第56話:怒り
「どうしてお前がその名を知っている」
マナが驚き目を見開く。
「山賊の民の一人が、足に怪我を負っていた女性を、そう呼んでいた」
「お前もその場に居合わせたのか」
マナの問いに、リオンは答えられない。
説明しようとするが、言葉が、喉で詰まるように出てこない。
「まさか……お前がナビアを殺したのか」
自分を落ち着かせるように、マナが静かに問う。
「……すまない」
リオンはうなだれる。
マナの拳が震え、目を見開き怒りの形相で、槍を振りかざした。
「だめっ!」
セイラが、手を縛られ不自由なまま、リオンの前に身を投げ出す。
「セイラ、やめろっ」
リオンは叫ぶ。
「でも」
「いいんだ。彼女には、こうする権利がある」
自分のために、セイラまで危険にさらすことはできない。
「なあ、俺は自業自得だ。君の好きなようにしてくれて構わない。だが、セイラのことは、助けてくれないか。帝国の育ちではないし、山岳での任務に積極的に関わろうとはしてこなかった」
「だがその女も、私たちへの虐殺を止めようとはしなかった」
「誰にも止めようがない! 国家の、仕組みなんだ。誰かが逆らったところで、どうにかなる問題ではない」
「そうやって、お前らはなにも考えず、ただ命じられるがままに、人々を殺す。軍人の務めだ、国家のためだと、言い訳をしながらな。責任を、組織に、国家に押し付けて、何食わぬ顔でのうのうと楽しそうに生きている」
激しい怒りだった。長年の、帝国に対する恨みが吹き出したのだろう。話しながら、マナの目から涙がこぼれる。それにも構わず、マナはさらに激高する。
「お前がやらなくても、他の誰かがやっただろうな。だからこそ、お前らは、自分の罪から目を背けて、無自覚に、無責任に生きられるのだろう。だが、虐げられた側は、忘れない。恨みながら、死んでいく──」
そこまで言って、さらに大粒の涙がこぼれ落ち、マナはそれを拭う。リオンもセイラも、何も言い返せない。
「後悔しなくていい。罪を償う必要もない。なぜなら、個人の罪ではないからな。責任はない。ただ、お前が手を下して殺してきた人々と、大切な家族を奪われた人々の、恨みをあびて、苦しんで死ね。だが……それはいまではない」
マナは、振りかざした槍を、二人に向けることなく、ゆっくりと降ろした。
「俺を、殺さないのか」
「そう簡単に死ねると思うな。お前の命を使って、仲間たちの命を一人でも多く救う手がないか、考える。それまでは生かしておいてやる」
言い終えると、二人を後ろ手に柱へ縛り付け、マナは小屋から出ていった。
「俺は……」
リオンはつぶやく。涙が頬をつたう。
自分に泣く権利などないのだと、リオンは自信を戒める。しかし、とめることはできなかった。セイラに聞かれないよう、声を殺して泣く。
セイラも、マナが去ってから何も言おうとしない。長い沈黙が小屋の中を流れた。
その沈黙は、破られることなく翌朝まで続いた。
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