第25話

 とある日の夕食時のことだった。私はママが作ってくれたゴーヤチャンプルを食べていた。


「ゴーヤはうまいさー。……ん? ぁぁあああああ、ママァァァアー」


 食べることに夢中になって気付くのに遅れた。ママはシンクのそばで倒れて意識を失っていた。私はすぐに救急車を呼んで、玄関の鍵を開けた。体が小さいので鍵の開錠をするだけでも大変だ。しばらくして、救急隊員が駆けつけて、ママはタンカーで病院に運ばれた。


 現在、私は医師からの説明を受けている。


「特に何も心配はありませんよ。今は意識も回復されたようですし」


「よかったさー。でも、どうしてママは倒れたさー?」


「さあ?」


「さあって、あんたはお医者さんさー」


「おそらくは、迷走神経反射だと思いますよ」


「それ、なにさー」


「ほら、学校の朝礼で倒れたりする人っているでしょ? あれのほとんどが迷走神経反射で、ストレスが溜まった時、誰にでも発病するものです。しゃがんでいた状態から、立ち上った時、フラっとするのも、迷走神経反射です」


「なるほどさー。つまり、重症ではないってことさーね。お医者さん、ママを診てくれて、ありがとうさー」


 ストレスが原因だったのか。ストレスの原因は一体なんだったのだろうかと思うも、大事にならなくてよかった。 

 翌日、念の為に病院で検査を受けたママと一緒に帰宅した。ママは元気になったようで、よかった。検査の結果、どこにも異常がない様子だった。


 そして数日が経った。この日も私はママの作ってくれた夕飯を食べていた。ラフティーだ。


「ママのラフティーは宇宙一の絶品料理さー。……ん? ぁぁあああああ、ママァァァアー」


 気付けば、ママがシンクの前で再び倒れていた。私はすぐに以前と同じように救急車を呼んだ。そして、病院に運ばれたママは、ほどなくして意識を取り戻した。私は前回の医師から再び話を聞かされた。


「特に何も異常はありませんでした」


「異常がないのさーか?」


「はい。そうですよ。おそらくは今回も迷走神経反射でしょう」


 私は医師を、目を細めながら訝しげに見つめた。


「疑わしいさー。ものすごく疑わしいさー」


「前回、色々と検査をしましたが、その時も特に異常は見つかりませんでしたからねー」


「本当にしっかりと検査してくれたのさーか? お医者さん、私は迷走神経反射じゃない気がするさー。こんな短期間で、そんなに頻繁になるものなのさーか? それにママの体の中に、変な奴らがいるのさー」


「体の中? 変な奴ら?」


「と、とにかく、異常はあるはずなのさー」


 私がママの体の中に異世界を創って入っているのは誰にも内緒である。前回、ママが倒れた時から日に日に、普段は見かけない生物をママの体中で見かけるようになっており、気になっていた。おそらく、そいつが何らかの関わりがあるだろうと思った。今回、救急車で運ばれている時にそれが確信となった。


「異常はありません」


「あるさー! 絶対にあるさー! ちゃんと、見つけてほしいさー」


「……分かりました。そこまでいうのなら、『セカンドオピニオン』をオススメします」


「なにさー。そのセカンドオピニオンってなにさー」


「一か所の病院だけではなく、幾つかの病院で診察してもらい、様々な医師から助言をもらうことです。セカンドオピニオンされますか?」


「するさー! ママが倒れた理由がはっきりするまで、セカンドオピニオンをするさー」


「……ファイナルアンサーですかな?」


「だから、セカンドオピニオンをするさーよ」


「わかりました。でしたら、こちらより設備がしっかりしている病院に行って、最新医療器材による精密検査を受けられたらいいでしょう。招待状を書きましょう」


「お医者さん、頼みますさー。ママが死んだら困るのさー」


 後日、大きな病院に、ママとセカンドオピニオンのために訪れた。そして、精密検査を受けた。そしてその検査結果も出た。


 翌日の昼休み、私は不死子と屋上でお弁当を食べながら、彼女に一連のできごとを相談した。


「……ということがあったさー」


「それは、おもしろ……」


「ん?」


「い、いえ……。それは、とても心配ですね。退院後も、法子さんはおばさまの体の中に入られているのですよね?」


「もちろんさー。ママの体のメンテナンスは私の日課さー」


「そこで、普段は見かけない生き物をみかけるようになったのですね?」


「そうさー」


「それは一体、どのような生き物なのでしょう」


 私はママの体の中で見つけた、得体の知れないものについて説明した。


「のっぺり、もそもそしている生き物さー」


「わ、わかりませんっ! そんな説明だけでは、わかりませんっ!」


「ひと目みれば、わかるさー。大学病院で精密検査をしてもらった結果が出たけど、そこでも何の異常もないと診断されたさー。でも異常があるのは一目瞭然さー。もう、不死子にしか頼れないのさー」


「わたくしを頼ってくださって、嬉しいのですが。頼りがいの度合でいうならば、病院の方がわたくしなんかよりも、はるかにありますわ。そもそも、わたくしまだ、本格的に医学について学んではおらず、表面的な知識しかありませんからね」


「でも、これまで相談したら、大抵の悩みは解決してくれたさー。不死子、頼むさー。助けてほしいさー」


「まぁ、いいでしょう。お役に立てるか分かりませんが、わたくしにできることがあればしますわ」


「ありがとうさー。今日は週末だし、一緒にママの体の中に潜ってほしいさー。レベル上げもさせてあげるさー」


「いいのですか? でしたら、よろこんでっ! 最近は、テスト期間やらおばさまが病院に運ばれたりとドタバタしてましたので、ご無沙汰でしたからね。わたくし、この日をウズウズしながら待ってましたの」


 不死子のお泊りが決定した。最近、テスト期間など色々とあって、彼女はママの体の中に潜れていなかったので、とても嬉しそうだ。不謹慎だと思うも、私も彼女の知恵を借りられるため、とても助かる。


 学校が終わると不死子と一緒にそのまま帰宅した。以前の彼女は学園のロッカーにお泊りセットを常備させていたが、今では頻繁に家に泊まりにくるということで、不死子の衣類などを家に置くようになった。洗面台には歯ブラシもある。


 夕食時、不死子はママが用意したレトルトのパスタなどを食べながら、ママに幾つか質問した。ママの顔色はとても悪く、いつもは手の込んだ夕食を作ってくれるが、体調が悪いからか最近は簡単なものしか作れない。


「おばさまご自身は体の異常を感じるのですわよね?」


「そうね。とにかく、ものすごく疲労を感じるの……」


「おばさま、疲労感以外で、何か以前と違うことはありませんか? どんな些細なことでもかまいませんわ」


「物が二重に見えたりすることかしら。食事の時、食べ物をのみ込むのが、どういうわけか辛くなってきているね……」


「ふむふむ」


 不死子は腕を組んで目を瞑り、考えはじめる。そして質問を続ける。


「おばさま、もしかしてですが、風や水が怖いと思ったりしていませんか?」


「それはよく分からないけど、確かに、少しだけ苦手に感じるようになったかもしれないわね……。こないだ、窓を開けた時に風が入り込んできて、急いで閉めたの。なんだか、とても怖い気がしてね……」


「最近、犬に噛まれたりはしませんでしたか?」


「犬? 噛まれたりはしてないわ……」


「そうですか」


「でも、どうして不死子ちゃんが、そんなことを聞いてくるの……?」


「わたくし将来は医師になって、実家の稼業を継ぎたいと思っています。なので、わたくしの知識を用いて、おばさまの体調回復のお力になれたらと思ったのですよ」


「不死子ちゃんの家は大病院を経営しているものね。跡を継ぐために勉強熱心で偉いわ。おばちゃんも応援するね。何か分かったことがあったら、教えてね」


「わかりましたわ、おばさま」


 私と不死子はいつものように夕飯を食べた後、格闘ゲームをした。私は操っているキャラでコンボをしかけながら、それとなく聞いた。


「……っで、分かったさーか??」


「いいえ。でも、もしかしたら、という可能性のある病気については見当がつきましたわ。もしも『あの病気』に感染しているのであれば、精密検査を受けたとしても、中々見つけられないですからね」


「あの病気って何さー?」


「それは今夜、おばさまの体の中に入った時に判断しますわ。おっと、隙あり!」


 今度は不死子が操るキャラがコンボを仕掛けて、一気に逆転KOされた。


「あああ。卑怯さー。そのコンボ、卑怯さー」


「おほほほほ。これで、わたくしの勝ち越しですわ」


「今度は負けないさー」


 私達の格闘は続いた。ゲームの技量は拮抗しているので、お互い勝ったり敗けたりを繰り返す。そして21時頃になると、いつものようにママが寝室に入っていった。


「法子ちゃんも、不死子ちゃんも、夜更かしせずに寝るのよー」


「はーいさー」


「おばさま、おやすみなさいませー」


 私達は返事する。そして、いつものようにママの睡眠を確認した後、ママの体の中に入った。カラフルな廊下で鎧武者とナースの装備にそれぞれ着替えた後、扉を通って草原エリアに出た。そこには、スライムのような生き物がたくさんいた。私の膝ほどの大きさで、ナメクジのようにずるずると動いている。不死子はそれらを見て驚いていた。


「こ、このビジュアルはまさか!」


「不死子、何が分かったのさーか?」


「法子さん、確認させてもらいたいのですが本当におばさまは犬に噛まれてはいないのですね?」


「犬には噛まれてないさー」


「本当の本当にですか? よーく思い出してください。そこに答えがあるかもしれません」


 不死子は真剣な表情で私に迫ってくる。私はただ事ではないと捉え、一生懸命に思い出す。噛まれた……噛まれた……。もし仮にママが犬に噛まれたなら、それとなく私に言ってくるはずだ。そういえば……。


「うーん。確かに犬には噛まれてはいないさー。ただ、関係ないと思うけど、気になることを言ってたさー」


「それは、なんですか?」


「犬じゃなくて、『猫にひっかかれた』と言ってたのさー」


 不死子は目を大きく開いた。


「いつ頃ですか? おばさまの体調が悪くなる前に、ではありませんか?」


「そ、そうさ……ま、まさか! それが原因なのさーか」


「はい。あのスライムの外見とおばさまの話から、一つの仮説が立てられました。おそらくですけれど、おばさまは『狂犬病』にかかっていますね」


「ね、猫にひっかかれたのにさー?」


「はい、そうですわ」


「犬じゃないさーよ?」


「狂犬病は、犬以外の動物から感染した事例もたくさんあるのです。もう、ほぼ絶滅しかけていた病気ですけれど。ちなみにその猫はどうなったのですか?」


「ママをひっかいた後にそのまま死んだから、保健所に連絡して引き取ってもらったらしいさー」


「ふむふむ。ニュースで話題になっていないということは、感染源の拡大は今のところはまだ確認されていないと考えていいようですね。猫も死んで保健所に届けられたということであれば……」


 不死子はとても深刻そうな顔をしている。私は不安になってきた。


「不死子、その狂犬病って、どんな病気さー」


「えっ? 狂犬病を知らないのですか?」


「名前くらいなら聞いたことがあるけど具体的にどんな病気なのかは知らないさー。狂犬のように、ワンワンと吼えるようになる病気だと思ってたさー」


「んなわけあるかーい。しかしながら、日本で暮らしている限りは、知らない人も多いでしょうね。日本ではほぼ絶滅したと言っても過言ではない、そんな病気ですもの。簡潔に言いますと……えーと、えーと……」


 不死子は口を閉ざし、言葉を探している様子に思える。


「簡潔に言うと、なにさー? はっきり、言ってほしいさー」


「……わかりました。狂犬病とは死傷率100%の病気なのです。感染したら、まず助かりません。確実に死にます」


「……え?」


 私は呆けた。聞き間違いかと思った。なので聞き返した。


「もう一度、言ってほしいさー」


「狂犬病とは……100%死ぬの病気です。残念ですが……お、おばさまは、数日のうちに死にますでしょう」


「う、ううう、嘘さー」


「嘘はついていません」


「だったら何かの勘違いさー。そうに違いないさー。勘違いだって言ってほしいさ」


 私の体がガクガクと震え出した。ママが100%死ぬ? それって、一体どういう意味なのか。頭の中で何度も何度も確認する。


「まあ……確かに、私の勘違いの場合だってありますね。でしたら言い直しましょう。全てが私の勘違いでしたー」


「嘘つけぇえええ」


 私は叫んだ。


「ど、どっちなのですか? わたくしは、どう言えば良かったのです?」


 知らず知らずに私の瞳から、大粒の涙がこぼれていた。不死子は困惑している。


「どうしたらいいのさー。現代医学は進歩したさーね? だったら、治す薬もきっと開発されてるさー」


「いいえ。開発はされておりませんよ。狂犬病のお薬は、未だに存在しないお薬なのです」


「なんでさー?」


「もう、ほとんど絶滅した病だからでしょう。おばさまをひっかいた猫がどのようにして感染したのかは知りませんが、研究者さんたちの限りある情熱を、ほぼ絶滅した病気の治療薬の開発に注ぎ込むことは、普通に考えてないと思われます。なので研究はされてはいません。もしされていたとしても極々一部で、でしょうね」


「なら、もしママが死んだら、その時は不死子の力でまた蘇らせてほしいさー。頼むさー」


「わたくしも、そうしたいのはヤマヤマなのですが、すでに、おばさまはわたくしの能力で2度も蘇っています。3度目は無理なのですよ。それについては以前にも言ったと思います……」


「やったことはないさーね? だったら、なんとかなるかもしれないさー」


「無理ですわ。法子さんだってご自分の能力について、直感的にどこまでが可能でどこまでが限界なのかを感じる時があるかと思います。同じようにわたくしも、直感で分かるのです。これはやってはいけないだろーな、と。なので無理なものは無理なのです」

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