4章「残月の鬼のしもべ」その4
後から考えてみれば、それはとても無責任な約束だったのではないか、と、ルカは思う。そう、ずっと一緒にいられる保証なんて、どこにもなかった。むしろ、いつ突然、彼との別れが訪れてもおかしくなかった。なぜなら……。
「にしても、残月のくせに十一年も生き延びてるとはな」
竜薙左紋は、ルカをまじまじと見つめ、ふとつぶやいた。そうだ、自分はいつ死んでもおかしくない身だ……。
「ま、どっちにしろ、吹けば飛ぶような、ゴミクズ同然の命か。鬼人のこのオレに比べればな」
彼はルカを、そして、周りの瘴鬼達を見回し、傲慢な笑みを浮かべた。まるで、この世のすべてを見下しているかのようだった。
だが、ルカは彼の言葉に疑問を感じずにはいられなかった。この目の前の男が、伝説の鬼人とやらには到底思えなかったのだ。彼女も幼いころ、母にその存在について聞かされたことがあったが、それによると、鬼人は人間を瘴鬼に変える力はなかったはずだ。また、角もなかった。瞳の色も違う。何より、神々しい存在のはずなのに、こうしてそばにいて伝わってくるのは禍々しい邪気ばかりだ。やはり彼は、華伝達が言うように、自分を伝説の存在と思いこんでいる、不完全な鬼なのだろうか……。
いや、それも違うような? この、左紋という、なりそこないの鬼の中に、何か核のような、ゆるぎないものが潜んでいるような……?
「なんだ、その目は? 何かオレに言いたいことでもあるのかよ?」
いつのまにか、食い入るように見ていたらしかった。左紋はじろりとルカをにらんだ。「べ、別に」ルカは恐怖で縮こまりながら首を振った。
「あ、もしかして、兄弟なのに、兄さんと全然似てないって思った?」
「ああ……」
とっさに、適当にうなずくと、左紋は「当然だろ。兄さんとは血がつながってないんだから」と、何やら得意げに答えた。
「そもそも、兄さんはただの瘴鬼だ。しかも養子。竜薙の家の正当な後取りにして、鬼人のオレとは、比べ物にならないほど下の存在ってわけだよ。わかるかい、おチビちゃん?」
「…………」
ルカは何も言うことはできなかった。どう考えても、この目の前にいる男が、一番低俗で、かつ悪辣な存在ではないだろうか。
「だいたい、オレは兄さんと違って、あんたみたいなおチビちゃんを相手にするロリコンじゃないしな。はは」
「ロ、ロリ……」
それはぐさっとルカの胸に突き刺さる言葉だった。自分が子供っぽいのはしょうがないにしても、そのせいで華伝が悪く言われるのは辛かった。
「でも、恋人ってことは、ちゃんとヤることはヤってんだよな?」
ふと、左紋は下品な目でルカを見つめた。ルカは寒気がして、すぐに目を反らしたが、「なんだ、その反応? まさかヤってねえのかよ?」と、左紋はわざわざ席を立って、彼女の目の前に回り込んできた。
「あ、そうか。兄さんはただの瘴鬼だから、鬼の女の相手はできないんだっけか。じゃあ、あんたらってもしかして――」
「う、うるさい! 黙れ!」
ルカは叫ばずにはいられなかった。依然として目の前の男に対する恐怖はあったが、怒りと不快さがそれを上回った。こんな男に、華伝を、自分達の関係を侮辱されたくなかった。
「そうか、そうか。おチビちゃん、まだ未使用ってわけか。かわいそうに、十一年も一緒にいるのになあ」
左紋はルカの顎をつかみ、顔を近づけてきた。ルカは懸命に彼から離れようとしたが、やはり体に力が入らなかった。むしろ、そんなふうに抵抗の意思を示したことで、左紋の下劣な欲望をかきたてたようだった。「そうだ、せっかくだし、オレが使ってやろうか」そう言うや否や、彼女をシートに押し倒した。
「や……やめろ!」
「いいから、おとなしくしてろっ!」
左紋は彼女の白いワンピースの襟に手をかけ、下に引っ張った。ただちにその布地は裂け、淡い水色のブラジャーが出てきた。さらに左紋はその真ん中の紐をつかみ、両手で引っ張った。ブラジャーも真っ二つに裂け、その下に隠されていた二つのふくらみがあらわになった。彼女の肌は雪のように白く、乳房は小さいながらも、女性らしい優美な曲線を描いていた。その頂は瑞々しい桜色だ。
「へえ、ガキかと思ったら意外と……」
左紋は一瞬感心したように目を見開くと、おもむろに手を伸ばしてきた。
「さ、さわるな……」
ルカはもはや、身を固くし、目を閉じて震えることしかできなかった。とてつもなく怖かった。こんな男に触れられたくなかった。
だが、そこで、左紋は何か異変に気付いたようだった。「なんだ、これは」と、ルカのワンピースの布地の裂けた部分に顔を近づけた。見ると、布地の間に細長い紙きれが挟まっている。さらによく見ると、その表には奇妙な文様が描かれているようだ。
「これは、まさか……」
彼はすぐにそれを引っ張りだした。その文様の意味を知っているようだった。そして、ルカもまた、それが何なのか一目でわかった。十一年前、それを全く同じものを見たことがあったから。そう、それは――。
「探知符! なんでこんなものが……」
左紋はいかにもしまったという顔で歯ぎしりした。そして、「これは確か、こうやって使えば……」と、その紙きれ、探知符を額に当てて、目を閉じ何やら集中した――とたん、
「バカな! もうこんな近くに!」
彼は血相を変え、周りを見回した。
と、同時に、彼らから少し離れたところにある天井が轟音とともに破れ、一人の男が車内に飛び降りてきた。黒いジャケットとレザーパンツを着た、若い男だ。顔立ちはよく整っているが、その瞳は今、ギラギラと赤く光っている。さらに、腰には刀を差している。
「うわあああっ!」
左紋はその男を見るや否や、素っ頓狂な声を上げて、後ろに退いた。
「お、お前達、その男を殺せ! 今すぐ!」
左紋はすぐに周りにいる瘴鬼達に瞳術で命じた。瘴鬼達の反応は早かった。即座に男に襲いかかった。前後左右からほぼ同時に、おそろしい速さで。
だが、男の速さは彼らをさらに凌駕していた。彼は瞬時に懐から四十四口径の銃を取りだし、正面の瘴鬼数体を撃った。そして、そのまま前に突進し、残りの瘴鬼達の攻撃をかわしたところで身をひるがえし、瘴鬼達を迎え撃った。途中、瘴鬼の一体が横から迫って来たが、彼は射撃しながらそれをかわし、蹴りを見舞った。そして、その頭を踏みつぶし、射撃を続けた。
もちろん、そうしている間にも新たな瘴鬼は他の車両から次々とやってきたが、彼は少しもひるまなかった。彼の撃った鬼封弾は、残らず瘴鬼達の頭に命中した。途中で弾が切れた後は、装填する暇がないと判断したのか、彼は銃を捨て、懐から鬼封剣の一種の短剣を二本出し、両手にそれぞれ構え、瘴鬼を次々と斬って行った。何者も彼を傷つけることはできず、ただ彼の周りに屍の山ができていくばかりだった。
「な……んだよ、これ……」
左紋は顔面蒼白でその様子を見ていた。おそらく、これだけの瘴鬼ならば、いくらその男でもひとたまりもないだろうと考えていたのだろう。
「よくもこれだけの数の瘴鬼を用意したものだな、左紋」
やがて動くものが周りになくなったところで、瘴鬼の帰り血を全身に浴びたその男――華伝は、左紋を見た。刃のような冷たい光を帯びた、赤い瞳で。
「兄さん……どうやって、ここまで……」
左紋は恐怖で顔をひきつらせている。
「移動手段か? 近くまでは叔父さんが用意してくれたヘリだ。その後は走ってこの電車に飛び乗ったんだ。あまりヘリで近づきすぎると、音でバレるからな」
「へ、へえ……この探知符といい、周到だね……」
「そうだな。おじい様の口を割らせるために人質を取ったという君の性格を考えて、彼女の服に仕込んでおいたが、正解だったようだ」
華伝はゆっくりと左紋達の方に近づいてきた。そうか、昨晩何やら彼が縫物をしていたのは、この探知符を仕込んでおくためだったのか。ルカは理解した。さらに前日、あの赤いのの実家から何やら届いていたようだったが、それはこの探知符だったのだろう。あれは言っていた。左紋がいつ華伝達の居場所を突き止めて襲ってくるかわからない状態だと。表面上は孝太郎に反発しながらも、華伝も一応、それを警戒していたのだろう。
「は! 瘴鬼達を皆殺しにしたぐらいで、何イキがってるのさ! 忘れたのかよ! 兄さんはオレに絶対逆らえないんだからな!」
と、左紋は瞳を強く赤く光らせた。瞳術の光に間違いなかった。
だが、華伝の様子は何も変わらなかった。そう、まるで効いていない……。
「な、なんでだよ! なんで効かないんだよ!」
「左紋、君には僕が携えているものが見えないのか」
華伝はふと、腰に差した刀を鞘ごと手に取り、掲げた。それは、柄に龍の意匠が施され、つばと鞘が紐で結ばれた刀――竜薙の風花に間違いなかった。
「この刀は鬼の術を無効化する力がある。そして、それは封印状態でもある程度は働く。君の不完全な瞳術なら、鞘に入ったままの状態でも打ち消すことができるだろう」
「な――」
「わかるかい、僕はこれを君に渡すために持ってきたわけじゃない」
華伝はそれ以上何も説明しなかった。もう何も話す必要はないと悟っているかのようだった。彼の行動はやはりおそろしく素早かった。竜薙の風花を腰に戻すと、即座に目の前の男の懐に迫り、二本の短剣でその体を斬り裂いた。
「ぐあっ!」
左紋は彼の動きにまったく対応できていなかった。瞬時に胸と喉を斬り裂かれ、よろめき、後ろに倒れかかった。そして、そこで追いうちの拳が飛んできた。左紋は顔面を強く殴られ、数メートルふっ飛ばされ、車両のドアに激突した。
「うう……」
左紋はぴくぴくと痙攣しながら、下にずり落ちた。その間に華伝は下に転がっていた銃を拾い、鬼封弾を装填し直し、左紋を撃った。その頭部や胸部めがけて、弾がなくなるまで撃ち続けた。やがて左紋はまったく動かなくなった。彼はその体に近づき、短剣で首を斬った。そして、そこで初めて、シートに横たわっているルカを見た。
「華伝……」
ルカは恐る恐るその顔を覗き込んだ。彼の瞳はやはり赤かった。しかし、彼女を見つめる眼光はもう、殺気を失っているように見えた。彼女はほっとした。
「ルカ、少しの間、じっとしていてください」
と、彼は彼女に優しく微笑み、彼女の体を片腕でひょいと肩にかついだ。そして、近くのドアを蹴り飛ばしてこじ開け、外に飛び出した。何か小さなものを車内の中に放り投げながら。
その投げたものの正体は、華伝が線路のすぐわきの地面に無事に着地し終えた時に明らかになった。それは手りゅう弾だった。直後、電車は爆発し、その衝撃で車両は脱線し、炎上した。
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