第60話

 数十年に及ぶ、長い長い戦いを生き延びた怪物。人の姿をした鋼。

 アスタゴ市民の多くは彼の名前を知らない。英雄として彼の名前がアスタゴの大陸に伝えられる事はなかった。


「……いや、だからどうしろってんだよ」


 囚われ、戦役奴隷のような扱いで戦場を駆け抜けた数十年。血を見ない日の方が珍しい、濃密な狂気の世界で生きてきた彼に平穏な日常は似合わない。


「パスポートもねぇし」


 突然に放り出された彼は御役御免と言うようなアスタゴの態度に納得の行かない点も少なくなかった。戦っただけの報酬などない。生きているのだからそれ以上何を望むのかと言いたげな態度。


「俺の戸籍もねぇだろ……」


 パスポートの作り方といってもアスタゴの金も無ければ、そもそも故郷である陽の国の住所に関する資料もない。


「眩しいな……」


 手のひらで太陽をすかして見る。

 土煙の中、血の臭いに鼻がひん曲がりそうな場所に長年生きれば、明るい世界というものに中々慣れそうもない。


「とりあえず、稼げる所探すか……」


 目的は決まった。

 さてと。

 と、足を動かし始めた。目的は金を稼ぎ陽の国へと戻ること。


「四島の野郎、くたばってねえだろうな」


 そんな簡単に死ぬタマでもないか。

 クツクツと笑って。


「このまんまだと俺のが先にくたばるか」


 ゆっくりと歩き始める。

 

 

 

「はあ!? 雇えないよ!」


 ベンチで項垂れる。

 これで二十件目。

 どうにも身分が保証されない、空白の数十年が余計に悪印象を与えるようだ。


「ぷー太郎かよ……」


 金髪の彼は空と同じ青色の瞳を眩しい空に向けて、睨みつける。


「…………」


 子供たちの騒ぐ声が聞こえて来た。

 陽気なものだ。気分が悪いものではない。ここは公園らしい。


「大丈夫ですか?」

「……んあ? 問題ねぇよ」


 ベンチの隣に座り込んだ黒髪の若い女にふと視線を向ける。


「あ、ども。こう見えて研究者なんです」

「こう見えても何も白衣着てんじゃねぇか」

「医者の可能性もありますけど?」


 そうかい。

 とても興味が無い様に視線を女性から外した。


「私はクロエって言います」

「俺は阿賀野……いや、ユージン・アガターだ」


 この名前はアスタゴの国で呼びにくいと言われ他の兵士たちに勝手に決められた名前だ。彼自身には特に思い入れもない。


「普段は何してるんですか?」

「普段……な」


 何もしていない。

 いや、何かをしていたとしてもきっと研究者の彼女に自慢できる様なことではないだろう。


「何にも」

「何にも?」

「ああ。だからやる事探してんだ。金が稼ぎたい。パスポートが欲しい」


 その希望が。


「えーと、陽の国に帰りたいんですか?」

「別に帰りたいとかって話でも無くてな。単純に帰んなきゃならねぇんだよ。死なねえって約束しちまったし」

「そうですか」


 見えない。

 空は太陽が照らして、希望に満ち溢れている様に見える。ただ、ユージンには前が見えない。


「なら、私のお手伝いしませんか?」

「手伝い?」

「そうです。例えば、──人命救助、とか」


 企むような顔をして人差し指を立てて、小さな声で話を始めた。


「実はですね、あまり大きい声で言えないんですが……クローン兵士の研究が進んでまして」

「クローン?」


 人間が人間を生み出す、神の真似事。ユージンも全くの無知というわけではない。


「まあ、詳しい話は貴方が私のお手伝いという仕事を引き受けるかどうかで──」

「仕事は選ばねえよ。選んでられねえしな」


 何とも軽い返事だ。

 だとしても彼の言葉に嘘はない。


「……の前に、飯奢ってくれ」


 気の抜けるような腹の音が響いた。

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