第41話 まるで何かを訴える合図のように

 そのバスはぼくらのはるか後方から唐突に現れ、少しずつ速度をゆるめ、ぼくらの座っているバス停のベンチの前に予定調和的に停車した。それはバスとしてごく自然な行為ではあったが、ぼくにはとても不自然な現象に思えた。

 警戒しているぼくとハンナの前で、ぷしゅうと音を立ててバスの扉がひらく。

 乗客はいないようだが、運転席に誰かの姿があった。

 間を置かずに、スピーカーから運転手らしき人物のアナウンスが聞こえてくる。

「えー、このバスは三次元行き直行バスにござそうろう。終点『影の外』まで、停車予定はございませぬが、柔軟じゅうなんに対応し、前向きに善処ぜんしょ致す所存にござる。出発時刻は、お客さまが乗車後まもなくであらん」

 その独特の語り口を聞き、ぼくとハンナは目を合わせる。

 運転席横のドアまで回り込むと、制服姿の男が手で合図するのが見えた。先ほどの托鉢僧姿ではなかったが、その雰囲気から同一人物であることがわかった。



   〇



 ぼくとハンナを乗せたバスはゆるやかに進行し始め、徐々に速度を増していく。

「一度バスというものの運転手なるものをやってみたかったのでござる」

 運転席の斜め後ろに座っているぼくらに、彼がそんなことを言う。

「運転したことないんですか?」

 ぼくはそう訊いた。ハンナは何となくぼくの肩に頭をもたれさせている。

「運転は初めてでござるによって、極力安全運転を心がける次第。安心めされい」

「ちょっと待って下さい」

「とは申せども、このバスは一種の自動運転であるからして、拙僧が直接運転しているわけではないのである。かしこみかしこみ」

 一瞬焦った。

「自動運転というのは?」

「文字通りの意味であらん。しかれども、人工知能によるものではなく、本物の知能によるものに他ならぬ。思念による機械操縦は本邦ほんぽうでも例を見ぬ所業でござ候」

 知能?

 ぼくは何とはなしに、バスの内部を見回した。いくぶん古めかしい内装ではあるものの、現役で使われていてもおかしくない水準のものという感じを受ける。もちろん、乗客はぼくら以外に誰もいない。

 ところがぼくは、その空間に何かの気配を感じたような気がした。何かに見られているような雰囲気さえある。

 ふと気付くと、ぼくの隣でハンナが寝息を立てていた。けみみみがくたりとしていて、安らかな寝顔が微笑ましい。心から安心しきっているような、そんな姿。

 運転席の男が、呟くような声で言った。

「……ハンナ嬢はおそらくお分かりのご様子であることよのう」

 その含みのある言い方が気になった。

「何のことです?」

 そう訊いたが、男からは満足の行く答えはなかった。

「当人からきつく口止めされておるによって、済まぬがお答えすることは相成あいならぬ」


 それからしばらくの間、ぼくは不規則に揺れる車内の中で考え込んでいた。時折、背後に誰かの気配を感じ、振り返ってみる。けれどそこには誰もいない。影ひとつさえない。ハンナは相変わらず、安らかに眠りこけている。柔らかなけもみみをそっと撫でると、気持ち良さそうに「ふにゅう」という吐息のような声がれる。

 ハンナが寝言で呟いたある「言葉」が、ぼくの耳に聞こえた。

 ぼくにある種の直感が訪れたのはその時だった。

「もしかして、このバスを動かしている知能だか思念というのは……」

「……おそらく、貴殿の考えていることで正しかろうと察する」

 男がくぐもった声でそう答える。

「……そういうことなんですね」

 ぼくはまた振り返る。誰もいない空間に向かって、視線を投げかける。そこに存在しない、不在の思念に思いを馳せる。かつて確かに存在していたはずの「誰か」。そこにいたはずの「誰か」。

 ぼくは宙に向かって、おそるおそるその名を呼びかけてみる。


「梢さん……ですか?」


 ハンナは確かにこう呟いていた。

「お母さん」と。


「お母さん、ですよね。ハンナの……」


 車内の蛍光灯が、二度点滅した。まるで何かを訴える合図サインのように、ぼくには思えてならなかった。

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