第108話

 拳を交わせば相手のことが分かるなどと言うこともある。

 それは果たして本当だろうか。

 阿賀野とミカエルにある感情など殺意がほとんどだ。相手のことを理解したいとも思っていない。


 相手のことを分かりたいと思わなければ、拳を交わした所で全ては無意味な話だろう。

 ぶつかる拳が脳を揺らし、突き刺さる足が骨を鳴らす。

 血を吐きながら、彼らは暴力をぶつけ合っていく。


「チッ……」

「アハァ……ァ」


 阿賀野は口元から垂れる血を左腕で拭う。笑う猛獣に、対応し、再び構える。痛みのせいか、腕が上がらない。

 それは興奮した様なミカエルも同じで、傷だらけの身体に鞭を打ち、立ち続けている。


「ぜらぁっ……!」


 握りしめた阿賀野の左手は胸を抉り抜こうと高速で放たれる。


「……っ」


 阿賀野の拳はミカエルの右腕によって押さえ込まれてしまう。


「あははっ!」


 阿賀野が左腕を下げるも間に合わない。すぐ近くにミカエルの拳が迫っている。それは阿賀野の横顔に向けて勢いよく振るわれた。

 ズゥン、と鈍器で殴られたかの様な重たさが襲い、脳を揺さぶられたかの様に阿賀野の視界がグラグラと揺れる。

 だが、終わらない。


「っあ!」


 阿賀野が右腕を横から振るって、ミカエルの顔を殴り飛ばす。


「ア、ハハ……。終わんないよ。終わらせないよ。まだ、絶対に。永遠に続けばいい。この時間は、俺の心を救うんだから………」


 血で顔を濡らしながらも彼は笑う。


「ああ? 終わるんだよ。……いつか何事も終わりが来るんだよ。テメェのその失血量じゃ倒れるのも時間の問題だ」


 腕を失った痛みでショック死しなかったのがおかしな話なのだ。


「どんだけ楽しくても、どんだけ辛くても、いつか終わりが来るんだよ。まあ、お前を終わらせんのは俺だけどな」


 その言葉を吐いた時にどうしてか、阿賀野の脳内に既に死んでしまった母の顔が朧げに見えた。

 強く、優しかった母。

 阿賀野が小さな頃に死んでしまった彼女の顔は、もうよく思い出すことはできない。


 あの時は楽しかったなどと思い返した所で、もう涙は流れない。そんな苦しみの時代はとっくの昔に終わっている。

 阿賀野は首を小さく横に振って、前を見た。そんな物は考える必要はない。過去を振り返る理由がない。


「……終わりたくなくとも知らねぇよ。俺はお前を殺して、終わらせてやる」


 阿賀野の言葉に、ミカエルは一度考え込む様な顔を見せてから納得する。


「……ハ、ハッ。そうか。そうだね。それもそうだ。俺は永遠に縛られてたみたいだ」


 だから。


「確かに終わりのないゲームもドラマもない。なんであれ、エンドロールは必ずあるからね。なら、俺も受け入れなきゃね。君の終わりも、俺の楽しみの終わりも」


 娯楽には終わりがあるのだと納得した。受け入れることにした。

 エンドロールは両者に流れる。勝者にも敗者にも。しかし、勝利した者はこの先も物語を紡ぎ続けることとなる。

 この戦いのエンディング終焉はどうなるのか。それは二人にも分からない。

 しかし、どちらも譲らない。


「終わるのは俺じゃねぇ。終わるのはテメェだ」


 血だらけの彼らに火が灯る。

 生命を燃やす炎は何よりも強く燃え上がる。クライマックスは今ここにあった。

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