第58話

「よっ」


 日は僅かに西に傾きかけている。

 陽の光が差す、トレーニングルームにいた阿賀野は声をかけられて振り返った。


「佐藤さん……。何か用すか?」


 ベンチプレスの為に持ち上げていたバーベルを置き、阿賀野が立ち上がる。


「どうだ、ここ最近?」

「どうもこうも、暇で仕方ないっすよ」


 トレーニングベンチの上に座り、阿賀野は立ちっぱなしの佐藤に答えた。


「まあ、何だ。コーヒーでも飲むか?」


 佐藤は手に持っていた缶コーヒーを見せびらかすように揺らす。


「こうして面を合わせて話すのは久しぶりな気がするな……」

「そうっすね……」


 佐藤から缶コーヒーを受け取って、二人は同時にプルタブを開ける。

 コーヒーをグビグビと飲んで、一息ついてから、二人はお互いの顔を見る。


「……で、勝算はあるんですか?」

「さてな。俺にはもう分からん」

「佐藤さん。……別に俺はこの国が負けてもどうでも良いんすよ」


 興味がない。

 そんなこと佐藤は知っていた。だから文句を言うつもりもない。それが、阿賀野という男の性質だったから。

 自分本意で、阿賀野武幸は生きている。


「知ってる」


 佐藤はコーヒーを再び口にする。


「……と言うか、佐藤さんは暇なんすか?」

「ちょっと待て。何でそう思った?」

「だって、佐藤さん。教壇にも立たないし、多分ですけど、指示も出してませんよね?」

「……まあ、何だ。色々あんだよ」

「知ってます」


 阿賀野は立ち上がり様に飲み干していた缶コーヒーの入っていたスチール缶を右手で簡単に押し潰す。


「ん? もう行くのか?」


 その光景には驚きを覚える事もない。阿賀野ならばスチール缶を握り潰す程度のことは造作もないと、佐藤も認識しているからだ。


「VRトレーニングっすよ」


 簡潔に阿賀野が答えれば、佐藤はふと笑い、その背中に声をかける。


「励めよ。お前には──」


 期待してる。

 彼の言葉を最後まで阿賀野は聞いたのか、どうかは分からない。それでも、阿賀野は佐藤の期待に応えるだろう。


「ま、俺も頑張らなきゃな……」


 と言っても、佐藤の発言権は強くはない。出来ることなど限られてくるだろう。

 佐藤は阿賀野の真似をして空き缶を潰そうとするが、それは少し凹む程度に収まって、阿賀野ほどのことはできそうにもない。


「やっぱ彼奴、怪物だろ」


 溜息まじり、阿賀野の去って行った廊下を見ながら呟いた。


「じゃなきゃ、困るけどな……」


 笑いながら、佐藤もトレーニングルームを後にする。

 佐藤は軍人としてある一定程度の能力は持っているはずだった。ただ、あんなものを見せられては自信を無くしてしまいそうだ。

 そもそも、佐藤は初めから阿賀野に勝てるなどと思ってはいないが。

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