ヒュドラ

土手を登り、河岸に降りていく。


河原には1人男が待っていた、いや男というより少年なのか。

幼さはないが、身体つきは大人に成り切っていない。

高校生くらいだろうか、少し華奢な気もするから大きな中学生という線もある。

暗がりで顔は確認できない。


その華奢な少年。

鷹人と名乗る男と分けるためにも、仮に少年としておく。

光源は対岸にある県道の灯だけ、その暗い河原で少年は1人佇み我々を待っていたのだろうか?

ゾッとした、人間ではないのかも?とも思った。


オレたちは男に連れられて、少年の6メートルほど前まで近づいた。

男がそこで止まると、周囲の草むらを掻き分けグールの群れが現れた。


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オレたち、男や少年はグールたちに囲まれる。


暗がりで正確な数は把握できないが、怪物たちの爛々と輝く緑色の目の数から20体以上は確実に居そうな気配だ。

オレは正直グールに対して、不気味だとは思っていたが恐怖を感じたことはなかった。

妃陀羅の魔力で接触した時は一対一だし、それは授かった魔力で対処できる範囲の遭遇だったからだ。

こうして多勢で取り囲むグールが織り成す『亡者溢れる地獄絵図』と変貌した河原では、オレがグールに対して為す術ない弱者だと思い知る。

オレは初めて直面する死に恐怖した。


「おい、どういうつもりだ鷹人」オレは敢えて男を鷹人と呼び、問い詰める。

グール独特の腐敗臭と黴臭ささが周囲に充満していく。

この河原には、グールの門があったのだろう。

グールたちは移動や身を隠すために、門と呼ばれる異空間通路で結びついた出入口を人目に触れないように配置しているのだ。

魔術の印を刻まれた石門はグールやグールが連れ去った者以外には効果を発揮しないため、それが空間移動を可能にする門だとは見た目判らない。

門は立てかけていても、横倒しでもかまわない。


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期待した答えはなく、代わりに男は呪文の詠唱を始めた。


フングルイ ムグルウナフ クトゥルフ ルルイエ ウガフナグル フタグン


嗚呼この詠唱は幼い頃からオレたちが繰り返し聞かされ、または唱えてきた妃陀羅を讃える呪文だ。

やはり男は鷹人なのだ。


イア イア ヒュドラ フタグン


グールたちも詠唱を始めた、春子も目を見開き詠唱を始めた。


少年だけが、この狂宴に加われない異端者となっていた。

この呪文を血族は夏至と冬至の日に唱える。

オレもこの詠唱を聞けば、習慣で自然と詠唱を始めてしまう。


そんな長い時間は経過していないはずだ、なのに恐ろしく長い時間を詠唱に費やした気持ちになる。


オレはガンガンと詠唱が鳴り響く中で、それを見た。

見た時間が長かったのか短かったのかも判らないほどオレは混乱していたから、確かに見たとは断言できないのだが。


それは川を背に取り囲むグールの後ろから鎌首を擡げる白い大蛇だった。

グール5、6体を一気に頬張れるような大口を拡げては、輝く6つの赤い眼球でこの場にいる全ての存在を畏怖させた。

春子がオレの背中で「妃陀羅様」と呟くのを聞いた。


いつの間にか、足元は水浸しになっていた。

川の水が浸水してきたのではない、足元から湧いて溢れたのだ。

ふと周りを見渡すとグールたちが次々と、足元に広がる水溜りに引き摺り込まれていく。

グールたちの断末魔の金切り声が響く。

オレが多勢のグールに感じた死の予感は、もっと濃厚な死の気配を放つ圧倒的な存在に塗り替えられる。


オレは母親が言うように春子と違い考え過ぎなのだろう、思考の範囲内で処理できない存在や事態にこうも無力で成す術なく慄く。春子は恍惚として幸せそうなのに。

オレは理解の範疇を超えた存在を前に、思考も行動も麻痺して意識が遠のいていく。


薄れていく意識の片隅で、大声を上げて土手から下りてくる男の声を聞いた「そうたろうさま」と言っている。

その男が持っていた懐中電灯の光だろうか、少年の顔に瞬間光が射す。

少年の目は、左だけが青く光っていた。


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気がつくと夜は明けていた。

腕時計を見ると3、4時間こうして突っ立っていたようだ。

膝までびしょ濡れだったことが、妃陀羅の降臨が夢でないことを語っていた。


誰もいなくなっていた。

皆あの水溜りに引き摺り込まれたのだろうか?

『春子は神の慰みに召されたのだ』もう戻ってはこないだろう。

オレは直感した、知りもしないのに。


生き残った者は語ることはできるが、それは知っているからではない。

知らなくても語ることはできる。

知り過ぎなかったから生き残れたというなら、人目に触れることが叶う物語は不完全な産物なのだろう。


生き残ったオレが、知りもしないオレが、語ることができる物語。

以上がその全てだ。(了)

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ハイドラの裔【適合者シリーズ4】 東江とーゆ @toyutoe

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