第3話 あなたはお母さんとよく匂いが似ている

 もちろん、すべてがすんなりと円滑に進行したわけではない。それなりに時間も掛かった。

 しかし多くの物事がそうであるように、ぼくらのあいだにあった警戒心も時間の推移とともに、あたかも密雲みつうんがほぐれて形を変えるように変化していった。それはおおむね、ぼくにとって好ましい形の変化だった。

 名前があることもわかった。ハンナ。母親が付けてくれた名前だという。

 年齢は十四歳。もう少し幼くも見える。

 澄んだ瞳はやや動きに乏しかったが、思わず人目を引くものがあった。

 暇を見つけて廃墟を訪ねると、きまってハンナは公園にいた。そして、中央に屹立きつりつする幹の太い樹木の根元で、ぼくを待っていた。


「今日はインスタントラーメン。ウィンナーソーセージとトマトを入れてみた」

「……(はふはふ)」


「今日はサンドウィッチ。レタスと炒り卵にハム、アボカドのソース」

「……(むぐむぐ)」


「カレーライス。ご飯もルーもレトルトだけど温泉卵おまけ」

「……(ぱくぱく)」


 餌付けか。

 とりあえず、好き嫌いはないらしい、ということがこの数週間でわかった。



   〇



 樹の幹に寄り掛かりながら、食後のコーヒーを飲む。ハンナには砂糖を混ぜた紅茶を出す。

 携帯用のカンテラが夜を照らす中、ハンナはぼくに肩をもたれさせている。このところ、食事をしている時以外はこうしてぼくの側から離れようとしない。そうして、自分からはほとんど喋ろうとしない。

 テントのジッパーを開けて中で寝ようとすると、半ば強引にハンナも入り込んでくる。追い出すわけにもいかないので、一緒に寝ることになる。

 ふさふさのけもみみがぼくの胸に押し付けられる形。

 黙ったままでいると変な気分になりそうなので、寝付くまでとりとめのない世間話をする。

「ハンナは……ずっと一人なのか?」

 カンテラは消しているので、お互いの顔は見えない。ハンナはか細い声でこう答える。

「……お母さんがいた。去年の冬に……病気で死んだ」

「……そうか」

 何となく悪いことを聞いた気分になった。

「お母さんには……私のような耳も尻尾もなかった。あなたと同じ」

「そうか」

「お父さんが私のような……狐型の獣人だったと聞いた。会ったことはない」

「そうか」

 いつになくハンナは多弁だった。ぼくはさえぎらず、気の済むまで喋らせる。

「亡くなったお母さんは……この樹の下に埋めた。冬が終わるまで、毎日その上で寝ていた。季節が春になって、あなたが現れた。お母さん以外の人間を見るのは、あなたがはじめて」

 うつらうつらとしながら、相槌を打つ。意識が眠りに落ち込む直前に、ハンナがこう言ったらしい。


「あなたは……お母さんとよく匂いが似ている」

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