第5話

 ひやり、と気温が下がるのを感じる。

 依田は栗栖の瞳を見て身震いした。首すじがぞわぞわとする。

 栗栖の目はまるで吸い込まれるような闇の色をしていた。


「依田先輩、オカルト、見たいんですよね。もし、私が先輩の見たいものを見せられたら、先輩は私のことを見てくれますか?」


「栗栖……、どうした?」


 ざわざわと身の毛がよだつ感覚。

 今すぐこの場を逃げ出した方がいいと、直感が依田を逸らせる。しかし、依田は栗栖から目を離せずにいた。


「——だから、私のことを見てくださいよ!」


 栗栖が吠えた。

 女性のものとは思えない低く轟くような声に、依田は身をすくませた。栗栖の声に呼応するようにかたかたと部室の椅子が動き出した。椅子は重力を無視し浮き上がると、依田めがけて突進した。


「丙式魔術、蒼炎壁!」


 大宮の声が怪異に飲まれつつある空間に響くと、椅子と依田の間に蒼色の焔の壁が現れた。椅子はそのまま焔の壁に突撃し、依田に到達することなく燃え尽きた。


「大丈夫か? 依田くん」


 栗栖の空気に飲まれていた依田は大宮の声に我にかえった。


「は、はい。大丈夫……です」


「やー、ちょっと大変なことになったね、これは」


「何のんきしてるんですか。というか説明してくださいよ、この状況を!」


 古城ががなった。


「なんでもかんでも自分勝手に進めて! ちゃんと説明してくださいよ!」


 日頃の鬱憤を晴らすように古城が吠える。

 依田の不安に拍車をかけるこの行動は、魔道士見習いとしては失格といえる行動だが、大宮は特にフォローすることも、古城に状況を説明することもなくどこ吹く風といった様子で魔道書をペラペラとめくっている。古城は大宮の態度に眉間にシワをよせながら、ポケットから護符を取り出した。古城は依田に駆け寄り「とりあえず、これを持ってれば大丈夫だから」と護符を握らせた。依田は言われるがまま護符を握りしめる。その間も、依田の目は栗栖に釘付けになったままだ。


「先輩、先輩。この前ポルターガイストの本貸してくれましたよね。どうです? 実際見てみて、私が見せてあげてるんですよ、今。もっともっと先輩に見せてあげますね」


 栗栖の口角が不気味に上がる。

 彼女がまるで指示でもするかのように腕を振り下ろすと、部室にあった机、椅子、本、文具などが重力から解放されたように浮き上がる。それらは彼女の高笑いとともに、大宮たちに襲いかかった。


「丙式魔術、蒼炎壁」


「簡易符術、堅鱗符」


 襲いくるポルターガイストは蒼い炎の壁と、自在に宙を舞う鱗に変じた符に破壊され、阻まれた。栗栖は舌打ちをする。


「学校の備品壊しちゃってるけど、大丈夫かな」


「今はそれどころじゃないでしょ、とにかく栗栖さんを落ち着かせないと! 説明もなしにこんな事態を招いて、勝算はあるんですよね!」


「もちろんだ、ここまで怪異に飲まれていたのは誤算だったが、ちゃんと考えてるよ!」


「だったら早くなんとかしてくださいよ。護符だって限界がある。依田くんに危害が及ぶなんてこと起こしちゃダメですからね」


「分かってる! ちょっと待て」


「そんなに待っていられませんよ」と古城に急かされた大宮は、一度深呼吸したあと魔道書に手をかざした、「ホントにちょっと待ってくれたら解決するから」


「——ねえ、先輩。学校の七不思議、知ってますよね」


「……栗栖、落ち着いてくれよ。なあ、なんでこんなことするんだ?なんで僕がこんな目にあわなくちゃいけないんだ」


「大丈夫です。ちゃんと先輩に見せてあげます」


 話が通じない、依田は呆然と栗栖を見つめた。すると彼女は急に顔に笑みを浮かべる。栗栖の微笑みに応じるように壁から、床から、天井から、真っ白な手が無数にのび出てくる。血の気を感じさせない不気味な手は皆一様に依田に向かうが、護符が彼を守る結界となり、手はなかなか近づかないでいる。無数の手は依田を取り囲むようにゆらゆらと不気味に揺れている。依田は七不思議の恐怖にとらわれ動けないまま、湿った護符を握りこんだ。護符の色は濁りつつあった。


「依田くん、そこから動かないで! 符術展開、堅鱗陣」


 古城が符術を展開すると、数々の鱗が空中を旋回し、依田を囲むように旋風を巻き起こした。巻き込まれた手はズタズタに切り裂かれ、依田に辿り着くことなく消滅していく。しかし、手は四方から絶え間無く現れてくる。護符も古城の符術も限界がある。


 元凶である栗栖をなんとかしない限り、この状況を打破することはできない。


「大宮先生!」


 苛立ちを含んだ声で古城が叫ぶ。


「よし、準備できたぞ」


 大声をあげ大宮は古城に答えた。そして、


「丙式魔道書魔術最大出力、不知火・紅」


 大宮は静かにつぶやいた。

 すると、彼の魔道書を中心に紅の炎が燃え広がり瞬く間に部室中を炎が満たした。しかし、何も燃えることはなく熱も感じない。浄化の炎だ。炎の海の中、依田と古城が静かに佇む一方で、栗栖だけが尋常ならざる苦悶の声を上げながらうずくまっていた。栗栖はしばらく炎の中でのたうち回り、動かなくなった。


 やがて紅の炎が消えてしまうと、西日の差す教室には大宮と古城、呆然と立ち尽くした依田、そして、静かに眠る栗栖が残されていた。





「——ありがとうございました」


 大人しそうな高校生は、静かに礼を告げるとすぐに荷物をまとめ事務者を後にした。小さな後ろ姿を心配そうに古城は彼を見送った。


「彼ら、大丈夫ですかね?」


「心配だが、カウンセリングは専門外だしなあ。しばらくはここに相談しに来るといいとは言ったけど、誰かちゃんとしたカウンセラーを紹介しておこうか」


 結局、依田の周りに怪奇現象を起こしていたのは栗栖であった。いや、栗栖が、というより彼女の情念が無意識のうちに暴走した結果というのが正確かもしれない。たまたま怪異を呼び込みやすい状況にあって彼女の恋慕が強すぎたのだろう。大宮の浄化の炎によって残滓も残さず怪異は焼き払われたものの、今後どうなるかは依田と栗栖次第だろう。


 オカ研部室での一件の後、学校や依田へのとりあえずの説明を済ませた大宮たちは、すっかり日が暮れた事務所でしばらくの休息を過ごしていた。明日からはしばらく忙しくなることだろう。


「栗栖秋葉には、自分が怪異に飲まれていた自覚はなかったようだしな。彼女、怪異との感応性が強いんだろう。魔道士になるなら良い才能といえるんだろうが……」


 苦労するだろうな、大宮はどこか遠くを見つめながら呟いた。その横顔に少し寂しさを感じ、古城は元気付けようと明るく振る舞う。


「代金も取らず、魔道書を一冊消費してまで高校生のために尽力するなんてさすがです。見直しました大宮先生!」


 珍しく褒められたことに大宮は照れ臭そうにしばらく黙ってしまったが、その後「あっ」とすっとんきょうな声を夜の事務所に響かせた。

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