第24話
体を縮める前は、ザコだったダニも、お互い同じくらい体格なってしまえば強敵となる。布団の中を移動するために必要となるギリギリの大きさまで縮んでいるので、必然的に命の取り合いになるのだ。
「どりゃあああああああ」
針で突き刺す。ざんざんざん!
「くそっ。毎年ながら数が多いさー」
去年は布団の中だけでも数万匹はいた。枕の中にもたくさんいる。まくらは新品を購入してから何年も使い続けた場合、必ず重量が増す。そのことを不思議に思っている人が多いが、これはダニの死骸による重量の増加に他ならない。枕を水洗いをして干した場合、強烈な異臭を発するが、これはダニの死骸が由来となる匂いだと私は思っている。
「法子ちゃーん。ごはんが出来たわよー」
「はーいさー」
ママの声が聞こえたので、一旦、布団の中から外に出て、元の大きさに戻った。そして、食卓に行って、急いで夕食を腹の中に詰め込んだ。
「あらあら。法子ちゃん、そんな急いで食べなくても」
「ママ、私は忙しいのさー。時間が惜し……う、うぐぐぐぐ」
「ほーら、喉に食べ物をつまらせちゃって。よく噛んで食べなさい」
私は水をゴクゴク飲んで、復活する。
「ぷっはー。ママ、助かったさー」
時計をチラリと見た。ママの就寝時間までに、もっともっと布団の中のダニたちを退治しておきたい。死骸は休みの日にでも、回収するつもりだ。私は再び戦場に向った。たまに、ひとまわり大きなダニもいるが、そういう時は打ち出の小槌でダニを小さくしてから針で貫くという必殺コンボがある。このコンボ技を使った時の私は無敵だ。しかし、ダニの数があまりにも多すぎて毎晩、終わる頃にはヘトヘトになってしまう。ママの体の中の異世界であれば、免疫細胞たちが私の代わりに戦ってくれるが、リアルな世界では戦ってくれる仲間がいない。
私は考え込んだ。
「今年は、また不死子に手伝ってもらうさーか?」
私はママの布団を出てから、玩具の城に入り、倒れるように眠った。そして、仮眠を取った後、いつもの日課を開始する。
翌日の昼休み、屋上で不死子に相談した。すると不死子は笑顔でこう言った。
「毎年、毎年、大変ですわよね」
「ママにダニを吸わせるわけにはいかないさー。床のダニなら何とか一掃できるけど、布団の中が厄介なのさー。労力が半端ないさー」
「布団の中に入るくらいに自分の体を小さくすれば、ダニとはいえ厄介な敵になるでしょうね。わたくし、法子さん宅で使用しようと思いまして、いい方法を仕入れておりますわよ」
「いい方法さーか?」
「今日は週末ですし今晩、法子さんの家に泊まりに行った際、わたくしがダニを一掃してさしあげましょう。ダニ退治には裏技があるのですっ!」
「頼むさー」
この日、不死子と一緒に帰宅した後、まずは床にいるダニを不死子の『裏技』で退治することにした。ダニは毎日退治しているのが、なぜか翌日には復活している。どこからともなくポップしているのだ。そのため、いつもは1時間ほどを床のダニ退治に費やしていた。
「おほほほ。掃除機で一掃すればいいのですわ」
「不死子、もしかして、それが裏技なのさーか?」
「はい。そうですが?」
「ママが毎日、私が学校に行っている時に掃除機をかけているさー。なのに、ダニはたくさん床を蠢いているさー。つまり、掃除機では無意味ということさー」
「そうでしょうか? 実際におばさまが掃除機をかけられているところを、見たことはあるのですか?」
「いや、ないさー」
ママは私が家にいる時は掃除機をかけない。間違えて私を吸い込んだりしたら大変だと思っているのだ。
「おそらくは、おばさまにはダニの姿が見えていないので、何も気にせず、ごくごく普通に掃除機をかけているのだと思われます。なので、わたくし、今回はこれを使わせていただきますわ」
「そ、それは……」
不死子は持ってきたバッグから『霧吹き』を取り出した。その霧吹きの他に、掃除機も用意した。
「な、何をする気さー。霧吹き、何に使うつもりさー」
「こうするのです」
「ああああああっ」
不死子は床に霧吹きで水を吹きかけていった。
「何するさー。やめるさー。家が水浸しになるさー」
「霧吹きの水滴なんて、すぐに蒸発しますわ。それよりも見ていてください。こちらが霧吹きをかけたスペースです。そしてあちらが何もしていないスペースです。百聞は一見にしかず。比較するために、どちらのスペースにも掃除機をかけてみましょう」
「不死子が何をしたいのか、未だにさっぱり分からないけど見てるさー」
不死子はまず、霧吹きで水をかけた床を掃除機をかける。すると、ダニが水滴と一緒に吸い込まれていく。
「どうですか? 今のわたくしでは肉眼でダニを見ることができないので、どんな状況になっているのか分かりません。実況してください」
「水滴と一緒にダニが吸い込まれているさー」
「なるほど。分かりました。では続いて、霧吹きで水をかけていない床を掃除機をかけてみることにします」
「お願いするさー」
不死子は、今度は霧吹きをかけていない場所で掃除機を使用した。すると、信じられない光景が目の前に現われた。
「な、なんだこりゃああああああ」
「おほほほほ。違いが分かりますか?」
「分かるさー分かるさー。こ、こんなことになってたのさーね。やめるさー。掃除機をかけるのをただちにやめるさー」
「わかりましたわ。スイッチオフ」
不死子は掃除機の電源を切った。
なんと、ダニたちがホコリと共に宙を舞っている。そしてダニたちが、まるでホワイトクリスマスに降った雪のように、ふわふわと床に落ちてきて、再び蠢き始めた。
「これで分かりましたか? 霧吹きをかけることの有効性を。これこそが裏技その1ですわ。結果論ではありますが、霧吹きをかけずに掃除機をかけた場合にはダニたちは宙を舞うのです。きっとこれまでおばさまは霧吹きをかけずに掃除機をかけていたのでしょう。一般家庭で『普通』にそうするように」
「なるほどさー。掃除機をかけているのにダニがまだ床に残っていたのは、やつらが宙を舞って、掃除機に吸い込まれるのを免れていたからなのさーね。掃除機をかけるときに霧吹きを使うのが有効だったなんて目からウロコさー」
「おほほほ。では、続いては他の裏技を使って、お布団の中のダニも退治しましょうか。瞬殺します!」
「え、えええええ。私が毎年苦労していることを、しゅ、瞬殺で? ほ、本当にできるのさーか?」
「はい! できるのです!」
不死子は胸をどーんと張った。
私は不死子と一緒にママの寝室に向った。スチームアイロンが欲しいと言うので、片付けてある場所を教えた。不死子は押し入れからスチームアイロンを取り出した。
「アイロンをどうするさー?」
「アイロンはアイロンでも、スチームアイロンじゃないとダメなのですわ。ではこれを……」
「あ、あああああ。何をしてるさー」
不死子はスチームアイロンのプラグを差し込むと、それを使い始めた。布団の上で。
「スチームアイロンをお布団にかけているだけですが、なにか?」
「……いや。なんでもないさ」
私はじっと不死子の行動を見守った。これが裏技だというのなら、私は見届けなくてはいけない。不死子は入念に布団全体にアイロンをかけた後、ここでも掃除機を使い、布団にかけていく。
「では、法子さん。お布団の内部に入ってみてください」
「わ、わかったさー」
私は打ち出の小槌で更に小さくなり、布団の中に入った。すると……あれれ? いつもはすぐに遭遇するはずのダニが、いない? たまに見かけるダニも死んでいた。アイロンの熱で死んだのだろうか。私は驚いたまま、布団の外に出て、体の大きさを元に戻した。
「どうでしたか?」
「布団の中のダニが一網打尽になってたさ……私が毎日、苦労しながら倒していたやつらなのに、嘘みたいさ……」
「おほほほ。これで今年は自分の時間が出来ますわね。アイロンがけや掃除機がけは、おばさまにやってもらうといいですわ」
「そうするさ。不死子、ありがとうさー」
「いえいえ。どういたしまして」
私はペコリと頭を下げた。そんな時、キッチンからママの声が聞こえた。
「法子ちゃんと不死子ちゃん。ホットケーキを食べる?」
「食べるさー」
「食べますわ」
私と不死子は笑顔で返事をした。どうやら、ホットケーキを焼いてくれるらしい。私は不死子の肩に乗ると、キッチンに向かった。キッチンではママがホットプレートを準備していた。私はホットケーキが大好きだ。ホットケーキが嫌いな者がいるのだろうかと疑うほどに好きなのである。
私と不死子が楽しみに待っていたところ、ママが戸棚を漁りながら言った。
「あらら? ホットケーキミックスが切れちゃってるわ。どうしましょう」
「おばさま、でしたら、ホットケーキを小麦粉から作ったらいかがでしょうか? 材料はありますか?」
「あるわよ。私、小麦粉をそんなに頻繁に料理に使わないし、早めに使い切っておかなくちゃね」
「一瞬、ホットケーキが食べられないのかとヒヤっとしたさー」
私が安堵の声を言っている時、ママがシンクの下の戸棚から、小麦粉を取り出した。新品の小麦粉ではなく使用中の、輪ゴムでとめてある小麦粉だ。ママは輪ゴムを取り外すと、テーブルに置いたガラス製のボールに入れた。
その時、私は叫んだ。
「待つさー。ママ、それ、まずいさー。待って待ってぇぇぇ」
「え? 法子ちゃん。突然叫んじゃって、どうしたの?」
「法子さん、どうかなさいましたか?」
2人共、全く気付いていない様子だ。私はテーブルに置かれた小麦粉が入ったガラスのボールを指した。2人はボールの中をじっと見つめる。
「これを見るさー」
「どういうことですの? 法子さんは一体何に驚かれたのでしょうか?」
「そうよ。法子ちゃん、一体どうしたの?」
ママと不死子が私に疑問を投げかけてきたので、私は説明した。
「よーく見るさ。さっき小麦粉をいれた時に、ぶわっと蠢いている『生物』も中に入ったさ」
「生物ですの? そんなのどこに……あ、あああああああああああああ。そんなぁぁぁ」
まず、不死子が手を口に当てながら驚いた。ママも『生物』を発見したようで、ビックリしていた。私もボールのふちにのぼって中を覗いた。中には、うねうねと蠢いている白い生き物が大量にいるのだ。
「これは、ダニですわ……」
「え? これも、ダニなのさーか??」
「これはダニの仲間で『コナヒョウダニ』といいます。ダニは目視は出来ませんが、これほど大量にいると、蠢いているのがわかるのですよ。これは圧巻です」
そうだったのか。まるで白い地獄のようだ。ママは頭をポリポリかきながら……。
「いやあ、こんなことになっていただなんて、びっくりしたわ。もう長いこと、この小麦粉を使ってなかったからね」
「ママ……一体、何をしてるさー?」
ママはミルクをボールに入れようとしていた。ダニが蠢いているボールの中に。
「え? ホットケーキを作るのよ?」
「だめさー。こんな小麦粉でホットケーキを食べたらだめさー」
「火をいれて食べちゃえば、問題ないとは思うんだけどな」
私も不死子もビックリ仰天である。ママは人一倍自分の体のことに気を遣わなくてはいけないのだが、大雑把なところがある。ダニは平気なのだろうか?
「おばさま、ダニは食べ物ではありませんわ。健康被害があるのです。それに、そんなものが大量に入ったホットケーキなんて、気味が悪いですわ」
不死子の一言で、ママはハッとした顔になる。
「そ、そうよね? ごめんなさい。よーく考えたら私、馬鹿な事をしようとしていたわ。今からホットケーキミックスをスーパーで購入してくるから、待っててね。他に、何か食べたいものがあればついでに買ってくるけど、何かなーい?」
「プリンが食べたいさー」
「わたくしはゼリエースが食べたいですわ。ゼリエース10箱くらい使った、バケツゼリーが食べたいですわ」
「こら、不死子! 厚かましいさー」
「うふふ。いいわよー。残念ながらうちにバケツはないから、ボールに入る分量、ギリギリのを作ってあげるわ。巨大プリンもね」
ママはそう言って、買い物に行った。私達は、ガラスのボールをじっと見つめる。あいかわらずダニがうねうねと蠢いていた。
「でも、どうしてこいつら、小麦粉の中にこんなに大量に発生してるさー」
「ダニは一匹でも小麦粉の中に入ると、未受精卵で増え続けるのです。20、30と増え続けていくのですよ」
「そうなの?」
「小麦粉の保存方法について、常温保存する派と冷蔵庫で保存する派がおりますが、冷蔵庫での保存が正解なのでしょうね、こういう惨劇をみてしまうと」
「常温保存してる人は、きっと知らず知らずにコナヒョウダニを食べてるさー。恐ろしいさー」
ママは常温保存派だったので、これまでに私もコナヒョウダニを食べていた可能性は十分にある。想像していたら身震いした。
「それにしても、法子さんはこの時期、おばさまの中では、癌細胞モンスターたちとバトルをして、外ではダニたちとバトルしてて大変ですわね」
「本当に大変さー。特にダニ! こんなにも不毛で盛り上がりに欠けるバトルも珍しいさー。でも、ダニ以外にも頭を悩ませる敵が出現してるさーよ」
「え? まだ何かいるのですか?」
「それは、カビさー」
「カビ?」
不死子が興味があるので見てみたい、というので、私と不死子は浴室にやってきた。そして、浴室内で不死子をミニチュア化させた。すると、不死子にも見え出したようだ。
「こ、これは!」
「カビって胞子をばら撒くさー。天井のカビの除去が本当に大変さー。少しでも残っていたら、今みたいに雪のように胞子が振り続けるのさー。私はママが入浴するまでに、毎日壁のカビを除去してるさーよ」
「こんなにも大量のカビが浴室にはこびっていたとは……法子さんが日々メンテナンスをして、この状況なので、一般家庭の風呂場では夏の時期、とんでもないホワイトクリスマス、いえ、ブラッククリスマスになっていそうですわね」
「これくらいのカビは健康な人には問題ないさーね。でも、ママのような免疫能力の弱い人には被害は大アリさー」
「わたくし、自分が健康体であることに感謝しませんとね」
浴室のカビは天井から降り落ちてくる。この時期になると、カビが増殖するのも大問題となっている。一般家庭の浴室でも目視できないだけで、延々と天井からカビが振り続けているだろう。元気なうちは抵抗力があるのでカビを吸っても問題にはならないが、体が弱った人であれば、すぐに体調を崩す。
「……不死子、一つ教えてやるさーよ。あんたの体の中でも、カビが増殖してるさーよ?」
「はい?」
「匂いで分かるさー」
「ほ、本当なのですか? それは、本当なのですか?」
「本当さー」
白癬菌というカビは靴の中で生まれるカビで、体内に入り込んで増殖する。そして水虫となるのだ。私が不死子の足に巣食っている白癬菌の存在を教えてあげたところ、不死子は『ぎょえー』と叫んでいた。ふと、このカビはウイルスに似ているところがあるなと思った。風邪などのウイルスは人の体の中で増殖し、咳と一緒に周囲にばら撒かれる。そのウイルスは再び他の人の体の中で増殖し、咳によって放出され、新たな感染場所を探す。
「ど、どうすればいいのでしょうか?」
「さーてね」
その後、帰宅したママが焼いてくれたホットケーキを私達は美味しくいただいた。また、巨大プリンと巨大ゼリーも作ってくれて、私たちは幸せな時間を過ごした。こういう幸せが長く続くといいと願った。まもなく、とんでもない事件が勃発するとも知らずに。
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