2章「竜薙華伝」その6

 その足音の主は、すぐに華伝達の前に姿を現した。青いモッズコートをまとった、若い男だ。髪はごく短く、白い。耳元や首周りにはシルバーのアクセサリーが光っていて、額にはカラフルなバンダナをしている。一重まぶたで、そこそこ整った顔立ちをしているが、今はそれは下品な笑みで歪んでいる。


「君は……」


 華伝はその男を見るや、目を見開いた。孝太郎、弓雅、伝衛門も同様だった。そう、彼こそは、竜薙の家を焼いた張本人、竜薙左紋だった。


「久しぶりだね、兄さん。まさかこんなところで会えるとは思わなかったよ」

「左紋、君こそ、なぜこんなところに?」

「兄さん達と同じさ。おじい様のお見舞いだよ。ちょっと快気祝いのつもりでサプライズも仕込んでみたけど、楽しんでもらえたかな?」


 左紋は、足元の瘴鬼の屍を蹴りながら言う。


「左紋、悪いが話がよく見えねえよ。おじさんのゆるい頭でもわかるように、丁寧に説明してくれや」


 弓雅がどすの利いた声で言う。「やあ、叔父さんもひさしぶりだね」左紋はやはりにやにやしている。


「挨拶はいい。それより、この瘴鬼どもがサプライズってのはどういうことだ。まさか、お前が用意したのか?」

「ああ。オレ自身の力を使ってね」


 左紋はバンダナを外した。その額の中央には小さな突起があった。


「あれは……鬼の角?」


 孝太郎はぎょっとした。竜薙家の次期当主の男が、なぜ鬼になってるのだろう。


「そうか……『鬼に食われた』ってのは、そういうことか」

「食われた鬼と同化しちまったってわけか」


 華伝と弓雅は、一目で察したようだった。伝衛門も、重苦しい表情で「そうだ。あいつはもう人ではない」とつぶやいた。


「は! 誤解してもらっちゃ困るね。オレは鬼に食われたんじゃない。あの鬼の力を吸収したんだ。そして、オレは本当の力に目覚めたんだ! 本当の自分になったんだよ!」

「本当の自分? お前、いきなり何言ってんの?」


 なんだか痛々しくて、さすがに突っ込まずにはいられない孝太郎だったが、「凡人の猿は黙っていろ!」と、本当の自分様に鼻で笑われてしまった。


「兄さん達も、少しは知ってるんじゃないかな。いにしえの伝承にのみ語られる存在、鬼と人間との究極ハイブリッド――鬼人おにびとってやつをね」

「まさか、自分がそれになったとでも言うのかい?」


 華伝が尋ねると、「そうだよ!」と、左紋は自信たっぷりに答えた。


「鬼人って……いくらなんでも伝説上の存在すぎるだろ。お前、羽根の生えた馬とか、下半身が魚の女とかと同レベルだぞ」


 孝太郎は失笑してしまった。そう、一応、百瀬の家に伝わる古文書にも鬼人とやらの記載はあり、その存在だけは知っていた彼だった。しかし、人でありながら鬼以上の力を持つ超人で無限に近い魂生気を持ち、その戦う様は舞うように軽やかで一切の無駄がなく、とらえどころもなく、「流麗無形の悟り」と語られる、という設定のその生き物を、実在のものとは信じることはさすがにできなかった。孝太郎でも。


「黙れ! この銀色の髪が何よりの証拠だ! 古文書に記されている鬼人の髪の色となんだよ!」

「そりゃ、単に鬼に食われたショックで色が抜けたんだろ――」

「違うよ、叔父さん! オレは目覚めたんだよ! あの鬼の力を吸収して、本当の力にね! そして真のオレ……鬼人になったんだ!」

「いや、目覚めてないだろ。むしろまだ寝ぼけてんだろ……」


 話に聞く通り、色々こじらせてる痛い子だなあと思う孝太郎だった。


「だいたい、古文書に出てくる鬼人って正義のヒーローみたいな扱いだぞ。鬼から人を守る、みたいな。お前、自分の家の人間を大勢焼き殺したり、ここにいる元は人間だった人たちを瘴鬼にしたり、行動が悪そのものじゃねえか。どこが伝説の鬼人だよ」

「ふん、これだから凡人は。今と昔じゃ世界の人口は全然違うんだよ。今や、人は地上にあふれかえってるんだ。だから、鬼人の選ばれしオレが少しぐらい間引いたっていいのさ。特に、いやしい、つまらない人間はね」

「ああ、うん……選ばれしオレ、ね……」


 なんかもう、痛すぎて話が通じない。ここに中二病外来とかないのか。


「まあ、お前が何者だろうと、俺達にはどうでもいいことだがな」


 弓雅もかなり呆れたように言い、「せっかくだから、話を聞かせてもらおうか」と、懐から二枚の写真を取りだした。一枚は茶髪の美人の女のもので、もう一枚は葉山智子のものだ。いずれも瘴鬼になり、人殺しをし、華伝に始末された者たちだ。


「左紋、こいつらに見覚えはあるか?」

「ああ、二人ともオレがヤリ捨てた女じゃん。よく調べたねえ、叔父さん」

「ヤリ捨てただと!」


 なんと聞き捨てならぬ発言。男の風上にも置けない。


 さらに話を聞くと、というか、彼が自慢げの語るところによると、茶髪の美人のほうは、鬼と同化した直後、体調が不安定な状態でさまよっていたところを、たまたま道端で出会い、捕まえ、瘴鬼にして、その女の別荘でしばらく自分の世話をさせていたが、瞳術で支配しないと、しだいにおかしな行動を取るようになったので、めんどくさくなって捨てたのだと言う。その後、竜薙家に赴き、カッとなってそこを焼いた後は、街で葉山智子をナンパし、遊んだという。彼女を選んだ理由は、前の女がクソビッチだったので、今度はブスでもデブでも男経験なさそうな女がよかった、ということであった……。


「左紋、君は、それでよく自分が伝説の鬼人だと名乗れるな」

「お前、いくらなんでもやりたい放題しすぎだろ。鬼人どころか、ただの人間のクズじゃねえか」


 華伝と孝太郎も、ともに冷やかにそう言うほかなかった。


「なるほどな。竜薙の家も、そうやって鬼の力を使って焼いたってわけか。あの家の人間を何人かを瘴鬼にすれば、丸焼きにするのも簡単だしな」


 弓雅は軽蔑のまなざしで実の甥を睨む。「ああ、その通りだ。私が気付いたころには、すでに何もかも手遅れだった」伝衛門は苦渋の表情でうなずく。


「で、そんなクズ野郎が、なんで今更、竜薙のじい様の見舞いになんてきたんだ? 悪趣味なサプライズまで用意して?」

「やだなあ、叔父さん。オレにだって、おじい様をいたわる気持ちはあるんだよ。あのときは、ちょっとやりすぎたかなって思っただけさ。それに、よく考えたら、まだちゃんと話を聞いてなかったしね。十一年前のこと」


 と、そこで左紋は華伝のほうを見た。その眼光には不穏な敵意がにじんでいた。


「あの晩の反省も踏まえて、さらにおじい様の口の滑りをよくするために、快気祝いの瘴鬼の数をたくさん用意してたわけなんだけど、まさかこんなところで、十一年ぶりに兄さんと再会できるとはね。竜薙の風花のことは兄弟のよしみで兄さんに教えてもらえばいいし、まったく、おじい様に話を聞くために用意した瘴鬼達が、すっかり無駄になっちゃったよ。はは」

「てめえ……」


 さすがに孝太郎は怒りを覚えずにはいられない。人の命をなんだと思っているのだろう。


「というわけでさ、そろそろオレのほうから尋ねてもいいよね、兄さん。十一年前、兄さんの目の前にあったはずの竜薙の風花は、今どこにあるんだい?」

「それを知ってどうする。君はもう鬼だ。あれは瘴鬼や鬼には使えない」

「違う! オレは鬼人だ! 特別な存在なんだよ! だから、使える! 鬼人は竜薙の風花を使えるんだ!」


 左紋は目をかっと見開き、怒鳴る。鬼人ってそういう仕様であってるのだろうか。孝太郎はまたこっそり弓雅に尋ねた。すると、もともと竜薙の風花は鬼人が作ったとされており、むしろ、本来の所有者なのだという。あくまで伝説上の話だが。


「仮に君がその使い手だとして、君はそれを使って何をするんだ? あれは人を鬼から守るための刀だ。今の君には全く必要ないものだろう」

「違うね。あれは鬼や瘴鬼を斬るためのものだ。ただの純粋な力なんだよ。だから、本来の所有者である鬼人のオレにこそふさわしいんだ。オレこそが、唯一無二のホンモノってやつなんだからさ! ま、人間でも鬼でもない、中途半端な出来そこないの兄さんには、とうてい理解できないだろうけどね」


 と、左紋は何やら得意げな顔をしているが、「ああ、理解できないね」華伝は冷たく言い放つだけだった。


「は! そうやって兄貴面して強がっても無駄さ! 今のオレは瘴鬼の兄さんの口なんて簡単に割らせることができるんだからな!」


 瞬間、左紋の双眸が赤く、強く光った。これはまさか――瞳術の光? 孝太郎はぎょっとして、あわてて華伝の瞳を確認したが、時すでに遅し。その瞳はうっすらと金色にきらめいている……。


「さあ、話してもらおうか、兄さん。十一年前、竜薙の風花はどこに消えた?」

「あれは……僕が父さんから奪った……」


 華伝は焦点の定まらない瞳で語る。「おい、孝太郎! 早く術を解け!」弓雅が何かものすごくうろたえた様子で孝太郎の袖を引っ張った。そうだ、瞳術の無効化は一番大事な仕事だったはず! あわてて、ポケットをまさぐり、札を探した。


「奪った? 兄さんが父さんからあの刀を? じゃあ、いったい、その後それをどうしたっていうんだい?」

「売った……」

「う、売っただって!」


 左紋はよほど驚いたのだろう、声を裏返して叫んだ。


「なんてことしてるんだよ、兄さん! あれは竜薙の家に代々伝わる秘宝なんだよ! それを読み終わった漫画や飽きたゲームソフトみたいにぽいっと売っただって! ありえないよ! どうしてそんなことしてくれるんだよ!」


 左紋は予期せぬ答えに、完全に取り乱しているようだ。水面の餌に群がる鯉のように口をぱくぱくさせ、ペンギンのように両腕をばたばたさせている。


「じゃあ、いったいどこの誰に売ったか聞かせてもらおうか。ついでに買取価格もね!」


 さらに左紋の瞳が赤く強く光る。買取価格に何の意味があるのかわからないが。


「……それは……き、君に話すことじゃない……」


 見ると、華伝の額には汗がにじみ、眉間にはしわが寄っていた。どうやら、懸命に瞳術に抵抗しているようだ。


「は、早くしろ、孝太郎! このさい、なんでもいいから札を使え!」


 弓雅は左手で孝太郎の襟首をつかみ、急かす。やはりものすごく焦っているようだ。孝太郎もなんだか動揺してしまい、言われるがまま適当に札を出して、華伝の後頭部に張り付けた。瞳術無効化の念を込めて。


 が、当然、それはまったく無意味だった。札は直後、ぱらりと下に落ちた。


「孝太郎、てめえ、それでも鬼封符術師かよ!」

「か、勘違いしないでください。今日の俺はまだ本気じゃないだけで――」

「本気なら今出せ! 今日だけじゃなく向こう一週間ぶんくらいの本気を今出せ!」


 弓雅もひたすら取り乱して、口の端から泡を飛ばし始めた。


 そして、その一方で、華伝は必死に瞳術に耐えているようだった。左紋は繰り返し「誰に売った?」と聞くが、彼は答えない。


「いいから、オレの質問に答えろ!」


 と、左紋がいらだちをあらわに叫んだ瞬間だった。孝太郎は見た。華伝の瞳の金色のきらめきが消えるのを。


 彼はすぐに動いた。すぐに前に飛び出した。拳を握りしめて、左紋のもとへ、まっすぐに踏み込んだ――。


 直後、左紋の体は、背後の壁に叩きつけられていた。華伝の拳が、彼の顔面にクリーンヒットし、その体をふっとばしたのだ。壁にひびが入るほど、勢いよく、強く。


「瞳術を自力で破った……?」


 孝太郎と弓雅は驚きで目を見張った。鬼の瞳術は絶対支配の術だ。破れる瘴鬼などいるはずがない。


「に、兄さんが、オレを殴った? たかが瘴鬼の兄さんが、鬼人のオレを、助走をつけて殴った、だって……?」


 左紋も信じられないという顔をしている。華伝は肩で息をしながら「ああ、殴ったさ! 思いっきりね!」と怒鳴った。


「かかってみてわかった。君の瞳術は不完全だ。僕は以前、本物の鬼に瞳術をくらったことがあるが、こんなものじゃなかった。何が鬼人だ。今の君はただの、なりそこないの不完全な鬼だ」

「違う! オレは鬼を超越した鬼人だ!」


 左紋は動揺したように視線を泳がせた。そして、ふと、孝太郎に目を止め、「そ、そうか、そこの鬼封符術師の札のせいか!」と言った。


「え、いや、俺の札は別に――」

「なるほどね。まあ、邪魔が入ったんならしょうがないか、はは」


 左紋は言い訳を見つけ、意味不明な自信を取り戻したようだった。腫れた頬を手で押さえながら、ゆっくりと立ち上がった。その鼻の穴からは血が滴っている。


 と、そこで、外からだろう、パトカーのサイレンの音が遠く聞こえてきた。


「やれやれ。空気を読まない連中がもう来やがったのか」


 左紋は忌々しげに舌打ちした。そしていきなり、ロビーの奥へ走り出した。


「逃げる気かよ、待て!」


 孝太郎と華伝はすぐにその後を追った――が、その瞬間、左紋はふとこちらに振り返り、にやりと笑って瞳を強く赤く光らせた。


 それは瞳術の光に間違いなかった。だが、対象は華伝ではなかった。直後、二人の前に一人の老人が飛び出してきた。そう、白い総髪の、さっきまで彼らとごく普通に会話していた老人、伝衛門だ。しかし、今や、その瞳はうっすらと金色にきらめいている。


「お、おじい様――」


 華伝は愕然としたようだった。孝太郎も同じだ。二人は、その場で硬直してしまった。


「さっき、一階のロビーで、兄さん達が病院に入ってくるところ、オレ目撃しちゃってさ。思ったんだよね。竜薙の風花の話は兄さんに聞けばいいから、もうじじいに用はないって。だから、せっかくだし、瘴鬼にして兄さんにプレゼントしてやろうかなって。兄さん達がじじいの病室に入る直前に、あらかじめ瘴鬼にしておいた医者に命じたんだよ。これからじじいに打つ予定の注射にオレの血を入れろ、ってね」


 左紋はせせら笑いながら言うと、近くの窓のガラスを突き破って外に飛び出し、逃げて行った。


「か、華伝……わた、し、は……もう……」


 二人の目の前で、伝衛門は、いや一体の瘴鬼は、体を震わせ、目を赤く光らせた。ただちにその皮膚は赤黒く変色し、口は裂け、元の面影を失った。


 瞳術でそう命令されているのだろう、瘴鬼はすぐに華伝に飛びかかって来た。だが、彼は一切動かなかった。ただ棒立ちのまま、瘴鬼を受け止めた。その鋭い爪が彼の肩に食い込んだ。


 そして、瘴鬼は、彼の首元に牙を立てる――。


「あぶねえっ!」


 孝太郎はとっさに燕符を瘴鬼に放ち、動きを止め、その隙に華伝のジャケットの襟をつかみ、彼を瘴鬼から引きはがした。


「呆けてんじゃねえよ! 魂生気吸われたら、お前だって終わりだろうが!」


 襟をつかんだまま、思いっきり揺さぶると、華伝は我に返ったようだった。「す、すまない」と、すぐに孝太郎から離れた。


 瘴鬼はさらに二人に襲いかかって来た。だが、その動きは緩慢だった。老人だからではない、伝衛門の意志がそうさせているのだろう、孝太郎にはそう思えてしょうがなかった。


 やがて華伝は、その瘴鬼の頭をわしづかみにし、床に叩きつけた。瘴鬼の頭は潰れ、血と脳漿が飛び散った。


「孝太郎、まだ動いている。鬼封符でとどめを刺してくれ」

「ああ……」


 孝太郎はちらりと華伝の顔を見た。瘴鬼の力を使ったせいだろう、その瞳は赤く光っていた。だが、表情からは何の感情も読み取れなかった。まるで全てを内側に押し込んでいるようだった。


 孝太郎はそのまま鬼封拳符を仕込んだグローブを瘴鬼の胸に押し当て、とどめを刺した。ただちに瘴鬼はひからびて絶命した。


「そういや、お前、魂生気吸わなくてよかったのか? 必要なんだろ?」

「昨日持って帰って来たばかりだ。今は必要ない」


 華伝はそう答えた途端、よろめき、そばの壁に手をついた。何かひどく疲れている様子だった。

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