第26話
たしかに直感的に分かることはある。私の『ファンタジーワールド』はママ以外の生物や非生物のどれにでも使用可能だが、この対象の中に作った異世界に足を踏み入れるのだけは絶対に止めた方がいい、とそう思える時がある。
第六感。
不死子はきっとそのことを言っているのだ。彼女の第六感が、絶対に止めたほうがいい、と警鐘を鳴らしている。危険な何かが起きるから。そう言われては、強くは言えない。
「わかったさー。でも、ママはこの先どうなるさー。私達にできるのは、死んでいくママを看取ることだけなのさーか」
「狂犬病にかかると100%死ぬ、というのは、狂犬病ウイルスが脳にねずくためです。ウイルスは脳を乗っ取ることで、人を死にいたらしめるのです」
そんな……。
「うえーんうえーん」
私は大泣きした。それを見て、不死子は再び困った顔をした。今日は何度も何度も困らせている。
「まだ仮説の段階です! 本当におばさまが狂犬病に感染しているとする仮説が正しかったとして……まあ、通常ではその時点で諦めるところでしょうね。でも、手がないとは言っていませんよ。法子さんはこの異世界を作るという能力をお持ちです。一般的には致死率は100%ですが、対処をする余地は残されていますわ」
「ほ、本当さーか?」
私は希望を持って、不死子の両腕をガシッと掴んだ。
「ようするに、狂犬病ウイルスを脳に到着させなければいいわけです。先程の繰り返しになりますが、狂犬病ウイルスは人間の脳に根付いて、脳を乗っ取ることで人間を殺します。現実の世界では無理な作戦ですが、この異世界でならできる作戦があります。それは、ウイルスが脳に到着する前に、そいつらを倒してしまうというものです。ただし今現在、すでに脳に到着していた場合は、その作戦はとれませんけどね」
「本当さーか? だったら、脳に行くさー。すぐに脳エリアまで行くさー」
「ええ、行きましょう」
私達は赤血球タクシーを呼んで、脳エリアに急いだ。脳エリアには『脳幹トンネル』と呼んでいる場所を通ってのみ行ける不思議な場所だ。そのエリアの景色は、宇宙のようでもある。満点の星々が常に輝いていて、星々の光が照明代わりにもなっている。そんな脳エリアまでやってきたところ私は愕然とした。なんと狂犬病ウイルスのスライムたちが大勢でないにしろ、いたるところに点在していたのだ。
「て、手遅れでしたか……」
「まだまだ分からないさー。こんにゃろー、全部、私が退治してやるさー」
「わたくしも助勢しますわ」
私と不死子は狂犬病ウイルスに立ち向かい、倒していった。狂犬病ウイルスは基本的に動きが緩慢だ。しかし、倒しても倒しても分裂して、逆に数を増やしていく。
「の、法子さん……無理ですわ。このままでは、ウイルスを倒し切る前に、私達の体力が底を尽きて、お陀仏になってしまいますわ」
「うわああーん。倒すさー。死んでも倒すさー」
「無理ですって。一旦、帰りましょう」
「いやさー。私は戻らないさー。うわああーん」
私は泣きながら、狂犬病ウイルスに針を振り下ろし続ける。
「……仕方がありませんわね」
不死子は私の首筋を手刀で叩いてきた。不死子に攻撃されるとは思っておらず完全に油断していた。意識が薄まっていき、完全に途絶えた。
目を覚ますと、そこは病室だった。
隣のベッドにはママが眠っている。私が横たわっていたベッドには不死子もいた。不死子は私が目を覚ましたのを確認し、話しかけてきた。まだ縮小化を解いておらず、彼女の体は小さいままだ。
「おやおや、起きられましたか。法子さん」
「不死子……ここはどこさー?」
「ここはうちの病院ですわ。おばさまの容態がとても悪くなっておりましたので、法子さんのスマートフォンを借りまして、うちに電話して、ヘリ輸送しましたの」
「私、すぐにママの中に戻るさー。戻って、あいつらを全滅させるさー」
「無駄ですから。私達が倒す数と、狂犬病ウイルスたちが分裂して増える数は、完全に増える数の方が多かったですわ。法子さんと私がいくら頑張っても、数を減らさせるどころか逆に刺激して、数を増やしてしまいます。本来ならわたくしも何時間でも戦っていたいと望むところですが、あのままでは確実におばさまの容態が悪くなると思って、止めましたの」
「でも、何もせずに、ママの死を待つのだけは嫌さー」
「先程、うちの医者に検査をさせまして診査結果も出ました。やはり、おばさまは狂犬病に感染していたようです」
「や、やっぱりさー。あのスライムめー」
私の中で狂犬病ウイルスに対して、癌細胞モンスター以上の憎しみが湧き上がってくる。
「ところ法子さん、わたくしは狂犬病に感染して、ウイルスが脳に達してしまえば100%死ぬと言いました。でも、色々と調べてみましたところ、その状態からでも狂犬病患者が回復したケースがあったみたいです」
「な、治るのさーか?」
「その為にわたくしもたくさんの薬を創造し、準備していたのですわ。どうですか? おばさまを救う為に、わたくしに全てを任せてくださいませんか?」
「方法があるのなら、頼むさー」
「では、これから行うわたくしたちの作戦名を告げます。作戦名は『ネオ・ミルウォーキー・プロトコル』です」
「なにさー。それは」
「ミルウォーキー・プロトコルというのは死傷率100%である狂犬病を治したことのある治療法のことですわ。ただし、まだこの治療法は確立していません。しかしながら、成功率1割ではありますが、100%死ぬこの病気を治した実績はあるのです。この療法を外部からではなく、おばさまの体の中の世界で直接行うのです」
「やるさー。その作戦をすぐに実行するさー。すぐに行くさー」
いさみ立ち上がる私を、不死子は制止してきた。
「まぁまぁ、待ってください。この作戦は長丁場になると思われる作戦ですので、まずは、しっかりと内容を把握してください」
「わかったさー。だったら、早く教えてほしいさー」
「分かりました。ではまず、ミルウォーキー・プロトコルの術式について説明します。狂犬病ウイルスというのはですね、どうやら感染者の脳の働きと比例して強くなる、という特徴があるらしいのです」
「くっそー、何でか分からないけど忌々しいウイルスさー」
「そこで、おばさまを昏睡状態にさせます。おばさまの脳の働きを抑制して、狂犬病ウイルスの力を限界ぎりぎりまで弱体化させるのです」
「そんなことができるさーか?」
「できます。では、続いてのミルウォーキー・プロトコルの術式ですが、『ケタミン』という薬を使ってウイルスの転写、つまりは狂犬病ウイルスの分裂を抑制します」
「あの分裂は、厄介だったさー。それをさせなくできるのなら、大助かりさー」
倒しても倒しても、分裂で増えていくのだから、幾ら倒してもきりがなかった。
「狂犬病ウイルスの分裂を抑制している間に、抗ウイルス剤を使って狂犬病ウイルス掃討作戦を決行します。ミルウォーキー・プロトコルの術式を簡単に言ってしまえば、敵となる狂犬病の力を『患者を昏睡状態にする』ことで弱体化させ、『ケタミン』で分裂させないようにして、狂犬病ウイルスをやっつけることのできる『抗ウイルス剤』で一掃する、というものです」
「なるほど、仕組みは分かったさー。弱らせて叩くのは戦略の基本さー。どうして、この治療法は確立していないのさー」
たしか、成功率は1割と言っていた。10回やってみて1回のみしか成功しないということだ。
「昏睡状態にしたりと、色々と患者さんにムチャをするからですわ。なので100%近く成功する、といった術式ではないのです」
「でも、それしか道がないのなら、やってほしいさー。100%じゃなくても、私の頑張りで無理やり100%に底上げしてやるさーー」
「おほほほ。わたくし『たち』ですわよ。この一連の術式を、おばさまの体内で直接行うので、たしかに頑張り次第では100%に近づけるかとは思います」
「でも、ここは不死子の家の病院さー。大丈夫なのさーか?。そんなことをやって」
「もちろん、昏睡状態にするので同意書にサインはもらいますけど、なんとかなりますわ」
「不死子の家に迷惑はかけたくないさー。でも、助かる道を見つけてくれてありがとうさー。ママに何かあっても、不死子の家には迷惑かけないようにするさーよ」
「お気遣いありがとうございます。それで、しばらく学校をお休みしたりすることにもなりそうです、大丈夫ですか?」
「もちろんさー」
「了解しましたわ。学校はわたくしと法子さんが、一日交代で休めば、それだけでも、とかなるとも思います」
「不死子はいいのさーか?」
「もちろんです。わたくしがいないと、普通なら手に入らない薬たちを、誰が創り出すというのでしょう。これはタッグプレイです。それにわたくし、これを好機とばかりにレベル上げをしたいですし。おほほほ」
私は眉間にしわを寄せて、不死子をじっと見つめた。
「も、もちろん、わたくしのレベル上げより、おばさまの回復を優先して考えてますわよ。お泊りしに行った時に、おばさまの手料理を食べられなくなるのは寂しいですから」
「ありがとうさ。じゃあ、いくさー」
それから数時間後、必要となる準備を終えてから、再び私はママに『ファンタジーワールド』をかけた。そして体内に入る。
そして、狂犬病ウイルスとの戦闘の日々に突入した。結末だけを述べるならば、抗ウイルス剤を率いた私達の軍団は、ママの体にはこびる狂犬病ウイルスたちを、一網打尽にすることで戦闘に勝利した。通常の術式にネオを頭につけた『ネオ・ミルウォーキー・プロトコル』の戦略は、従来の方法とは全く違ったアプローチの戦略だ。
私の能力でケタミンと抗ウイルス剤にそれぞれ魂を持たせて、彼らにシンプルな指示を出すことで効率よく、様々なエリアに出現していた狂犬病ウイルスを倒すことができた。この術式の最大の難関は、昏睡状態となった患者が目覚めるかどうかというところにある。人為的を昏睡状態にした場合、確実に目覚めるとは限らないのだ。
狂犬病ウイルスの全てをママの体から除去した後、私たちができることは待つだけであった。意識が回復してもいい頃合いだが、ママはいっこうに目覚める気配はなかった。私は学校が終わると、毎日のようにママの病室を訪れた。そして、ようやく待ち望んだ日がやってきた。遂にママが目を覚ましたのだ。私はママに抱きついた。
「あらら? どうして私、こんなところにいるのかしら?」
「ママは狂犬病を患っていたさー。100%死ぬ病気だったさー。でも、奇跡が起きたさー」
「あら? そうなの?」
「そうさー。よかったさー」
「だったら私、運が良かったのかしらね?」
「そうさー。運が良かったさー。ママは宇宙一、運がいいさー」
「なんだか不思議なんだけど、宇宙空間のような場所で、法子ちゃんと不死子ちゃんが、悪者と戦っていた夢を見てたのよ」
「そ、そうなのさーか?」
後日、ママは元気になって退院した。
一寸法子のファンタジーワールド @mikamikamika
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