第11話 採血と尿検査、問診と雑談

 ぼくが所属している「影はがし」の研究施設は、都内のいくつかの地域にちらばるように配置されている。これから向かうのは、主任研究員の桔梗ききょうさんが拠点にしている中核の研究施設だ。奇しくも、ぼくの自宅と同じ区域にあったりする。

 最寄の駅で降りて自宅とは逆方向に歩くと、五分もしないうちに大きな建物が見えてきた。門をくぐり、財布に入れてあるIDカードを通してゲートを通り過ぎる。

 建物の内部はどことなくひんやりとしていて、薄暗い。


 受付に今日の予定を告げ、指定された場所で何分か待っていると、しばらくして白衣姿の桔梗さんが現れた。長い髪を後ろで束ね、度の強そうな眼鏡をかけている。

「待たせましたね」

「いいえ、今来たところです」

 ぼくはそう言って軽く礼をした。何となく緊張する。

「これから採血や尿検査、簡単な問診などを行います。一時間もかからないでしょう」

「わかりました」

 そう言うと、桔梗さんがなじみ深い微笑ほほえみを見せた。相変わらずの美人だ。


 ひととおりの検査を済ませると、問診もかねて桔梗さんの研究室に通された。

「検査結果を見ましたが、今回も問題ありません。体も丈夫なようだし、飲酒や喫煙の習慣もない。君のような一人暮らしだと不摂生ふせっせいになりやすいものですが、きちんと自己管理できてるようでなによりです」

 ぼくは桔梗さんのれたコーヒーに口をつける。ハンナと同居しているという事実を、桔梗さんはまだ知らない。

「ありがとうございます」

「それに心なしか顔も明るいようですね。何か良いことがありましたか?」

「いえ、これといって何も」

 ぼくはその質問をはぐらかした。桔梗さんは意味ありげな表情でぼくを見る。

「男女交際に関することでしたら、いつでも相談に乗りますよ」

 飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。

「本当にそういうのではないんですって」

「冷たいですねぇ。小さい頃は私にラブレターを書いてくれた仲じゃないですか」

「それは忘れてください」

 黒歴史を掘り起こさないでほしい。


 帰りぎわに気になっていたことを桔梗さんに訊いてみた。

「そういえばこのところ『影』の発病者が少なくなってませんか?」

 去年のこの時期はかなり忙しかった記憶がある。少なくとも、今日のようにぼくが「影はがし」をしなくてもいい日はなかったはずだ。

 桔梗さんは資料に落としていた視線をぼくに向けた。

「それは私も気になっています。まだ詳しい統計は出てないのですが、どうも都内はどこも似たような傾向のようです。地方はもともと少ないので何とも言えませんね。なんにせよいい傾向ではありますが」

「そろそろ下火ということでしょうか」

「その可能性はあります。けど油断はできません。新しいフェーズに移行している過渡期かときであるとも考えられます。まあ十数年特に変異を起こさなかったわけですから、心配することもないかも知れませんがね」

 そう言い終えたのとほぼ同時に、桔梗さんのスマホの通知音が鳴る。

「ちょっと失礼します、……ああ、娘のすみれからです。テストの成績が上がったので外食に連れて行ってくれとの催促です」

 苦笑いする桔梗さんの表情が、急に子を思う親のそれに変わる。

「すみれちゃんはもう中学生でしたね」

「いくつになっても甘えん坊で困ります。あいかわらずのパパっ子でしてね、いまだに私のベッドにもぐり込んで来るんですよ」


 見た目は完全に女性だが、実のところ桔梗さんは男だったりする。

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