名前のない狐少年の叫び

第25話 どちらかというと告白、あるいは懺悔

 以下、老人の独白。


「遺言と言っても、財産のことや相続のことを喋るつもりはない。

 遺言というものには決まった手続きややり方というものがあり、このように映像として記録されたものは、たとえ本人が喋っているものであっても法的拘束力はないと知っている。第一、私はすでに遺言書を書き上げてしまい、ある弁護士に預けてある。したがって、ここで話すことはどちらかというと告白と呼んだ方が良いものだろう。あるいは懺悔ざんげというものに近いかも知れない」

 老人はゆっくりとした口調でそう言った。ベッドの上半分を背もたれのように斜めに起こし、目はまっすぐに画面を向いている。呼吸を整えながら、また話し始める。


「これから話す一連の出来事は、七十年以上前に実際に私の身に起こったことである。このことを私はまだ誰にも話したことがない。親兄弟、妻や子や孫、その他の友達にも明かさないまま今日まで生きてきた。

 本当ならばもっと早い時期に公表しておくべきだったのかも知れない。あのことを知っている関係者の多くが生存しているうちに、彼らや私の行いを知りうる限り暴いておく必要があったのかも知れない。そうしておけば中にはそそがれる罪もいくらかはあったかも知れない。

 それを出来なかったのは、ひとえに私に勇気がなかったからである。

 今からではもう遅いかも知れない。罪は永久に消えることはないだろう。

 それでも私は私に課せられた義務をささやかながら果たしたいと思う。画面の向こう側にいるあなたが、これを聞いていてくれることを祈りつつ」

 老人は目を伏せた。まるで長い距離を走った後のように肩が上下していたが、少し落ち着くとまた話し出す。


「ご存知かも知れないが、現在、私には影が二つある。これは別に珍しいことではない。例の奇病を患った者は、誰でも影が二つになるからだ。

 しかし私の場合は少し特殊なケースになる。私が発病したのはもう十年前のことで、それ以来、私はこの隔離病棟の個室から一歩も外に出ていない。つまり私は十年間もこの二つの影をわが身に付きしたがわせているということになる。

 聞くところによると、世間ではある種の宗教的信念から、発病しても『もどき』の影をはがさずに生活する人もいるらしい。そのため、私をして彼らの一派だと憶測する人もいるだろう。

 だがそれは根も葉もない憶測に過ぎない。私にはそのような宗教的信念は存在しない。いかなる意味での宗教的信念も存在しないと言ってもいいかも知れない。もっとも自分にどんな信念が内在しているのか、本当の意味でわかる人がいるだろうか。『いずくんぞしか所以ゆえんらん、悪くんぞ然らざる所以を識らん』と昔の哲人も言っている。


 話を戻そう。私が十年も『もどき』の影をはがさないままにしている理由は何か。

 その理由を説明するという意味でも、私は是非とも私の過去をつまびらかにする必要があると感じる。二つの出来事の間には一見すると論理的なつながりはないかも知れない。現在と過去は私の個人的な主観によってのみ有機的関連性を持つ、きわめて脆弱なものでしかないのかも知れない。もし取るに足らない老人の戯言ざれごとと思ったなら、無視してもらっても構わない。

 では話そう……」


 老人はそこまで言った後、テーブルの上に置いてあったコップを震える手でつかみ、その水を口に含んだ。その水が細い喉を滑り落ちる「ゴクリ」という音が鮮やかに聞こえた。ため息を吐いて、画面の向こうの老人はまた語り始める。


「七十年以上も昔、わが国が大日本帝国と呼ばれていた頃のことである。旧帝大の理学部化学科の学生だった私は、臨時に陸軍のある部隊に召集された。正規の軍人ではなかったが、軍属として機密保持が義務付けられていた。高くはなかったがそれなりの給料も支払われた。

 都心から遠く離れた僻地へきちに派遣され、私は地図に載っていない施設で勤務に就いた。

 私はそこで、名前のない狐少年に出会った――」

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