第26話 被験体は大抵ランダムに選ばれる

「私が派遣されたその施設は、前もって聞いてはいたが、実際に派遣されてみると背筋せすじの凍るような思いになる場所だった。一介いっかいの化学科の学生に過ぎない私が呼ばれた理由がよくわかった。その施設の内部では、捕虜等を相手にした人体実験が行われていたのだ。


 施設はいくつかの棟に分かれており、私を含む隊員のほとんどは敷地内に建てられているレンガ製の寮で寝起きをしていた。人間の出入りは厳重に管理されており、自由に手紙も出せないような環境だったが、住み心地はかなり快適だった。暖房も最新式のスチームが取り付けられており、当時にしては珍しく冬でも蛇口からお湯が出た。

 そして、私がそこに来たのは食糧事情の悪化した大戦末期だったというのに、隊員は誰もが飢えとは無縁だった。敗戦によって現地を離れるまで飯だけはたらふく食べることが出来た。学生時代はろくに食べることが出来なかった肉を、ほぼ毎日食べることが出来たのを覚えている。そして幾分質は劣るが、それは収容されていた被験体ひけんたいも同様だった。

 これは何も被験体の人権を尊重していたからではない。栄養の欠乏や病気などによる実験結果の誤差を最小限にするという意図があったからに他ならない。そのため、そこでやせ細った被験体というものをついぞ目にしたことがなかった。


 実験施設はコンクリートのトンネルのような造りをしており、内部は小さな覗き窓のついた、いくつかの個室に区切られていた。これらの個室には常時四十~五十名ほどの被験体が雑居ざっきょで生活しており、実験で欠員が出ると度々入れ替わった。

 私は直接の人体実験にはあまり関わらなかったが、毎日のように、あらゆる方法で被験体が絶命していったのを覚えている。毒物の注射、化学物質の噴霧ふんむなどによる致死量の測定、時には饅頭まんじゅうに毒物を包んで被験体にこっそり食べさせることもあった。被験体はいずれにしろ死に、その実験で死ななかった場合でも回復を待って、また新たな実験の対象になった。


 全ての被験体は雑居房で生活していたが、その中で唯一個室をあてがわれていた被験体がいた。狐型の獣人であり、目を見張るような美少年だった。

 元々はこの個室も雑居房だったのだが、どういうわけか狐少年以外の被験体が一人また一人と減らされ、最後に残ったのが彼だったというわけだ。

 被験体は大抵ランダムに選ばれるが、彼は美少年ということもあり、おそらく選択する側が躊躇ちゅうちょしたということだろう。ほとんどの被験体は長くても半年で死ぬことになるが、彼だけは収容されて二年ほど、敗戦の時まで生きながらえた。


 私は業務の合間に、時折その狐少年と雑談をするようになった。



   〇



 しかしこれは私の狐少年への個人的関心という動機がすべてではない。

 当時、彼には一人の若い看護婦が付けられていた。聞くところによると、高等小学校を卒業してから乙種看護婦おつしゅかんごふの教育を受け、ここに配属されたらしい。まだ十六かそこらだったように記憶している。名はこずえ。私はこの看護婦に、ひそかに恋をしていた。

 狐少年はこの若い看護婦を信頼していた。看護婦も弟のように少年の面倒を見ていた。

 私は狐少年と雑談をしつつ、看護婦の梢とたわいなく言葉を交わした。


 狐少年がこの施設に収容されるいきさつも本人から聞いた。

 話によると、陸軍がここに来る以前、この辺りには獣人が住むこぢんまりとした村があったらしい。現在は全く見かけなくなったが、戦前は獣人だけの部落も珍しくはなかった。

 陸軍によって村は半強制的に解体され、獣人たちは散り散りになった。彼らがどういう道を辿ったのか、狐少年も知らずにいる。少なくとも彼はこうして人体実験施設に収容された。

 日々はそうしてむことなく過ぎた。過ぎるように思えた。


 そんなある日のことだった。

 部隊長を含む上層部が獣人である狐少年の存在に目を付けはじめた。と言っても化学実験による人体実験の対象としてではない。それでも人体実験であることに変わりはなかった。

 当時、獣人と人間の混血児はほとんどいなかった。そのため、その方面での研究は未開拓みかいたくの分野と言ってよかった。

 有り体に言えば、獣人である狐少年と人間の女性の混血児をつくらせよう、という計画が持ち上がっていたのだ。

 私は狐少年にそのことを知らせる役目に選ばれた。


 結果から言うと、その実験は成功した。

 狐少年は看護婦の梢と性交を行い、そして梢は妊娠した。

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