第9話 青少年健全育成条例って知ってる?

 ぼくが目を覚ましたとき、さゆり姉が口を「あ」の形にしたまま寝室の入口で彫像ちょうぞうのように固まっているのを最初に見た。また勝手に部屋に入ってきたなと思いつつ、手元の枕を半ば無意識に抱き寄せた。枕にしては妙にあたたかくてふさふさとしているなこれ。

「うにゅ……そこはだめ……」

 その枕がもぞもぞと動き出したのでようやく違和感に気付いた。意識の覚醒かくせい

 ぼくは自分が寝室のセミシングルベッドに横たわっていて、同じベッドにけもみみ狐少女がだぶだぶの長袖ワイシャツ一枚を素肌に羽織はおったままの姿で寝そべっていて、その姿態したいをさゆり姉が寝室の入口でまざまざと見ているのをようやく理解した。


「いやぁ……、あんたにロリコン趣味があるとは意外だったわ。しかも獣人」

「誤解です」

 なぜか丁寧な口調でぼくはそう弁解する。さゆり姉はニヤニヤと笑いながらスマホで写真を撮影し始めた。

「ところであんた、青少年健全育成条例って知ってる?」

「ここぞとばかりに撮るな脅すな消して頼むから」

「この子どうしたの? 相当幼く見えるけどあんたの彼女? 出会いのきっかけは何? まさか援」

「だから説明させて」

 少し半泣きになりかけているぼくと面白がるさゆり姉が応酬おうしゅうを繰り広げている横で、ハンナは依然として天使のように寝息を立てている。


 それからぼくはできるかぎり論理的に、筋道を立てて、このような状況に至った事情をさゆり姉に語って聞かせた(ちなみにこの時、寝ているハンナを起こさないように隣のリビングにすでに場所を移している)。

 たどたどしいぼくの説明がなされているあいだ、さゆり姉はとりあえず真面目な顔で神妙しんみょうに話を聞いてくれていた。ひとしきり面白がったので気が済んだこともあるだろうが、事態の深刻さを彼女なりに察してくれたのだろうと思う。

「話はだいたいわかったわ」

と彼女は言いながら、今さっきぼくがれたコーヒーを物思わしげにひとくちすすった。「あんたが時々ふらりと旅行に行くのは知ってたけど、まさかあんな可愛い子と会ってたとはね」

 ぼくは特に何も言わずに、黙って淹れたてのコーヒーを飲む。何となく居心地が悪い。公開処刑をされている気分だ。

「それで、どうするのこれから」

 さゆり姉が真面目な顔でそう訊いた。

「どうするって?」

「あの子のこと。聞いた話だと身寄りもいないみたいだし、まさか追い返すわけにもいかないでしょ」

「ここに住まわせるってこと?」

「あんたが餌付けしたんだから当然よ。監督者責任っていうのかしら? よくわからないけど」

 多分違うと思う。

「幸いこのマンションはペット不可というわけじゃないし、獣人だったらなおのこと問題ないわよ」

「簡単に言ってくれるなあ。犬や猫を世話するのとは違うし、獣人と言っても女の子だよ」

「それは問題ないわよ。身の回りのデリケートなことなら私が相談に乗ってあげる。あんたや私が世話できない時はヘルパーを頼めばいいじゃない」

「意外にも協力的だね」

「そのかわり、私にもあとであの子を抱かせてね。もふもふしてて気持ち良さそうだから」

「言い方」


 さゆり姉と今後のことをひとしきり相談し終えてから寝室に戻ると、いつのまにかハンナは目を覚ましていた。ベッドに仰向けに寝そべったまま、ここがどこなのかを確認しているとでもいう風に、目をぱちくりさせている。

「おはよう。もう起きてたんだ」

 ぼくはベッドのふちに腰をかける。そしてぼくの言葉に対する返答をゆっくりと待つ。ぼくは急がない。彼女のまなざしがぼくの姿をとらえ、やがてその顔が花のようにかすかにほほ笑む。狐少女はか細いが、はっきりとした声でこう言った。


「……おはよう」


 こうしてぼくと狐少女の同棲生活が唐突にはじまった。

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