影と図書館とチンギス・ハーン

第28話 天が許そうとも私が許さない

 画面の中の、末期患者の老人は自らの昔語りをそこまで語り終えると、うつむき加減に目を閉じながら、かなり長い間息を弾ませていた。呼吸をととのえながら水を口に含み、それでもしばらくは次の言葉を発しようとはしなかった。その光景は、まるで熱を持ったコンピューターが一時的にフリーズを起こすかのような場面を連想させた。

 いくらかの冷却時間をおいて、老人はまた話を続ける。


「私が記憶しているのはそこまでだ。というのも、その施設からの撤収作業を進めている途中で、どうやら私は原因不明の人事不省じんじふせいに陥ったらしい。目が覚めた時、私の肉体は病院の寝台に横たわっていた。簡単な検査が行われたが、単なる過労と告げられただけだった。

 入院していたのはほんの数日だけだったが、その間に部隊長の代理と名乗る男性が私を訪ねて来た。彼は人目をはばかるような小さな声で私にこう言った。

『部隊内で見聞けんぶんしたことの一切は口外してはならない。万が一外部に洩れた場合、生命の保証はしかねる。秘密を守れぬ奴は、たとえ天が許そうともこの私が許さない、地の果てまで追いかけて私が処断する、と部隊長は仰っております』

 部隊長はこういう口上こうじょうで、部隊の関係者を脅して回っていたらしい。

 もっとも、関係者の責任がその後追求されなかったのは、部隊長が豊富な実験資料と引き換えにアメリカと裏取引をしていたというのが実情だったようだ。これは随分後になってからわかった。

 そして私はそれからしばらくの間、眠れない夜を過ごすほどにうなされたのを覚えている。何におびえていたのかは、よく思い出せない。


 大学の化学科にまだ私のせきは残っていたので、ひとまず学生としての勉強をまた続けることにした。人も金も物も足りない状況だったので、ほとんど授業らしい授業はなかった。

 私は手慰てなぐさみにいくつかの論文を書き始めた。そのうちの一つがとある高名な教授の目に留まり、私はやがて学会でそれなりの評判を得るに至った。その内容は高度に専門的ではあったが、あの施設で得た実験データを、それとわからぬ形で活用したものだった。勘の良い学者なら気づいたかも知れないが、特に問題は起こらなかった。そういった方面に関しては、私は実に用心深く処したものだと我ながら感心している。


 時は流れ、資産家の娘と結婚し、三人の子に恵まれ、社会的にそれなりの地位を占めてからも、私は幾度となく狐少年の最期の言葉を思い返してしまっていた。それと同時に、まるで煙のように姿を消してしまったあの母子おやこについても、私の中でよどみのような謎として残っていた。

 しかし私は戦後の社会をきわめて理性的に過ごしていた。呪いや怨念おんねんといったものは非理性的な迷信として片付けることにしていた。『見る者と見られる者は入れ替わる』と言った狐少年の言葉も、一種の世迷言よまいごとだと決め付けていた。

 普通の勤め人なら定年を迎える頃、妻の実家の縁故から都議会への出馬の話が出、ろくに選挙運動もしていないのに当選した。これといったスキャンダルも起こらないまま何期かを勤め上げ、ようやく本当の意味での隠居になれるかという頃に、その話は持ち上がった。

 郊外の施設はとうの昔に廃墟と化していたが、その調査が検討され始めたのだ。


 私は内密に手を回し、情報を収集した。

 すると、調査は土地開発の一環として行われるもので、戦時中の旧悪を暴こうといった意図はないらしかった。私は胸を撫で下ろしたが、調査が終わるまでは何となく安心できなかった。


 数日後、廃墟を調査していた調査員に異変が生じたとの情報が知らされた。

 調査員の一人が死に、もう一人は煙のように、影だけを残して消え失せた。

 そして関係者の多くに奇病が伝染した。『影が二つ』になる奇病のはじまりである」



   〇



 動画は唐突にそこで終わっていた。

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