第10話

 階段の踊り場で突然に大声で呼び止められる。


「阿賀野!」


 阿賀野は自分の名前を呼ばれた事で、何のようだと少しだけ顔を歪めながら振り返る。歪めてしまったのはその声の主人のことを知っていたから。その声の主人が、面倒臭い性質をしていたから。


「──ねえ、阿賀野。相談に乗ってくれない……?」


 松野だった。

 不安そうで、壊れてしまいそうで、どうにかしてやろうと思っても、それでも扱いに悩む様な代物で、触れてはならないようなものの気がするのだ。

 普通、当たり前、一般的に。

 だったら、どうすれば良いのか。相談に乗るのが、正解なのか。それとも、地雷を踏み抜かない様に会話を避けるのが松野の為になるのか。


 阿賀野は別にそんなことは考えていなかった。ここで断ったところで、つけまわされるだろう。話しかけられ続けても面倒臭い。

 阿賀野はそんな先を予見したのか、少し苛立ちを感じてため息をついて、松野の目を見た。


「……わかったよ。話してみろ」

「……皆んな、いつも通りじゃないんだ。私が戦争に行くってなってから、皆んなが心配そうに私を……」


 何故、そこまでいつも通りを求めるというのに、彼女自身はいつも通りを演じないのか。


「嫌だよ……。いつもの竹崎と笑っていたい。皆んなといつも通りでいたい……」

「知らねえよ。お前が、何求めようとしてんのかなんて興味もねえ」


 阿賀野は本当にどうでも良さげにそう言い切った。ただ、それが松野からして見ればいつも通りに他ならない物だった。


「……皆んな、意味わかんないよ。何で、突然に優しくしてくるの?」


 顔を伏せて、彼女は両手で拳を握り締めながら、震える声で呟いた。

 気がついていないのか。理解していないのか。


「──お前、クソ面倒臭えよ」


 話すに値しないと思ったのか、阿賀野は舌打ちをして、階段を上っていく。松野はそれを引き留めようと思ったのかもしれないが、彼に本当に怒られるという恐怖を感じたのか、自然と伸ばした手が下がり、出しかけた声も止まる。

 カツカツと階段を上っていく、一人だけの足音が響いた。


「盗み聞きとか趣味悪りぃな」


 階段を上りきった所で阿賀野は候補者の一人を見つけて、チラリと目を向けながらそう言って、その横を通り過ぎて行こうとした。


「僕は君に協力しろと言われているんだ」


 ただ、その直後に阿賀野に声が届いた。


「協力だあ? ──ああ、あの人の差し金か。ご苦労さん」


 阿賀野は労いの言葉をかけて、少しだけ微笑みながら、その場を後にした。


「……君は協力なんて必要ないと思っているだろうけどね」


 彼はゆっくりと阿賀野の方へと振り向き、その背中を見ながらそう呟いた。

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