3章「沈む心、あふれる想い」その1

 その後すぐに、彼らの元に大勢の警察官が駆けつけてきた。警察官たちは華伝と孝太郎を見るや否や、拳銃の銃口を向け「動くな!」と叫んだ。だが、そこで弓雅が割りこんできて、懐から身分証のようなものを出し、刑事とおぼしき男に「コードUの事件だ。上に伝えろ」と言った。男はすぐにどこかに電話をし、確認を取ったようだった。直後、華伝と孝太郎はその場から解放された。


「後の処理は俺がやっておく。孝太郎、お前は華伝を家まで送れ」


 と、孝太郎は車のキーとぐったりしている華伝を弓雅から押し付けられた。とりあえず、言われるがまま、華伝の肩をかついで駐車場まで行き、車の後部座席に押し込んだ。


「弓雅さんって何者だよ。俺達、事情聴取もなしに帰っていいのか?」

「…………」


 華伝に話しかけてみたが、反応はなかった。憔悴しきっているようだ。やはり、あの瞳術を破るのに消耗したのだろうか。それとも、その後の……。


 ま、今はとにかく家に送るしかないか。孝太郎は運転席に乗り込んだ。そして、ナビを頼りに華伝の家に向かった。途中、華伝と少しだけ話をしたところによると、十一年前、竜薙の風花を彼から買い取ったのは弓雅だそうだ。ただ、金銭のやり取りをしたわけではなく、当時まだ子供だった彼は、それを手土産に弓雅に庇護を求めたのだという。孝太郎にとってはやっぱりなという感じだった。あの焦りようは異常だった。


 やがて、時々道を間違えながらも、なんとか孝太郎は華伝の家にたどり着くことができた。ただ、華伝は後部座席で熟睡していた。孝太郎は彼を車から引きずり出し、家の門の前に運んで置き去りにした――ら、そのお荷物が朦朧としながら、家の中まで運べと注文してきた。ジャケットのポケットから鍵を出しながら。めんどくさいなあと思いながらも、言われたとおりにしてやった。その鍵を使って、玄関を開け、あがりかまちのところに彼を捨ててやった。よし、これで仕事は終わりだ――。


「か、華伝! いったいどうしたというのだ?」


 と、外に出ようとしたところで、家の中から一人の少女が駆け寄って来た。見たところ、中学生くらいだ。黒く長い髪をしていて、薄桃色のチュニックとデニムのキュロットパンツを身につけており、顔立ちはとてもかわいらしい。さらに、額の中央には小さな角があった。


 そうか、こいつが、あのじいさんの話してた残月の鬼か。孝太郎は一目で察したが、その幼い風貌には驚きを覚えずにはいられなかった。病院での話を聞く限り、明らかにここに転がっている男と同年代か年上のはずなのだが。


「お、お前は誰だ? 華伝に何をした?」


 残月の鬼の美少女は、訝しげに孝太郎をにらんだ。だが、目があったとたん、びくっと体を震わせ、すごい勢いで後ずさりした。そして、五メートルぐらい離れたところの壁に背中をぴったりくっつけた状態で、「その男に何かしたのなら、この私が許さんぞ!」と叫んだ。おびえきったように、声を震わせながら。


「いや、こいつ、ただ寝てるだけだし……」


 なんだかものすごく人見知りのようだ。孝太郎は苦笑した。


「本当か? お前は何もしていないのか?」


 少女はおそるおそると言った感じで、こちらに少しずつ近づいてきた。「ねーよ。俺はただ、弓雅さんの頼みで、こいつを家まで届けただけだ」孝太郎はそう言うと、自分の名前や身分、弓雅の依頼で今回の事件に関わったこと、今日病院で起こったことをざっくりと目の前の少女に話した。


「こいつはきっと疲れてるだけなんだと思うぜ。今日はいろいろあったしな」

「そうか……よかった」


 少女は安堵したようだった。だが、孝太郎との距離は微妙に遠いままだった。自己紹介中にじりじりと近づいてきたはずだったが、彼が鬼封符術師と名乗ったところで、急に後ろに下がってしまったからだった。やはり鬼だけに、その手の職業の人間が怖いのだろうか。


「じゃあ、そういうわけで、俺はこれで失礼する――」

「待て。華伝をこんなところに放置してはだめだ。部屋まで運んでくれ」

「え、なんで俺がそこまで?」

「いいから頼む。こんなところで寝ていたら、華伝がかわいそうではないか」

「はあ……」


 かわいそうって何だ。孝太郎はまためんどくさいなあと思ったが、少女が怯えながらも何やら必死に目で訴えているので、サービスしてやることにした。部屋の場所を聞くと、華伝の肩を担いでそこまで運び、ベッドの上に投げ捨てた。部屋は六畳ほどの広さで、飾りっ気がなく、きちんと片づけられていて、あまり無駄なものは置いてないようだった。


 よし、今度こそ仕事は終わりだ。孝太郎は、大きく息を履いて、部屋を出た。だが、そこで、少女はまた彼の前に立ちふさがり、帰宅を遮った。


「なんだよ、まだ何か用があるのか?」

「華伝はな、私が倒れた時は、いつもそばにいてくれるのだ」

「そうか。仲がいいんだな」

「そうだ。だから、お前もそうしてくれ」

「え」

「た、頼む……」


 少女は無理は承知という顔で、また必死に目で訴えてきた。「なんで俺がそこまで……」と、言って、少女の脇を通り過ぎようとすると、早足で前に回り込まれた。違う方によけようとしても同じだった。なんだこれ。バスケットのマンツーマンディフェンスか。


「それぐらい、あんたがやればいいだろ。あいつと仲良しなんだろ」

「わ、私だって本当はそうしたい……。でも、それは無理だ……」

「無理?」

「私は鬼だ。だから、瘴鬼のあいつのそばにはいられない」


 少女は悲しげに下に目を落とした。


「でも、さっき、あんたが倒れたらあいつがそばにいてくれるって」

「そ、そのときは、その……そういう欲が沸いてこないから……」


 少女は今度は恥ずかしそうに顔を赤くした。欲って何だろう。一瞬意味がわからなかったが、さすがに素人ではない孝太郎はすぐに言葉の意味を察した。発情した鬼の女特有の衝動ってやつだ。


 そういえば、こいつらのこと、弓雅さんは「同棲しながら遠距離恋愛しているようなもの」って言っていたな。なるほど。確かに、そうとしか呼べない関係のようだ。


「頼む! 今まであいつがあんなふうに前後不覚で帰って来ることなど、なかったのだ。だ、だから、私は――」

「心配なんだな。わかったよ」


 なんだか少し同情してしまい、今度は素直に頼みを聞いてやることにした。部屋に戻り、ベッドの前に正座して、華伝の様子を見守ってやった。


 が、当然、その「眠っているイケメンを見つめるだけの簡単な作業」はヒマそのものだった。数分も経たないうちに、孝太郎の作業は「イケメンのお部屋のガサ入れ」に変わった。何か恥ずかしい本とか、いかがわしいグッズとかないのか。


 にしても、こいつ、苦労してるんだな……。がさごそ部屋をあさりながら、ふと病院での話や、さっきの恋人の鬼との関係を思い出した。十歳で親を殺して恋人の鬼と駈落ちとか、それからずっと瘴鬼として彼女を養ってたとか、そのくせ、その彼女には手も出せない状態だとか、いくらなんでも人生ハードモードすぎる。しかも、実家がもうなくなってたり、十一年ぶりに再会した弟があんなクズになってたり、爺さんが目の前で瘴鬼になったり、踏んだり蹴ったりだ。そりゃ、寝込むのも無理はない。


「ま、でも、ようするにただのロリコンだよな、こいつ」


 そうそう、二十歳すぎの男として、あんな幼い彼女はさすがになあ。ないよなあ。色々考えて、結局、そういう結論に至る孝太郎だった。

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