「官邸のトイレの便座カバーが花柄に変わるらしい。こりゃ内閣総辞職しかないな」

春槻航真

とあるオフィスにて

 何か……何かないのか……


 昼下がり、旭丘新聞政治部の記者峯木は頭を抱えていた。全国にその名を轟かせるクオリティペーパーの旭丘新聞。特にその花形ともいえ、数々の汚職問題を暴いてきた政治部。それなのに峯木の顔は冴えなかった。


「はい、先輩コーヒー買ってきましたよ」


 部下の小倉に買ってこさせたブラックコーヒーを、ありがとうも言わずに飲み干した。小倉は峯木より4、5年若い。新聞社では何より上下関係が重視されるのだ。


「おい小倉!!あの件はどうなった!?」

「あー紅葉狩りの会の奴ですか?ありゃダメですね。どんなに理屈捏ねても首相に届かなさそうです」

「どこに届く?」

「過去野党が政権持ってたとき便宜を図った事実が出ますね」

「よし、報道しないでおこう。テレビ局にも言っとく。今後紅葉狩りの会についてはトーンダウンしろってな」


 首相が最も紅葉がよく見える席へ支持者を招待したという疑惑、実際はむしろ野党側が便宜を図っていたのだが、それは伝えずにあくまで首相の忖度として報じてきた。報道の自由という奴だ。


「別にそれでもいいですけれど、ネットじゃ既に嗅ぎつけられてますよ?野党が政権取ってた10年前、いやそれ以前からの慣習で、今の首相が責められる由縁はないって」

「ネット社会は怖いな全く。ろくに世間誘導もできやしない」

「もういっそ、我々もネット上で工作活動していくべきではないですかね」

「俺だってそれはしたい。あそこにいる奴らは自分は正義で他人を悪と断定したがるマウントアルピニストばかりだ。扇動も余裕だろうが、上層部が認めてくれねえんだよ。新聞社は新聞で戦えってさ」


 峯木は火をつけずにタバコを咥えた。机には無数のポストイットがあったが、どれも不作な様子だった。


「あーもういっそのこと、巨大生物でもやってこねえかなあ。そしたら逆張りしまくって政府の対応叩いて売り上げガッポガッポなのに」

「GODZILLAみたいな?」

「そうそう!!あんなの報道屋からしたらマジボーナスタイムよ。センセーショナルな写真と不安煽って政府批判しまくるだけの簡単なお仕事さ」

「まああれは映画のお話ですけどね」

「そうだよなー」


 小倉は現代っ子らしくタバコを吸わない。その代わり野菜スティックを丸齧りしていた。見た目だけでなく中身も草食系だ。


「なんかネタになりそうなのある?どんな小さいのでも良いから言って。もう官邸内部で聞き取りしてるお前経由じゃねえと無理だ。外の情報筋じゃ攻撃するところがねえ」

「そうですねえ……公務員の定年延長法案が国会提出……」

「それは野党の支持母体からの陳情によるものだ。報道して潰したらこちらにも火の粉が飛ぶ」

「学校教育にオンライン授業導入を検討する有識者会議を開催……」

「うち副業でオンライン授業用のリモート会議のクラウドアプリ販売してんだよなー。なしなし!!関連製品部の奴らからドヤされちまう」

「後は官邸トイレの便座カバーがベンジャミンの花柄に統一された、くらいですかね」

「んなもんどうやってニュースにしろと……」


 とここで峯木は固まった。小倉も次のネタを言おうとしていたから、急に言葉を失った彼を見て様子を窺っていた。


「なるほど……そういうことか……」


 にやり、峯木は笑った。その顔は、かつて献金問題をでっち上げ全く証拠がない状態から民意を動かし前首相を辞任に追い込んだ時と全く同じだった。小倉は少し冷ややかな目をしつつも、峯木が描き始めたシナリオに目を向けた。


「まずベンジャミン。これを聞いて最初に出てくるのは誰だ?政治屋ならまずこいつが出てくる」

「前英国首相のフランクリン・ファン・ベンジャミンですか?」

「イギリスなんて誰も興味ねえ国出してどうすんだよ!!勿論3代前のアメリカ国防省長官のイルミナティ・ベンジャミンに決まってんだろ!!」


 イギリスへのヘイトスピーチだ。


「なぜなら、彼の息子は日本人妻と結婚して日本で暮らしている。そして孫は、東京高裁の検事として職務を全うしている。かなり優秀なんだろ?」

「あー黒田さんってそんな経歴なんですか」

「お前知らずに接触してたのかよ」

「基本あの人麻雀の話しかしないので」


 検察と報道機関はベッタリだ。なんなら警視庁ともベッタリだ。何がおかしい?これも、国民の皆様に正しい情報を早くセンセーショナルに伝えるためのしかたない行動なのだ。これを報道局員は真面目な顔で述べるから面白い。


「まず大前提として、これまで首相が数々の疑惑を払い退けてきたこと、それらは全てこの黒田検事によるものだというストーリーラインを描け。彼の尽力と握り潰しのおかげだと。彼と首相はベッタリ仲良しであると」

「そんな話は聞いたことないですけどね」

「ばかかでっち上げるんだよそんなもん。国民は馬鹿だからわかりゃしないって」


 ひどい暴言だ。全国民怒って良いと思う。


「そしてそのお礼として、便座カバーをベンジャミンの柄に統一した。ってことですか?」


 小倉の言葉に峯木は態とらしくため息をついた。


「それだけじゃ弱いだろ? ここで黒田の奥さんだ。奥さんは有名な政治家だから、特にこちら界隈ではよく名が知れている。沖縄基地の移設反対と基地による経済効果を試算した命知らずな女性だよ。今でもそうした活動を続けている」

「はあ……」

「ベンジャミンの和名を調べてみろ」


 小倉は言われるがままにWikipediaを開いた。そこに書かれていたのは……


「シダレガジュマル?」

「そうだ。ガジュマルと言えば、沖縄だろ? つまりこれは黒田検事本人への忖度ではなく、その奥さんの活動も支援するという意味も込められているんだよ」

「……単に古くなったから変えるだけだと思いますけどねえ」


 というか担当者もそう言ってたしと、小倉は思った。後実物を見たけど、そんな問題になるようなものではないと小倉は確信していた。あえて火をつけようとしない限りには。


「そして最後だ。ベンジャミンには花言葉がある。調べてみろ」


 小倉はまたGoogle検索をした。そこに出てきた言葉を察して、小倉は頭を抱えたくなった。


「なるほど、【融通の効く仲間】ですか」

「そういうことだ」

「めっちゃこじつけですね」

「ああ、こじつけさ。でもいいだろ?読者が求めるのは正しい情報じゃなくて、自分に都合の良い情報だ。だから政府は悪者じゃないといけねえんだよ。じゃねえと、


 そう峯木が最後の暴言を吐くと、小倉への感謝の言葉も無しに企画書を作り始めていた。


「今回は流石におりますからね。財政出動についての特集記事書く必要あるんで」

「またそんな国民の99%が興味ない話を……」

「適当な部下引き連れて頑張って下さいね」


 そう言って小倉は自分のデスクに戻っていった。峯木も最初から小倉を頼る気はなかった。もっとネットに強い人材を探しつつ、峯木は記事を作成していた。








 後日、峯木のスクープは多くのメディアで取り上げられた。


 まずはテレビ。グループ会社の旭丘テレビを筆頭に多くのテレビ局が取り上げた。主に黒田検事のこれまでの来歴を紹介した上で、安倍総理との関係を示唆。その背景としてトイレの便座カバーを変更した

 ことも挙げられていた。


【見て下さい。官邸のトイレの便座カバーが全てベンジャミンになっております】

【1階だけではございません。全ての階で便座カバーが変更されています】


 やはりテレビはすごい。ネットではできない取材力だ。峯木は鼻高々になりつつ、民意の反応を見るべくTwitterを見た。


 今回はTwitterにも仕掛けがあった。頭の固いお偉いさんに頭を下げ、ようやくTwitterでの宣伝が認められたのだ。そこでテレビ局や雑誌のコネを使い、有名な芸能人に以下のハッシュタグをつけて投稿するようお願いをした。


【#黒田検事の首相癒着に抗議します】


 そして雇った工作員にこのタグをつけて大量投稿するように指示。結果として500万ツイートとなりTwitterのトレンドに載るほど広まりを見せた。中には黒田検事の個人攻撃やその奥さんの個人攻撃をしている者もいた。無論そんなの黙認だ。相手が悪人だと思わせられるのなら何でもいい。


 そして最後には野党の存在。三権分立まで話を広げた野党は、首相を強烈に糾弾した。どうしてベンジャミンじゃないといけなかったのか?? 猫柄ではダメだったのか!! という批判は花猫論争と評され話題を掻っ攫った。更には黒田夫妻の証人喚問も要求。これも連日メディアを騒がせた。


 こうした世論の高まりを誘導した峯木には、社内からも社外からも称賛の声が上がっていた。


「小倉くーん!! ごめんねえ元々は君が拾ってきた話だったのに、僕のおかげみたいになっちゃってさー」


 その結果、峯木はかなり助長していた。今も全く関係のない記事をまとめていた小倉にだだ絡みしていた。小倉は迷惑そうな顔をしつつ、その細い目をさらに細くした。


「別にいいですよ。元々追いかけるつもりもなかったですし」

「いやぁクールだねえ。こっちなんかあっちこっちで称賛の嵐だよ!! 部数が上がったとか、視聴率が上がったとか、色んなところから褒められちゃってもうてんてこまいって感じで……」

「そうですか。でもネットじゃ色々言われているみたいですけど?」


 小倉はそう言いつつ律儀にもネットで上がっている陰謀論を提示した。


「野党議員が猫って言ったことに、こんな声が上がってるみたいですよ。1、猫とは有名な左翼団体肉球党と関連しており、過激左派とマスコミが繋がっている証拠である。現に左派の暴力事件等マスコミは全く報じていない。2、中国の次期国家主席候補の毛猫猫モウマオマオとの癒着を表している。現に旭丘新聞は不自然なほど中国を持ち上げた記事を掲載することで有名。3、黒猫には不幸の意味が込められているにも関わらずそれを提案したということは、この活動に参加しているものは皆この国の不幸を願っているのだ。こんな感じですかね?」


 小倉はそう言ってまた人参を食べ始めていた。馬かよと峯木は思った。そしてネットの意見に目を通して一言、


「ったく、これだからネットの陰謀論は嫌いなんだよ」


 とぼやいた。小倉はそこからの言葉を聞いているふりをしていた。そして彼のタスクである消費増税の特集について情報を集めていた。


「大体猫って言い始めたのは野党議員の勝手な例え話だし、うち関係ないだろ。つか肉球党ってなんだよふざけてんのか!? しかも次期国家主席候補は毛恵蘭もうけいらんで猫猫は幼名だし、黒猫に関しては言いがかりレベル。馬鹿にしてんのか?」


 峯木は小倉のスマホを乱暴に返した。


「大体便座カバーが黒猫になっただけで忖度とか発生するかよ、馬鹿じゃないか!?んなことよりもっと政策のこととが議論しろっての」


 いやお前らがその難癖を最初にやり始めるたんだろ!? 小倉はそう突っ込むのを我慢しつつパソコンを見続けていた。峯木もこんな声が上がっていることなど忘れて、情けないため息をつきつつ更なる追及記事を更新していた。


 状況が変わったのはそれから数日後、黒田検事の妻が自殺したことだった。










 個人攻撃という点では、検事本人よりもその妻の方が激しかったのは事実だ。元々左翼系からはその思想より嫌われていたこともあり、公然と死ねや殺すと言った言葉がSNS上で呟かれていた。それにより心が病んだ末の自殺だったという。


 メディアは即座にSNS自体を攻撃した。ネット民が引き起こしたことで、うちは顔を出しているから誹謗中傷してもいいとのスタンスを取った。それもまたネットで炎上した。


 そしてとあるネット民が、突き止めてしまったのである。この騒動の発端が、旭丘新聞の峯木記者の妄想に近い記事だということに。


 そこから世間で叩かれるのは新聞の方になった。毎日のようにオフィスには人殺しだのお前が死ねばよかっただの連絡が届いた。無論部数も急落し、なんなら旭丘新聞を燃やす動画がアップされるほどになった。


 そして峯木の個人情報が掘られ始める。そこには過去に献金問題をでっち上げた話も入っていた。これにより個人攻撃は加熱。峯木は一気に世間から爪弾きにあったのだ。


 毎日のように罵詈雑言が届き、疲弊しきっていたとある日の夜、社内での評価が最低ランクにまで落ちた峯木は、会社からの帰り道小倉からの通話に応答した。


「あー峯木さんお疲れ様です」

「……お疲れ様……」

「今、後ろに黒服着た人いません?」


 ネオン街から少し細い道に入ったいつもの帰り道。確かに後ろには……黒スーツを着た男がいた。


「……いるけど……」

「良かったー。これで先輩の最期が聴けます!じゃあ、頑張って逃げてくださいね。相手銃持ってますから」

「はあ!? お前何を??」


 小倉に言い返そうとした瞬間、両足首を撃たれた。


「うがっっっ!!!」


 鈍い声がした。そのまま崩れ落ちてしまった。小倉は既に遠くなった電話越しに、こう言った。


「ほら、今先輩炎上してるじゃないですか?もうさすがに会社も庇えないらしくてね」


 黒服が近づいてくる。峯木は身体中の体液を撒き散らしながら言葉にならない声で抵抗する意思を見せていた。首をブンブン振ったり、手をブンブン振ったり。


「だから、この会社のために死んでください。死んだら後で神格化されますし、死者を叩くのはこの国ではご法度です。誰か死にさえすれば、世界は反転するんですよ。だから大丈夫です」


 それでも黒服はやめない。峯木の胸元を左手で掴みつつ、右手で銃口を脳天に引っ付けた。


「お前……!! どうして……」

「お世話になった先輩に向けて、人生最後に餞の言葉を差し上げようかなあと。【信頼】」


 銃声が鳴り響き、銃弾は峯木の脳天をブチ抜いた。


「貴方の大好きな、ベンジャミンの花言葉ですよ。って、もう聞こえてないでしょうけど」


 これ以降、峯木を叩いていた集団がまた別の集団に叩かれたことは、容易に想像がつくだろう。

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「官邸のトイレの便座カバーが花柄に変わるらしい。こりゃ内閣総辞職しかないな」 春槻航真 @haru_tuki

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