第63話
「ケイン……どうしたの?」
主任室を出たケインの顔はどこか晴れないような面持ちで、妻であり主任補佐でもあるカティアもどこか不安気な顔を見せる。
「あ、いや……。そうだな、これは皆んなに伝えなければならないか……」
あまり良い気分とは言えない。
それは研究者として。或いは僅かに残っていた人倫を尊重するような心からか。
神妙な顔付きのままケインは廊下を歩いて行き、研究室の扉を開く。巨大な液に満たされた筒の中に天使は眠る。
多くのコードが繋がり、常に監視されている。
「皆んな、居るだろうか?」
研究室の中にケインの声が響いた。
「……クロエのやつ、どこ行ったんだ?」
「さあ?」
一人の研究員の言葉に何人かの研究員たちが近くを見回すが、クロエと思しき姿は見当たらない。
「……彼女には僕から後で伝えておこうか」
仕方ない。
今いる者たちに取り敢えずは伝えておくべきだ。
「誠に残念なことだが、本日でこの計画、Project:Aは永久凍結とする」
彼の宣言と同時に研究室を動揺が支配した。
「君たちの気持ちもよく分かる。だが、出資者たちもこれ以上の出資をするつもりはないとの事だ。速やかな凍結とエンジェルの処理を望んでいる」
プロジェクトチームである彼らは結局の所は金をもらって研究をしていただけの仕事人に過ぎない。なによりもクライアントの意見が大切であったことから、研究を続けたいなどという発言は許されていなかったのだ。
「すみませーん! ただいま戻りました!」
慌てたような様子で額に汗を浮かべ、黒髪の女性は研究室に入るや否や膝に手を付き「はあはあ」と肩で息をする。
前屈みの姿勢に僅かに胸元が見える。
「クロエ……。皆には話したが……」
苦虫を噛み潰したような顔をしてケインが先ほど話したことをもう一度、今度は目の前の一人に向けて話そうとする。
「大丈夫、クロエちゃん?」
「あ、ありがとうございます、カティアさん」
カティアは白衣のポケットから取り出した花柄の薄桃色のハンカチでケインの額の汗を拭う。
「……それでだな、クロエ。実験は──」
「凍、結ですね?」
息はまだ完全には整っていなかったのか。それでも答えは知っていたようだ。先程までクロエがユージンと話していたのはあくまで可能性の高い推測の話であったのだが、間違いではなかったようだ。
もちろん、クロエ自身推測が外れているとも思っていなかったが。
「あ、ああ」
「ヴォーリァとの戦争も終結に向かいつつありますからね……」
「理解が早くて助かるよ」
「まあ、私天才ですから」
クロエがニヘラと笑う。きっと何人もの若い男を虜にしてきたのだろうと思えるほどに魅力的な女性だ。
「天才か……」
「そんな真剣に受け止めないでくださいよ」
冗談のつもりだったと言うのに。
「いや、君は天才だ。僕もそう思うよ」
白衣のポケットに両手を入れたままのケインは微笑みを浮かべた。それが面白くなかったのだろうか、すすすとカティアはケインの背後に立って脇腹を抓る。
「いっ……!?」
「ヘラヘラしない……」
「ご、ごめん! カティア!」
「…………ふん」
拗ねたようなカティアにご機嫌を取るように話しかけるケイン。
「終わりか……」
なんとも寂しいような。
「エンジェル……」
眠る少女を見て。
「大丈夫だからね」
クロエは実験動物も見殺しにはしたくないのだから。人の姿をしたエンジェルを彼女は当然の様に、殺すことは出来ないのだ。
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