影の世界と間借りの男

第34話 太陽はどこにも見当たらない

 夢の中で、ぼくは幼い頃に見た夕焼けを思い出していた。

 その夕焼けは血のようにあかく、見渡す限りの水平線はその色に染まり、次第に闇を濃くして日は沈んでゆく。

 その移ろいをぼくはどこかのみぎわに立って、何とも言えない気持ちで眺めている。夢の中のぼくはその気分を表す形容詞を持たなかったが、隣にいる誰かがふとこうらすのが聞こえた。まるで世界の終わりのような光景だ、と。

 ぼくはその誰かを思い出そうとする。それは誰だったろう。幼い頃に亡くなった父だったのか、それとも一緒に遊んでいた親戚のお兄さんだったのか、もしかすると一度も会ったことのない「誰か」だったのか。

 やがて世界は闇に包まれる。ぼくはその「誰か」の温もりをかたわらに感じる。だからぼくは寂しくない、と感じることができる。



   〇



 そしてぼくはおぼろげな夢から目を覚ます。

 目を覚ますのと並行へいこうして、それまで見ていた夢がどのような内容であったのかを次第に思い出せなくなる。いったいどんな夢を見ていたのだろう? ぼくはそう自分に問いかける。しかし夢はかすかな温もりとわずかの寂寥感せきりょうかんだけを残して、ぼくの意識から遠ざかってしまった。

 ぼくは辺りを見回した。覚醒したばかりの意識にも、そこが先ほどまでぼくらが「王の影」を探し回っていた洞窟の中だということはわかった。小型のカンテラが仄かな灯りを照らし続けており、かじりかけの固形食料と飲みかけのミネラルウォーターがあちこちに散らばっている。

 だが様子がおかしいということに気付くのに、そう時間はかからなかった。


 コンクリートで無機的に固められた洞窟を急ぎ足で出てみたが、ぼくは誰の姿も認めることができなかった。洞窟の出口は内部と同じように、誰の人影もない。ぼくらの出入りを厳重に見張っていた黒服の男たちも、すべて姿を消していた。ぼくの側にいたはずの桔梗さんや「はがさず教」の教祖と名乗る老人も例外ではなかった。もちろん、あの狐少年でさえも同じように消えてしまっていた。

 そうしてぼくは思い出した。自分が、あの狐少年の名前を思い出せなくなっていることを。自分の目の前で影を取り戻した狐少年が、何かの宣託せんたくを下すように呟いた言葉を。

 狐少年は確かにこう言った。「世界を終わらせる」と。


 洞窟の外は明るかったが、大気はまるで灰色の雲をかぶせているようにどことなく曖昧あいまいだった。太陽はどこにも見当たらない。

 ぼくはポケットからスマホを取り出してみたが、表示される数字や文字は得体の知れない記号に置き換えられており、今が何時なのかもわからない。

 表示画面から圏外らしいことはわかっていたが、試しにいじってみた通話やメールなども一切が機能しない。

 ぼくはわずかに手が震え始める。それと同時に、ある予感めいたものが心の中でどんどんふくらんで来るのを感じていた。そんな馬鹿なことがあるものかと頭を振ってみても、その考えを抑えることができなかった。

 気がつくと、ぼくは「そのこと」を思わず口にしてしまっていた。言語化してしまうことで「そのこと」は、確固たる輪郭りんかくでぼくの意識の前に立ちふさがってしまった。


「世界は……終わってしまったんだろうか?」



   〇



 それからしばらくして、ぼくはぼく自身のものであるところの影をうしなってしまっていることに気付いた。

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