第24話 これは、私の遺言である

 しかし結論から言うと、ぼくはその施設に入院しているという末期患者の老人には会えなかった。あまりにセキュリティが厳重すぎたのだ。


 受付では桔梗さんの名前を出すことで通してくれたが、老人の部屋と思われる九階には入ることすら出来なかった。エレベーターの前にスーツ姿の屈強くっきょうそうな男性が立っており、ほとんんど問答無用で帰るよううながされた。主任研究員の桔梗さんの知り合いだと言っても「こちらは聞いていない。出直してくるように」の一点張りだった。

 階段から入れないかと試してみたが結果は同じだった。ぼくが九階の入口に立ち入ろうとすると、まるでそのことを予期していたかのようにスーツ姿の男性がするりと現れ、目の前に立ちふさがった。さっきエレベーターの前にいたのと同一人物のような気がしたが、ぼくにはその違いがわからなかった。ぼくはさすがに異様なものを感じてその場を退散した。


 帰る途中、桔梗さんのスマホに何度か連絡を入れてみた。しかし繋がらなかった。



   〇



 その夜、ぼくの部屋でぼくはさゆり姉と狐少年の翔太くんの三人で一緒に食事をした。何となく凝った料理を作る気になれなかったので、鶏と白菜と豆腐を鍋で煮込んだだけの水炊きを出すことにした。さゆり姉はポン酢よりもゴマだれの方がよかったとクレームを呟いていたが聞こえないふりをした。

 翔太くんはハンナと同じように好き嫌いはないらしく、けもみみをピクピクと動かしながら黙々もくもくと鍋の具をつまんでいる。それが何となく食事中のハンナの癖とよく似ていた。獣人はだいたいこんな食べ方なのだろうか。


 ぼくが食事の後片付けをしているあいだ、さゆり姉はソファーにだらりと寝そべりながら翔太くんに肩や腰をマッサージさせている。そしてしばらくすると、さゆり姉は翔太くんをソファーに寝そべらせて半ば強引に彼の肩や腰をマッサージし始めた。時々、ここぞとばかりにけもみみや尻尾を握ったりさすったりしている。和気藹々わきあいあいとした雰囲気だ。

 狐少年が奇妙にひきつった声を上げた辺りで、ぼくのスマホに通知が入った。桔梗さんからだ。

 メールにはこれといった文言はなかったが、何かの動画ファイルが添付されていた。

 ぼくは後片付けを終えてから、わずかに半泣きになっている翔太くんとおろおろしているさゆり姉を尻目に、隣の部屋に移り動画ファイルを開く。

 それは病室らしき空間に横たわる老人が、おそらく桔梗さんの持つスマホに向けて何かを独白している姿だった。ぼくは直感的に、この老人が例の施設に入院しているという末期患者であると察する。

 しわだらけの顔をした老人が、しわがれた、しかし威厳の漂う声で話し始めた。


「これは、私の遺言である――」

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