第59話
八年前。
アスタゴ某所。
ある家に四人の家族が住んでいた。
研究職の父と母は忙しく、家に帰るというのも中々出来ないが、それでも人並みの愛を、もしかすればそれ以上の愛を娘たちに注いでいた。
「あれ、お父さん、お母さん?」
既に着替えを終え、家を出ようとした二人の背中に声がかかった。朝も早いと言うのに。
「起きたのか、ミア」
十六歳の娘のミアは目を覚ましたのか眠気眼を擦りながら手摺りを頼りに階段を降りてくる。
「……仕事?」
「ああ。暫く帰ってこれないかもしれない。前からの仕事がいよいよって所でね」
日が上り始めた早朝、罰の悪そうな顔をして父が告げるとミアも慣れているのか「ふーん」と興味なさげに務めた。
「ミア、お留守番宜しくね」
母も不安を覚えているのか眉を八の字にして言い聞かせてくる。
「大丈夫だよ」
少しばかりの鬱陶しさを覚えながら、溜息混じりに答えれば。
「そう。リビアの事も宜しくね。ご飯はちゃんと食べるのよ? それとお金はテーブルの上に置いておいたから」
「うん、わかったって」
しつこいな、と言う様に顔を横にふいと背ければ父も母も苦笑い。
「じゃあ、行こうか」
「そうね」
夫婦が顔を見合わせてから、同時にミアに顔を向ける。
「ミア、行ってきます」
大きな手が優しくミアの頭を撫でて、次の瞬間にはさっと離れてしまう。この頭を撫でられるという感覚は嫌いではない。寧ろミアは好きだ。だからといって十六歳にもなってせがむ程、彼女は幼くもない。
物寂しい様な気持ちも押し殺して。
「いってらっしゃい……」
両親を見送り寂しげな声を掛けた。
まだ静かな朝。
妹は起きていない。
「大丈夫かしら……」
薄水色の年季の入った車に乗り込んで助手席に座った茶髪の女性が茶色の目を家の扉の方へと向ける。
「相変わらずカティアは心配性だな」
ハンドルを握り込んだ彼が失笑しながらエンジンを始動させる。
「ケイン……」
「大丈夫だって、僕たちの娘だ。他の子に負けないくらい賢いんだよ」
彼の言葉に自信を持てたのか、カティアはクスリと笑って頬にキスをした。
「……唐突だなぁ」
四十を過ぎた今でも間違いなくケインはカティアを愛していて、カティアもケインを愛している。
だから。
「仕返しだ」
と揶揄う様に言ってキスを返す、唇に。
子供の様な優しいキスではなく、大人の濃厚な深いフレンチキスを。
これから暫く研究所に篭りっきりになる。その分の愛の補充という物だ。
唇を離して目を合わせる。
カティアの茶色の目に映るのは黒髪青目のケインだけだ。
「帰ったら家族みんなでどこかに出掛けない?」
「そうだな。テーマパークとかどうかな?」
楽しげな会話と共に車が車道に出る。
幸せが続くことだけを考えて花を咲かせる彼らには、終わりなど考えも付かなかっただろう。
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