第33話 世界を終わらせる

 およそ数時間が経過した。しかし「王の影」は一向に見つからない。


 ぼくと桔梗さんはあらゆる可能性を検証してみた。

 影だからと言って、地面に落ちているわけではない。もしかすると壁に貼りついているのかも知れない。それとも天井にあるのだろうか。いや、そもそも「王の影」というものが、ぼくらの知っている影と同じものであるという保証がどこにあるのだろう。

 その影は、ぼくらの考えの及ばないかたちで存在しているのかも知れない。

 そう考えると、ぼくは茫洋ぼうようとしてつかみどころのない意識におちいってしまいそうになる。事実そうなりかけている。



   〇



 翔太くんの口添えもあって、ぼくと桔梗さんはようやくひと休みすることを許された。

 先方がどこかから調達してきたミネラルウォーターと固形食料をかじりつつ、ぼくらはこれからの対応を協議する。

「目視で確認できるところは全部探しましたが、どこにもそれらしきものはなさそうですね」

 そう桔梗さんが疲れた声で呟く。ぼくは頷く。

「そもそも『王の影』というのをぼくらが感知かんちできない可能性もあるわけですよね。だとしたらこうして探してること自体が無意味なんじゃないでしょうか」

「それは考えました。しかし私たちには他に選択肢がないようですね。入口は見張りの男たちで封鎖されてますし、スマホも圏外らしく連絡が取れません」

 ぼくのスマホも、しばらく前からアンテナが一本も立っていない。

 

 それからぼくたちは一旦探し回ることをやめて、そのまま休憩を続行することにした。

 さんざん歩き回ったので疲れ切ったということもあるし、ぼくたちをこうして強制的に使役しえきさせている彼らへの反発という意味合いもある。

 彼らから文句が出るかも知れないと思っていたが、意外にも彼らは寛容な態度を示した。ぼくは何となく、沈黙したままの老人に話しかけてみた。

「しばらく休ませてもらいますが、異存はありませんか?」

 老人は落ち着いた雰囲気でこう言った。

「本当は急がねばならんのだが致し方あるまい。それに、事態は少しずつ進展しておることを我々も感じておる。物事は着実に『そこ』に近づいておる。どうやらあなた方を連れて来たことは正解だったようじゃ」

 ぼくは特に何も言わない。老人は続けて言う。「おそらくあなた方が『探す』という事実が重要なのであって、あなた方が『見つける』という事実に大した意味はない。あらゆる可能性を検証し、否定に否定を重ねれば、その残余の部分から浮き上がってくるものがあろう。それこそが『王の影』に他ならない」

 ぼくには老人の言っていることがよくわからない。


 ぼくと桔梗さん、それから狐少年の翔太くんは互いに雑談を交わしつつ、薄暗い廃墟の内部で時間を過ごした。

 


   〇



 どうもおかしい、という違和感を感じたのは翌朝のことだった。

 廃墟の壁に背をもたれさせながら眠っていたらしい。ぼくはこわばる体をほぐしつつ、辺りを見回した。

 内部は相変わらず薄暗く、同じように桔梗さんや老人、それから狐少年が思い思いの格好で横たわったり座ったりしている。

 ぼくはまず桔梗さんを揺り起こした。それから狐少年に声を掛ける。しかしぼくはどう声を掛けていいのかわからない。何かが欠けている。ぼくはこの狐少年を知っているはずなのに、どう声を掛けていいのか、それがわからない。

 


 狐少年はおもむろに瞳をひらく。そして、ぼくが何かに戸惑っている姿を認める。彼は何かを悟ったような表情になった。そして、呟いた。

「ああ……、お兄さん、これは多分しょうがないことだったんだよ。だからあなたは何も気にしなくていい。全ては時の流れのまにまに。そして一切は流転るてんする。私はあるべき場所に戻り、為すべきことを果たすまで」

「君は……何を言ってるんだ?」

 ぼくは狐少年の足元を見る。彼の足元には、


 狐少年はさらに言葉を紡ぐ。

「影が戻った。記憶も戻った。匿名性とくめいせいの場所から、私は命令を果たさなければならない。かつての私が紡いだ一つの言葉、それを実行しなければならない。『見る者と見られる者は入れ替わる』。その呪いの言葉の通りに」

 ぼくは何も喋れない。気がつくと、ぼくのすぐ側にいたはずの桔梗さんと老人がどこにもいなくなってしまっている。

「お兄さん、私の影を見つけてくれてありがとう。でもそれは、あなたにとって不幸なことだったかも知れない。それでももう、後戻りはできない。影は私を支配してしまった」

 ぼくは狐少年に触れようとした。しかし、指先は空を切る。

「無駄だよ。もう私はこの世のものではなくなってしまったから」

 そういう声だけが耳にこだまする。ぼくは必死になって呼びかけようとする。誰に? しかしそこに名前はない。ぼくはそこに呼びかけることはできない。そこにいた誰かの名前はぎ取られ、思い出がわずかに残っているだけだ。


「さようなら、お兄さん。たとえひと時であっても、名前のある生活も悪くなかったよ」

 ぼくの意識が少しずつ消失しようとする。最後に、狐少年がこう言ったのが聞こえた。それはまるで、何かの啓示のように耳朶じだを打った。






「世界を終わらせる」

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