群。胃の中の物が込み上げてくる。思わず銃を握る手が緩んで取り落としてしまう。


「げ、ほっ……うぁっ」


 声も出せない程に苦しい。

 必死に銃に手を伸ばそうとするが、気がついたオリバーが右足で軽く蹴り飛ばしてしまう。


「抵抗は止めろ」

「…………」


 口の端から垂れる唾をそのままに、男は自らを見下ろすオリバーを見上げる。


「……俺だって汚いことやってきたんだよ。それでも綺麗でいなきゃならなくなったんだ」


 突然、語り始めたオリバーに疑念を抱きながらも痛みの余り言葉を出す事もできない。

 赤髪の男の茶色の目は何を言っているのだと尋ねているようにオリバーには見えた。


「──悪いね、独り言だよ」


 ただ、決めつけを否定したかっただけ。

 さて、この件は終わりだ。

 左肩の痛みに右手を当てて抑えながら、通信をオスカーに繋げる。


「副団長、鎮圧終了しました」

『ああ、分かっている。見ていたからな』

「見ていた?」


 辺りを見回そうとすると離れた場所から銃声が鳴り響いた。次の瞬間、ドサリと倒れる音がすぐ横から聞こえる。

 頭を撃ち抜かれている。

 確実に生きていない。


「……ご苦労だな、オリバー」


 手には先程の赤髪の男が持っていた銃を握り込んでいる。ただ、煙が上がるのは彼の持つ『牙』専用装備の銃口からだ。


「な、何で……殺したんですか」

「仕方ないだろ?」


 銃をパワードスーツに取り付けたホルスターに収める。


「何が……!」


 仕方ないと言うのか。

 叫ぶ声で続けようとすると、次に先程拾い上げたであろう銃口がオリバーに向けられた。


「オリバー。お前は銃撃事件で相手に撃たれて死亡する……。良いだろ?」


 オスカーの目蓋が開く。

 仮面の下に隠れているからか、オリバーには見えない。しかし、確信を抱くには充分だ。

 間違いない。

 この男は裏切り者であると、今更になって確信するのだ。

 遅すぎた。

 人の通らない街の中で、発砲音がこだまする。


「──オレは救援に向かうが間に合わず、部下のオリバーを殺した犯人を撃った」


 こんなシナリオだ。

 誰も聞いてなど居ないのだろうが。


「こんなもんか……。やっぱりアリエルとマルコを殺したかったが」


 満たされることのない家族愛という名の殺人欲。マルコはやはり自身の手で殺してしまいたかった。

 オスカーを苛立たせるアリエルも。

 自らの内に燃え上がる、欲望と感情をオスカーはより強く感じていた。


「……代わり、か」


 夕日は少しずつ落ちていく。

 街に転がる二つの死体は赤色の水溜りを作り出す。

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