第110話

 骨が砕ける。

 止まらない。

 血が溢れる。

 止まらない。


 限界を超えて、彼らは激突を繰り返す。

 拳が当たり、足が当たり、体を壊していく。的確に、骨を砕く。


「はぁっ、はぁっ……」


 痛みの果て。

 途切れ途切れの息を吐きながらミカエルと阿賀野はお互いを見る。


「ハハっ、……はぁっ、はっ」


 ミカエルは、とうの昔に痛みなど忘れたかのようで、笑みを湛えて戦場に立っていた。

 燃え上がる闘志に体が追いつかない。蓄積されたダメージが体を不自由にする。歯を食いしばって、奥歯を強く噛み合わせ、痛みに顔を歪めながらも、阿賀野が走った。

 汗のように血は滴る。


「あぁぁああっ!」


 腹の奥底から叫ぶ。轟く猛獣のような咆哮。力が湧き上がる。まだ、止まらない。阿賀野は止まることなどできない。

 最強。

 それが目の前にある。

 掴めそうな位置にある。あと、数歩の所まで来た。なら、立ち止まり、諦めるのは余りにも愚かだ。

 無理をするのは今だ。


「はハっ、ハハハ、ははははっ!」


 どこまでも、悦楽に浸って。最高の終わりを求めるなら、ここで走り、迎え撃たなければ無駄になってしまう。

 動かなければならないという事をミカエルは理解していた。

 二人の体は肉迫する。

 修羅が如き男と、猛獣のような男の姿。どうしてか、神話をそこに幻視する。

 原始的で、暴力的で、余りにも野蛮。

 愚かだなどと、人々は言うのかもしれない。それでも、彼らは求めるものへの熱に浮かされていく事に対する疑問はなかった。


「あああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」


 阿賀野の拳が振われる。

 ミカエルの拳が振われる。

 互いの拳が同時に互いの腹に突き刺さる。逆流しそうな血液混じりの胃液を堪えて、次の攻撃へ。

 攻撃に移ろうとした、その瞬間にミカエルの身体がガクリと膝から折れるようにバランスを崩した。


 何故。

 どうして。

 まだ。


『終わって────』


 失った血液があまりにも多すぎた。限界を超えた身体の躍動があまりにも異常だった。痛みはまだ知らない。

 それでも溢れ出る脳内麻薬に歯止めはなくとも、身体が本当の限界に到達してしまった。


「あ」


 漏れたのはたった一つの声。息が多分に混じった、その声はどんな感情があったのか。敗北を目の当たりにした悔しさだったのだろうか。

 阿賀野は容赦なく左手で、地面に叩きつける様に殴り付けた。


「がっ、……はっ」

 

 ドン!

 

 と、ミカエルの身体は地面に叩きつけられる。彼が浮かべた顔は複雑な笑顔だった。未知の感覚を知った喜びと、敗北をすると言うことの悔しさの混じった言いようのない表情。

 だが、地面に叩きつけられたミカエルの表情など阿賀野には関係ない。


「あぁ、悔しいなぁ……」


 初めての感覚が、ミカエルの心を満たしてしまう。


「そうかよ」


 躊躇いもなく、阿賀野は倒れ伏しているミカエルの頭蓋を踏み砕いた。

 ダラリと阿賀野の腕が下がる。

 空には朝日が輝く。建造の隙間から日の光が差して、それは勝者を祝福するスポットライトの様に阿賀野を照らした。


「俺が……」


 限界だったのか、思わず膝をついてしまう。目の前にいるミカエルは既に息をしていない。完全に死んでいる。


「俺が、最強だぁああああああっ!!」


 最強の証明は果たされた。

 異国の言語の大声が、アスタゴ合衆国の街中まちなかに響いた。倒れた幾つもの巨神の残骸に囲まれて、彼は最強の余韻に浸っていた。

 だが、彼の勝利の余韻も直ぐに終わる。


「何だよ……」


 巨大な影が阿賀野を覆い、太陽の光を遮ってしまったから。


「……もっと浸らせろよ」


 文句を言いながら振り返り、見上げると、四十メートルを超える巨大な人型、紅い巨神がそこに立っている。

 タイタンは、阿賀野に向けて右手に持っていたハルバードの鋒を突きつけた。

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