第23話

 壁に貼られているカレンダーはもう6月となった。気温は25度を越えた。さらには湿度計は50%を越えている。梅雨の時期がやってきた。今年も遂に戦いの季節が始まった。


 私がピリピリしていると、犬賀美がやってきた。犬賀美は犬神の妖怪だ。未来予知の能力があり、私は彼女にママの健康状態を1週間ごとに占ってもらっている。彼女は不死子以外で私の裏能力を知っている唯一の妖怪でもある。


「いっちゃん。どうしたワン。ぴりぴりした雰囲気がこっちにも伝わってくるだワン」


「私、そんなにピリピリしてたさーか?」


「してたワン。何かあったのかワン?」


「この時期になるとママの体内の敵だけじゃなくて、外の敵とも戦う必要が出てくるさー。だからピリピリしてたのさー」


「外の敵? なんだワン」


「知りたいさーか?」


「知りたいワン。興味が出たワン」


「だったら犬賀美にも見せてやるさー。それっ」


「へっ? ワ、ワーン」


 私は打ち出の小槌を召喚して、犬賀美の体を小さくした。すぐに私と同じくらいの身長になった。すると、犬賀美は驚き声をあげた。


「あ、あああああ、なんだワーン。こいつら、なんだワン。きしょいワーーン」


 私たちの周囲には蠢く虫がいる。犬賀美は本気で気味悪がっていた。


「こいつらは『ダニ』さー。梅雨の時期になると、決まって現れるのさー。私は、こいつらと毎年のように4か月間ほど死闘を繰り広げているのさー」


「ええええー」


 ダニは人間大の身長の者には視えない。しかし私ぐらいの大きさになれば、視えるようになる。犬賀美はすごく動揺していた。


「なんだワン。なんだワン。私達の知らないところで、こんなきしょい生き物が存在していたのかワン。信じられないワーン」


「一般人や妖怪には視えないのさー。肉眼ではミリ以下の物体は見ることができないと、不死子が言ってたさー。そしてこいつらはミリ以下の節足動物なのさー」


「こんなのがいただなんて知らぬが仏だったワーン。ワーンワンワン。ワーンワンワン」


 犬賀美は大泣きした。


「犬賀美、泣くなさー。私なんて生まれた時からずーと、こいつらと関わっているのさー。ようするに慣れたら、きしょくもなんともないのさー」


「ワーンワンワン。ワーンワンワン」


 泣き止まない。


「ごめんさー。謝るから、泣くのをやめてほしいさー」


 私が犬賀美を宥めていたところ、人影に覆われた。


「あら。お二人とも、どうされているのですか? 犬賀美さんまで小さくなられて」


「おお、不死子さーか?」


 頭上から声がしたので、見上げると、不死子だった。


「いっちゃん、こいつも小さくするんだワン。道ずれだワン。旅は道ずれ世は情けっ!」


「そのことわざ、ちょっと使いどころが違うさー。でも、まあ、いいさ。不死子も小さくなるさー」


 私は打ち出の小槌で、今度は不死子を小さくした。


「あぁ~れぇぇぇ~」


 不死子も私達と同じ大きさになる。


「ワンワン。不死子、あんたも巻き添えだワン。どうだワン。どうだワン。キショイのがたくさんいるだワン。ショックを受けたかワン」


「え? え? どこですか? きしょいの、ど~こ~で~すぅぅ~かぁぁぁ~~?」


 不死子は手のひらを目の上でかかげて周囲を見渡す、という素振りをした。とてもわざとらしい。全てを理解した上でやっているのは明らかだった。しかし犬賀美はそれに気付いていない。


「まさか、見えてないワンか? 辺り一面に蠢くダニたちをっ!」


「ああ。ダニですか。彼らは湿度が高まり、温度が25度を超えると現れるのですわ。よいしょっと」


「ちょ、ちょっと待つワン。どうしてそう平然としていられるんだワン。どうして手で直接、ダニを掴めるんだわーーーーーーん」


 犬賀美は、ダニを平然と掴み上げた不死子を驚愕の目で見ている。


「法子さん、犬賀美さん。これから『ダニ合戦』をしませんか? そりゃあ」


「ワ、ワワワアワワーーーン。不死子、あんたはアホかワぁぁあああああああああーーん」


 不死子はダニを投げる。犬賀美はそれを死に物狂いで避けた。不死子は再びダニを拾うと、犬賀美に投げつけた。


「おほほほほ。冬は雪があるので雪合戦。夏はダニがあるのでダニ合戦ができますわ。おほほほ。たのし~~い。さあ、犬賀美さん、いつでも反撃していただいてよろしくてよ。ダニを手に取って、わたくしに投げ返してくださいな。おーーほほほ」


「できないワーーーン。触れないワン。やめるワン。やめるワァーーーーーン。ダニ、投げつけるのやめるワーン。動物保護団体が出てくるワーン」


「でてきませんわ。おほほほ。にしても、犬賀美さんは中々しぶといですわね。おほほほ。一発ぐらい当たりなさいな」


「きしょいワーン」


 犬賀美は引き続き、死に物狂いで避け続けている。涙目だ。いたたまれないので、私は止めに入り、飛んできたダニをキャッチした。


「やめるさー。動物保護団体を甘くみるなさー。彼らはポケモンに出てくる、フィクションの生き物の権利まで主張してくるほどさー。ゴキブリやダニなんかの権利を主張してきても、おかしくないさー」


「そ、そうなのですか?」


「そうさー。動物保護団体を舐めるんじゃないさー。はっちゃけた行動をし過ぎて『海賊』に認定された動物保護団体もいるくらいさー。動物保護団体、舐めるなさー」


「そうでしたわ。おほほほ。そんなこともありましたね」


 私は犬賀美に、不死子がダニに平気な理由を説明した。


「不死子は1年以上前から週末にうちに泊まりにきてるさー。そして、その都度に小さくなっているから、もうダニなんて見慣れているのさー」


「ワンワン? なんで週末にいっちゃんのおうちでお泊り会をしているんだワン?」


「それは内緒ですわ。おほほほほ」


「えー。教えてほしいワン。気になるワン」


 犬賀美は両手を掲げながら説明を要求する。周囲に私達3人しかいない事を確認してから、私は説明する。


「教えてあげるさー。不死子はママの体の中の異世界で、癌細胞モンスター退治に手を貸してくれてるのさー」


「あらら? 法子さん、わたくし以外に裏能力のことを話しても宜しかったのですか?」


「構わないさー。犬賀美は私の裏能力についてはすでに知ってるのさー。現時点では、不死子と犬賀美だけが私の裏能力を知ってるのさー」


「あら、そうだったのですか。そして、ちょっと残念な気分になりましたわ……」


 秘密の共有者が他にもいることで、不死子は少々がっかりした様子をみせた。


「犬賀美にはママの容態を一週間ごとに予知してもらってるのさー。不死子にも以前伝えてたさー。犬賀美は頼もしい協力者さー」


 たしか悪玉菌大量発生の時、不死子に、犬賀美が協力者だと言った覚えがあるが、忘れているのだろうか。


「犬賀美さんと法子さんはそのような親密な繋がりがあったのですか。ちなみに、犬賀美さんはレベルアップなどについても御存知ですか?」


「レベルアップ? なんだワン。それ、なんだワン。教えてほしいワン」


「おほほほ? もしかして御存知ないのですね? わたくし、なんだか優越感をちょっとだけとり戻しました。ちなみに、わたくしの裏能力については法子さんしか知らないので、内緒ですわよ」


「わかってるさー」


 不死子は再び元気になった。不死子の裏能力については私しか知らない。一方、犬賀美は好奇心いっぱいな顔を向けてくる。


「不死子ー、あんたも何かの裏能力が開花したのかワン。死者を蘇らせたり、死んでも復活するって能力だけでも十分ミラクルなのに、何を隠してるワン! 知りたいワン。教えてほしいワーン」


「おほほほ。わたくしは類稀な才能に恵まれているのですわ。犬賀美さんのような、『未来の臭いをかぎとる』だなんて、よく分からない能力よりも、すっごいのですわよー。『薬』というヒントだけ教えてあげますわ」


「ば、馬鹿にするなだワン。私だって隠しているけど、超優秀な新しく発現した能力があるだワン。ところで一体なんだワン。薬ってなんだワン。余計に気になるワン」


「おほほほ。好きなだけ気になってくださいな。なお、犬賀美さんの新しい能力については、これーぽっちも興味がありませんから」


「ム、ムム、ムッカー。侮辱だワン」


「はい、そこまでさー。ストップさー」


 私は睨み合い始めた両者の仲裁に入った。なお、この二人の仲は決して悪くはない。むしろ、とある珍事に巻き込まれて、黒歴史を作り合った同士として親近感もあるそうだ。


「二人ともケンカはやめるのさー。人間であれ妖怪であれ、誰でも秘密の1つや2つはあるのさー。特に男の子は引き出しの中や布団の下にあるのさー」


 思春期であればどこからともなく入手してきたものを隠している。


「ところで犬賀美さん、わたくしにもダニを見せることで巻き添えを食らわすおつもりだったのですわよね? なんと穢れた心の持ち主でしょう」


「ぎくっ。巻き添えを食らわすだなんて……そ、そんなこと思ってもいないワン?」


 犬賀美はあさっての方角を向いて、ポリポリと頭をかいた。


「ちなみに犬賀美さん。このダニを、小さくならずとも肉眼で見ることもできるのですわ。わたくし、ある特別な動画の撮影に成功しましたの。見ませんか?」


「動画だワン? 見たいワン。興味があるワン」


 不死子はスマートフォンを取り出して、操作した。


「今、映像を貼りつけたメールを犬賀美さんの携帯に送信しました。どうぞ、御覧になってください」


 不死子がニッコリと微笑んだ。私は知っている。彼女がこの笑みを見せる時は、悪いことを考えている時だ。一方、犬賀美は単純なので、面白い動画が見られるということを無邪気に喜んでいるだけだ。


「おお! 届いたワン。 どんな映像なのかドキワクするワン。さっそく再生してみるわん」


 犬賀美はメールに貼りつけてある動画を再生させた。そこには……。


「あれ? 人が歩いているだけの単調な映像だワン。これは一体、なんだワン? 特別な動画なのかワン?」


 犬賀美は疑わしき目で不死子を見つめた。犬賀美のスマートフォンで再生されている映像は、学園の廊下で撮ったもので、行き交い合う足の部分だけが再生されていた。


「犬賀美さん。何か、変化は見られませんか?」


「足が……たくさんのうち学園の生徒の足が行き交っているワン」


「そうです。その結果、なにが起きてますか?」


「何も起きてないワン……」


 犬賀美は首を傾げる。


「本当に? 本当に、ですか? どんな些細なことでもいいので、見つけてください」


「うーん? ほこりが舞っていることくらいだワン?」


 パチン、と不死子が胸の前で手を叩いた。


「ビンゴです。その通りですわ! 犬賀美さん、よく見つけられましたわー。ぱちぱちぱち」


「え? え? どういうことだワーン」


「犬賀美さんに教えてあげます。これはホコリと言いますの」


「それくらい知ってるワン……」


「ホコリはハウスダストとも言いますね。これは学園で撮影した映像ですので、ハウスならぬスクールダストとでも言うのでしょうか。おほほほ」


 不死子は手を口に当てて上品に笑った。


 一方、犬賀美は眉を寄せた。


「不死子、私にこんな動画を見せて何が言いたいワン。早く意図を言うだワン」


「ホコリと言いましたが、頭に『生きている』とつけることもできますわ。つまりは『生きているホコリ』。さあ、ホコリが舞い上がったところを拡大した別の動画もあります。たった今、メールで送りましたわ」


 再び、不死子はスマートフォンを操作した。


「……届いたワン。再生してみるワン」


 直後、犬賀美は目を見開いた。


「……え? え? えええええええええー。なんだワーン」


 犬賀美のスマートフォンでは、ダニがウネウネワシャワシャしながら空中を舞っている動画が流れている。


「これはチリダニと言います。チリダニは蜘蛛のような節足動物で、歩いた時の風圧で舞い上がるのです。わたくしたちは、知らずにそんなチリダニを空気と一緒に吸ってもいるのですわ」


「ぎゃあああああああああああああ。そんなの知りたくなかったワーーーン」


 犬賀美は失神して、ぱたりと倒れた。倒れた犬賀美の体に1匹のダニが乗っかり、わしゃわしゃと動いている。


 ………………。


 私は犬賀美を元の大きさに戻してやった。


 この日の帰宅後、私はすぐに家の中の見回りを開始した。学園では無視しているダニだが家の中では無視しない。串刺しにして、殲滅するのだ。体の弱いママにダニを吸わせるわけにはいかない。私は針を掴むと、リビングの床で蠢いているダニを一掃した。


 私がダニ退治をしていたところ、ママに声をかけられた。


「あらあら。法子ちゃん、またチャンバラごっこをしているの?」


「そうさー。チャンバラごっこは最高さー」


「ほどほどにね」


「了解さー」


 ちなみに、ママにはダニの存在は伝えていない。そんなのがいると知ったら犬賀美のように卒倒するかもしれない。私はリビング以外の部屋も回って、昨日から今日にかけて新たに湧いたダニたちを駆除していく。そして、死骸を塵取りと箒で回収した後、ゴミ袋に入れた。続いて私はママの寝室に行って、布団の上に立った。打ち出の小槌を出して、自分の体を更に小さくして、布団の中に入り込めるまでの大きさになった。そして私は布団に使われている繊維を足場にしながら、布団の中に生息しているダニたちとの死闘を開始する。

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