第64話:闇の中
「どうしてその名を?」
「ナビアという女性が口にしていた。最期に、アデルという方を気にかけているようだった。だから、その事実だけを、伝えてほしい」
リオンは、いまさら謝罪が通じるとは考えていなかった。しかし、ナビアが死の間際まで気にかけていた人がいたのであれば、その想いだけは伝えて欲しかった。
「伝えようがない」
「亡くなられたのか?」
「アデルは、ナビアの実の息子だ。もう随分と昔に、帝国に連れ去られた。そうだな、生きていればちょうどお前くらいの──」
マナが、なにかに気づいたように口をつぐむ。それから、少し思案し、ゆっくりと、また話しはじめた。
「ナビアはアデルのことを、自分と同じ瞳と髪を持った子だと。自分に似てくれて誇らしかったと、以前そう言っていた」
マナは、思い出すように視線を上に向けながら言う。
リオンは、ナビアの、瞳と髪を思い出す。恐怖に見開かれた瞳と、傷んで艶のない、闇に溶け込んだ黒い髪。
「まさか……」
マナの言わんとすることを理解して、リオンは、心臓が一瞬止まったような、鋭い痛みを胸に感じた。
ナビアという女性は、最期の瞬間、リオンを見つめていた。あの言葉は、離れたところにいる誰かにではなく、他でもないリオン自身に向けられたものではなかったか。
鼓動が早まり、息が苦しくなる。まっすぐ立っていられなくなり、側の机に手をつく。こみあげてきた吐き気を必死にこらえる。
リオンの様子を、マナは冷たく見つめていた。
「まぁ、ただの思い過ごしだろう。あの頃は、一年のうちに数百人はこどもが帝国に連れ去られたという。同じ特徴を持った子など、他にもいるだろう」
冷静を装っているが、マナの拳は、きつく握られ震えていた。
「そうでなければ、ナビアがうかばれない」
今度こそ、マナは小屋から出ていった。
リオンは、しばらくの間、深く息を吸って吐くことを繰り返し、どうにか息を整えた。
タリル旅団の、自分と同じ歳頃の兵たちの顔を思い出す。黒髪の男の顔も、何人か思い浮かぶ。
自分であるはずがない。自分であってはならない。
ナビアと向き合っていた時、あたりは薄暗く、松明のわずかな灯りしかなかった。自分の子供であっても、その姿を見ることもなく、ずっと生きてきたのだ。わずかな面影があったとしても、暗闇の中で、判別できるはずがない。
ナビアの恐怖か、もしくは希望が、最期の瞬間にこどもの名を口にさせたのだ。
いまとなっては、本当のことは誰にもわからない。
リオンは、柱にもたれて座り込み、しばらくの間、身動きもせずにうつむき、地面を見つめ続けた。
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