第63話:それぞれの喪失
「娘はまだ小さい時に、帝国のやつらに連れて行かれてしまってね。きっともう生きてはいないんだろうけれど。それでも、三人分の食事を並べて、娘のことを思い出しながら、どうにか暮らしていってるんだよ」
エジルの妻が、空席の理由を語る。
リオンとセイラは、黙り込む。
「すまんね、しんみりとさせて。こんなつもりではなかったんだが。習慣になってしまって、なかなかやめられなくてね。もう随分と前の話だし、私ら夫婦も、いまは前を向いて暮らしているから。気にしてないでくれ」
エジルが慌てて取り繕う。
「きっと、娘さんは、どこかで元気に暮らしていますよ。だって、帝国はわざわざ連れていったんでしょう。なにか理由があるはずです」
セイラが二人を慰める。
「ありがとう。そう信じるよ。私たちでは、帝国にのりこんで娘を探すこともできない。山岳では禁じられているし、行けたとしてもできることはない。娘を守れなかった自分たちを責めることも多いんだが。娘が元気だと言ってくれる人がいるだけで、救われる」
エジルは寂しそうに笑う。
しんみりとした空気は続き、そのままその会はお開きとなった。
セイラは、少し里の中を見て回ると言っていた。リオンが一人で小屋へ戻ると、しばらくしてマナが訪ねてきた。
「この里の人は……いい人達ばかりだな」
「資源の少ない山岳では、助け合わないと生きて行けないからな。強欲に領土を拡大しようとばかりする帝国と違う」
「ああ、それはよく分かったよ」
リオンは肯定する。
なにか用があるのかと、マナが話すのを待ったが、それきり口を開こうとはしなかった。マナにじっと見つめられ、リオンはどぎまぎとする。なにを求められているのか分からなかった。
むしろマナの方が言葉を待っているようだったが、リオンがしばらくなにも言おうとしないのを見て、踵を返して小屋から出て行こうとする。
「あの……」
リオンはつい呼び止める。マナが立ち止まり、鋭い目つきで、再びリオンを見つめる。
つい呼び止めたはいいものの、リオンはなにか言いたい事があるわけではなかった。なにか言葉を紡ごうと頭が空回り、そして、ふと、自分が斬ったナビアという女のことを思い出した。マナの育ての親だという、足を怪我していた黒髪の女だ。
「アデルという人に、伝えて欲しい」
リオンが口にした名を聞いて、マナがぴくりと眉を動かす。アデルとは、ナビアが最期に口にした名だった。伴侶か誰かの名だろうと、その名を聞いた時には考えた。今日まで、思い出すこともなかった名だ。
あの女は、リオンが斬った数多くの山岳の民の一人に過ぎない。しかし最近の任務で会ったばかりであったため、よく覚えている。マナの育ての親だと知って、余計にあの夜の記憶が呼び覚まされてきた。
白い足を流れる鮮血。傷んだ黒髪。痩せこけた頬。自分が容赦無く切り捨てた命は、だれかにとってかけがえのないものだったのだ。
そんなことは分かって、軍人としての職務を全うしていたつもりだった。しかし、相手を邪な賊徒と侮る気持ちはどこかになかったか。
分かっているつもりで、なにも深くは考えていなかった。取り返しのつかないことをしていたのだと、この隠れ里に来て、人々に触れて、初めて理解した。
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