第62話:空席
「この里に、軍のようなものはあるのでしょうか?」
リオンがたずねる。
自分が農具を持っても、この里のためできることはかぎられている。それに、そんな穏やかな暮らしに、自分が値するとはリオンはどうしても思えなかった。やはり、自分には剣しかないのだ。
「軍といえるほどのものはないね。自警団はあるが。それに、帝国軍と戦おうとしても、やつらは謎の、強力な武器を使うんだ。無理をして鉄の剣を揃えても、まるで歯が立たなかった」
エジルが答えた。
「帝国の、魔道武具というやつでしょう。しかし、この里でも、マナが持っている槍はおそらくその一種です。他にもあるのではないですか?」
「他にはない。あの槍はこの山岳に伝わる宝具だよ。あの槍を持つものが、山岳の民を救いに導くと言われている。しばらく扱える者がいなかったんだが、マナが風を起こしてね。それ以来、あの子はみんなの希望なんだ」
いくら適性があったとしても、魔道武具を扱うためには厳しい鍛錬が必要になる。教える者もいないこの場所では、確かに魔道武具を使いこなせるとは思えない。マナが風を起こせたのは、奇跡に近い。
「しかし、たった一人強い兵がいても、帝国には勝てないでしょう」
「そんなことは皆わかっているさ。あの子は象徴なんだ」
象徴、とはどいうことなのか。リオンが腑に落ちないでいると、エジルが説明を続ける。
「イルマ山岳は、昔は風の里とも呼ばれていてね。強い風が吹き抜けて、この山岳にたまる瘴気を浄化していたという。風が止んで、空気が淀み、山岳の民は呪われたとも言われている。また、昔のように、風が吹く。山岳の民はそう信じているのさ」
「私たちの生まれる、ずっと昔の話だからね。心から信じている者はそれほど多くないが。それでも、そんな話でもないと、他にすがるものがないからね。心の支えのようなものだ」
エジルの妻が言い添える。
山岳の民話のようなものだろうか。リオンたちが帝国では聞いたことのない話だった。帝国が皇帝を、教主国が彼らの唯一神を崇めるように、山岳の民にとっては風がよりどころなのだろう。風というよりは、自然そのもの、自然崇拝に近いものか。
とにかく、山岳の民に頼れる武力がないことは分かった。一人強い兵がいても、どいうにもならない。その自分の言葉が、自分自身を締め付ける。それは、マナがリオンに言ったことと全く同じではないか。
悩みながらも食を進める。皆が食べ終わったところで、空席の前に一人分の食事が残った。エジルの妻が、それを全員にとりわける。
「本当にいいんですか」
セイラが申し訳なさそうにする。彼女も、これがこの山岳ではごちそうであるということを分かっていた。
「いいんだよ。私たちの娘のものだがね。習慣で用意しているだけで、もうここにはいないから、残しても腐らせてしまうだけだ」
エジルがさびしそうに言った。
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