第69話
「寄越せ、か……」
言葉一つからでも読み取れる情報はある。
銃口を向けられながらもユージンの思考は巡る。
「お前、コイツが欲しいんだな」
エンジェルを自らの前に抱きかかえてオスカーに問う。
ユージンの声色は確信に満ちている。
「だよなぁ。ほら、撃てよ。絶対にエンジェルに当てない自信があるならよ」
ニタニタとどこか意地の悪い様な笑みを浮かべて自らとクロエの盾にする様にエンジェルを抱えて見せる。
平時であれば、と言うよりも人質に取られる者がエンジェルでさえ無ければオスカーは躊躇うこともなく引き金を引いていた。
だが、今回ばかりは事情が違う。
「撃てよ!」
ビリビリとユージンの声が響いた。
態とらしく足音を鳴らしてユージンは近づく。的は大きくなっていると言うのに緊張と不安が張り詰める。
銃口はエンジェルの柔らかな胸元に触れ。
「あ……」
撃てない。
完全に塞がれた。
「判断も何も、こうなった時点で選べねぇだろ? 言葉ってのは慎重に選べよ」
エンジェルを後ろにいるクロエに放り投げ、高速で銃を奪い取り床に落として横に蹴り飛ばす。
銃を奪われた瞬間にオスカーは激痛に顔を歪めた。
耐えられない痛みではない。
指先の骨が、人差し指と中指の骨を折られた。指は曲がらないはずの方向に曲がってしまっている。
「ここで死ね、ゴキブリ野郎」
次の瞬間、顔面に鋭い拳がめり込んだ。
血を垂れ流し通路まで吹き飛んで、彼は立ち上がれない。
「死ん、だの?」
ユージンの後ろに重たそうにエンジェルを抱えながら歩み寄ってきたクロエが尋ねる。
「どうだろうな。どうせ死んでなくても気絶してりゃここで死ぬだろ」
それは誰の目から見ても明らかな事だ。
「気にするだけの時間はねぇ。そろそろお前も辛くなってくる頃だろ?」
火災発生から大凡二十分程だろうか。熱い、息が苦しい。当たり前の反応だ。切羽詰まっていた事で感覚として忘れかけていた。
「お前に死なれると困るんだよ」
クロエを左脇に、エンジェルを右脇に抱えてユージンは走り出す。
「待って! 他の人が!」
「諦めろ。助ける時間なんてねぇ」
今、優先すべきはクロエの命とエンジェルの命。
「ケインさんとカティアさんが……それにボブに、アマンダ、クラークも」
この研究所が完全に焼け落ちるまで直ぐだ。このままここに居ても死ぬのを待つだけ。クロエの呼吸も苦しそうで。
「げほっ、ごほっ……」
「耐えろよ。直ぐに抜けるぞ」
来た道を戻って、炎を飛び越える。
爆破された道も障害になる様な要素はまず見当たらない。
警報は変わらずに鳴り続けている。
「ふぅ……」
二人を抱えながらユージンは外へと出た。
夜の空には星が煌めく。
煙の上がる研究施設の炎は外からも分かるほどに燃え上がっていく。
未だに目を覚まさないエンジェルを脇に抱えたままクロエを地面に下ろした。
「けほっ、げほっ、かはっ……」
外に出たからと言って一瞬で症状が軽くなると言う訳ではない。咳き込みは止まらない。
「おい、エンジェルはどこに連れてけばいいんだよ」
「……近くに誰にも言ってない私の持ち家がある、こほっ、ごっほ……そこに」
一先ずはそこに避難し、後から遠くに逃げる算段だったのだ。幸いな事に彼女には資金で悩む様な事はない。
「おら、行くぞ」
クロエの左腕を持ち上げて無理矢理立たせる。
「きゅ、休憩は?」
「アホか。誘拐犯に悠長に休憩する時間なんてねぇよ」
燃え上がる研究所を背中に歩き始める。やけに明るい夜だと、不謹慎にも思ってしまう。
「ゲホッ……しくじった……」
悪態を吐きながら、痛む体に鞭を打ち先程よりも熱くなった研究所の通路をフラフラと歩く黒ずくめの姿。
目が覚めたのは三分前。
「チッ……」
指の骨。
だけではないだろう。頭蓋骨にも皹が入っているかもしれない。身体全身が痛みを訴えている。
口の端と鼻からは血が垂れる。
「何なんだよ、アレは……」
まるで分からない。
あんな化け物がアスタゴに居るとは思ってもみなかった。英雄と呼ばれた『悪魔』アイザックは死に、最強の兵士と呼ばれる筈であったミカエルももう居ない。
だと言うのに。
「はあ……はあっ」
大量の汗をかきながら、オスカーは漸くの事で外に出る。
「動か、ないな……クソッタレが」
身体が限界を迎えていたのか、澄み渡った夜空に背を向ける様に彼は倒れ意識を失った。
月は彼を見下ろし嗤っていた。
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