最終話

 陽の国では昼程の時刻。太陽は南の空に昇っていた。ただ、僅かに雲が、その太陽を隠してしまっている。

 病室に入った四島は呼吸器を取り付けられた妹の沙奈の姿を目にした。

 帰ってきたのだと、理解して。


「ただ、いま……」


 お帰りと返っては来ない。

 ピッ、ピッと沙奈の眠る横にある、ベッドサイドモニターの音が響く。

 逃げてきてしまったことの罪悪感を、眠る妹に向けて話し始めた。


「…………。俺は、逃げて来たんだ……。お前に、会いたくて、死にたく、ないって思って……。なあ……、そんな兄ちゃんでも、良いのかな。俺なんかが兄貴なんて言って良いのかな……」


 一人で一方的に語りながら、妹の手を両手でギュッと握りしめていた。

 彼の握る手は温もりを求める様にも見える。


「分かんないよな……。今でも不安で不安で仕方がないんだ。自分のせいで誰かが死んでいるかもしれないって考えたら……。ごめんな。こんな話ばかりで、ごめんな、沙奈……」


 悲痛の声で後悔を口にして、何の意味があるというのか。相槌も何もない。こんな話を聞かされたところで困惑するだけだろう。

 沙奈の病気はまだ治っていない。今だって起き上がることは出来ない。

 それだと言うのにこんなにも暗い話しか、四島にはする事は出来なかったのだ。


「竹倉……」

「うん?」


 話を終えたのか、四島はスクリと立ち上がり、竹倉の名前を呼んだ。


「帰ろう……」

「良いのか?」


 確認をすると、少しばかり名残惜しそうな表情をしながらも四島は今、出来ることはないと考えたのか、


「ああ」


 と、短く返事をした。

 四島が病室を後にすると、竹倉もその背中を追いかけて病室を出て、扉を閉めた。





 それから幾日か経って、陽の国の平穏が崩れていった。アスタゴが陽の国の南方にある島へと上陸を開始したのだ。

 何人の人間が殺されただろう。

 タイタンが陽の国の南に位置する島に上陸した。

 タイタンは中栄国で無双の活躍をしたリーゼを彷彿とさせるほどの殺戮をもたらした事だろう。

 惨状の程は分からないが、地獄の様な光景が広がっていたはずだ。


『一刻も早く降伏せねば、タイタンを陽の国本土へ向けて出撃させ、お前たちの国の民を殺して回る』


 脅迫のような降伏勧告がアスタゴより送られた。

 対抗するための戦力である、リーゼを失った陽の国には、もはや打つ手がなく、この降伏勧告を聞き入れることとなった。

 それで良かったのだろう。これ以上の犠牲を陽の国の人々は求めてなどいなかった。

 こうして、敗戦国となった陽の国は連合国軍に支配されることとなる。

 歴史のページが捲られていく。

 戦争終結から半年程。

 無事に沙奈の手術が行われ、回復の兆しが見えた。


 大戦終結、間もなく。

 アスタゴ合衆国を中心とした西側諸国と、ヴォーリァ連邦を中心とした東側諸国の長く冷たい戦争が幕を上げた。

 そんな中、彼の妹は長いリハビリを終えて、二年も経てば元の様な生活を行うことができる様になっていた。

 冷たい争いの中で起きた、戦争の幾つかが陽の国の経済を活発にさせる要因ともなっていく。


 四島は黙祷を捧げる。年を経るたびに、毎年の様に。

 誰にとって、その祈りは重たくあったのか。家族を失った者もいた。友を失った者もいたはずだ。

 そして、戦争から逃げ出した彼にとっても、その苦しみは重たいものであった。


「阿賀野……」


 彼は無事だろうか。

 彼の平穏を四島は知ることが出来ずに、ただ日々は流れていく。無事を祈ることしかできずに、彼の心に重たい罪がのしかかる。

 生存を知ることが出来たらどれほど良かったのだろうか。

 それを知ることが出来たら、どれほど救われただろうか。


 更に時を経て。

 一年、二年、三年と。

 いや、もっとだろうか。

 年齢を重ね、大人になった彼は、少しずつ変わり始めている陽の国の中で、戦争から逃げ出したと言う罪を背負いながらも、この世界を生きていくと決めたのだ。

 大人になれなかった彼らの為にも。


 あの日から一度も、四島はかつての仲間であった者に会うことが出来ていなかった。それは教官でさえもだ。

 誰が生きていて、誰が死んでしまったのかなど、四島にはもう分からない。


「──おはようございます! 四島せんせぇ!」


 彼の暗い思考を切り裂く様に、朗らかな声が聞こえた。

 幼い少年の明るい声に、四島はゆっくりと振り返った。

 笑う少年の顔が見えた。

 世界は一人の悩みなど関係なく、前へ、前へと歩ませていく。


 未来を描き続けていく。

 そして、平和な時代に埋もれて、いつか戦争の恐ろしさなど、まるで無くなったかのような世界が再びやってくるかもしれない。

 校門の前に立つ彼は、ニッコリと笑って挨拶を返した。


「……ああ、おはよう」


 風が心地よく吹く晴天の空の下、色とりどりのランドセルを背負って、緑色の葉をつけた木々の下を通り、楽しそうに学校に通う子供達の姿は、四島にとって一つの平和の象徴で、妹と同じ、生きる理由であるかのように思えた。




 第一部・完





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