第64話
「クローンの誘拐ね……。犯罪……っても言えねぇか。そもそもでクローン製造自体が犯罪なんだからな」
親権を誰が持つか。
彼らが、研究施設がエンジェルの所有権をおいそれと主張することはできないだろう。当たり前だ。存在そのものが禁忌である筈の存在だ。
「まあ、計画っつっても道具もねぇからな。適当に研究所に入り込んで……ってのでいいか」
そもそもユージン自体が計画などを立てるような人間でもない。
「あの、バカ女。どうせ俺にそこまで期待してねぇだろ。見え見えだっての……」
空になった食器を見てから窓の外に目を遣る。時刻は昼過ぎ。
「……ほんじゃ、まあ。今夜にでもやるか」
こういった手合いのことは陽が沈んでからが好ましい。奇襲は夜にと言うものだ。前時代的とも思えるかもしれないが、夜が人の手が薄くなるのが基本だ。
「上手く行けば良いんだけどな……」
経験上、あまり宜しくないことが起きるような気もする。ユージン自体、勘というものに頼るのはどうかと思うが、存外馬鹿に出来ないものだ。
「にしても……ミカエルか」
苦々しげな顔をしながらユージンは立ち上がりツカツカと歩いて扉に向かう。扉を開いてから外に出て小さく息を吐いた。
「散々言われたもんだ」
ミカエルの代わりになることを求めるが、我々は君の命はどうでも良いと思っている、と。
思い出すだけでもどうしてか笑いが込み上げてくる。
捕虜として捕らえ、兵士として活用して役に立たなくなったらポイだ。
「ここでも尻拭いってか」
戦争の終わり、彼の人生はミカエルという死者に振り回され続ける事となったのだ。
「まあ、仕方ねぇか」
そう言う生き方になってしまうのも。
あの時にミカエル・ホワイトを殺したことを阿賀野は後悔していない。まず間違いなく、あの時に乗り越えるべき壁だったと認識しているから。
「そう言う生き方選んだのも、多分俺だ」
誰が悪い。
誰も悪くない。
強いて言うなれば、これは彼の運命だったと。
「にしても……平和だな」
街の中を歩けば世界はどこまでも幸せそうに見えて、命の危機などありそうにも見えなくて。
「…………」
どちらが正義であったのか。
答えは出そうにない。けれども歴史が進むのなら、きっと間違いのない方向だった筈だ。
「はっ……」
ザリ、と地面を踏みしめて歩いていく。
ポケットの中に先程クロエから渡された紙を握りしめて。
「おっ……と」
突然物陰からユージンの目の前に人が飛び出て来て、お互いの肩がぶつかり相手が倒れた。
「あー、悪い悪い」
倒れた黒髪の男は驚いたように真っ黒な瞳を見開いてユージンの顔を見ていた。
「お? どうした?」
「何でもない」
即座に男は立ち上がると服についた汚れをパッパと払ってさっさと歩き去ってしまった。
「……あの野郎。結構やるな」
流石にミカエルにも自身にも及ばないが。
一般人、ではないだろう。
「軍人か? あのレベルはあんま見ねぇけど」
かなりの実力がある。
筋肉量からしても、相当に鍛え込まれていることは一瞬の接触からでも分かった。
「ん、ここは……教会か?」
結構歩いたようで足元に十字の影が差すのが見えて、視線を上に向けると巨大な十字架が聳えていた。
「ガキが多い……」
教会の外にちらほらと子供の姿が見えて、一人の牧師がユージンに気がついたのか駆け寄ってきた。
黒人、茶色の髪。
「カルロス……か?」
「アガノ……」
久しぶりに会う知り合い、と言うにはカルロスは剣呑な雰囲気を醸す。
単なる知り合いではない。
「久しぶりだな。ここで牧師やってたのか?」
ユージンは懐かしい顔を見たと思いながら話しかけるがカルロスは警戒しているような態度を一向に解く気配がない。
「悪いな。そういやそうだ。お前、俺のこと嫌いだったか」
「……生きていたのか」
何とも言えない顔をしながらカルロスが言うと、ユージンの口から笑うような息が漏れた。
「ああ。あん時に生かしてもらったからな」
「……私の判断じゃない」
殺せた筈なのに。
許せなかったのだ、カルロスには。アスタゴの利益になるとしても。仲間を殺したこの男が生きていると言うことが。牧師になった今でも、こうして目の前に現れるまで死んではくれないものかと願っていた。
「お前を捕虜とすることは私の判断ではなかった……!」
「……じゃあな、カルロス。あんまおっかない顔すんなよ。子供が泣くぞ」
望まれていない。
この場にいるべきではない。ユージンも理解できている。直ぐに顔を見せないように背中を向ける。
カルロスも引き止めようとはしない。
「…………っ」
恨みがましそうな顔を、カルロスは歯を食いしばって必死に押さえつける。
命を否定することなど牧師となったカルロスに出来ずに、彼は祈りを送る。
幸福を。
カルロスの顔は複雑でどす黒い感情を噛み殺しているような。悲しげで、怒りを孕んでいて。子供達が今まで見たカルロスのどんな顔よりも、恐ろしかった。
祈りを捧げる者のする顔つきとは、到底言えないものであった。
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