2章「竜薙華伝」その1
さて、その翌朝、ホテルでぐっすり眠っていた孝太郎は、突然、華伝に電話で叩き起こされた。
「これから僕の祖父に会いに行く。君も来い」
いきなりそう言われて、なんのことやらわからず、孝太郎は反射的に電話を切ってしまった。まだ眠かった。すると、今度は突然ホテルの窓が空き、一人の男が土足で部屋に入って来た。華伝だ。今日はブラウンのジャケットとグレーのニットを着ている。
「ちょ、おま、なんで窓から……つか、ここ五階……」
「早く着替えろ。叔父さんも下で待ってる」
華伝は近くのソファの背にかけてあった白いライダージャケットを取り、孝太郎に放り投げた。
「いや、だからお前、どういうことなのか、説明――」
「火事でずっと意識不明だった僕の祖父、竜薙伝衛門が今朝になって意識を取り戻したんだ。これから左紋のことで話を聞きに行く」
ああ、そういえば、こいつの弟の左紋とかいうチャラ男、今回の事件の関係者だったな。ようやく理解した孝太郎だった。すぐに華伝に促されるまま準備し、ホテルを出て、弓雅と合流し、車に乗り込んだ。
竜薙伝衛門が入院しているのは、焼失した竜薙家の近くにある、とある大きな病院で、ホテルからは車で一時間半ほどの距離にあった。運転は最初孝太郎がやったが、カーナビを使っても変な方に道を間違えるので、途中で華伝と交代した。そして、弓雅はふと、そんな彼の着ている服を見て、「今日は黒じゃねえんだな。服に興味がないお前が珍しいこった」とつぶやいた。華伝はただ「別にいいだろう」と答えるだけだった。
病院に着くと、三人はすぐに中に入った。だが、一階のロビーを歩いていると、華伝がふいに立ち止り、周りを見回した。
「どうした?」
弓雅が尋ねた。彼は今日はスーツを着ていた。
「何か違和感が……」
「ここってお前の実家のすぐ近くなんだろ。昔、来たことあるんじゃないのか?」
孝太郎は適当に言った。「そうかもな」華伝は首をかしげながらもやはり適当に答えた。
「ところで、叔父さん、おじい様の具合はどうなんだ? 二週間も寝たきりだったんだろう。ちゃんと話せる状態なのか?」
「ああ、大丈夫だ」
彼らはそのまま伝衛門の病室に向かった。
伝衛門の病室は二階にあり、個室だった。彼らが中に入ると、入れ替わりに看護師の男が中から出て行った。何か注射したばかりのようだった。
「久しぶりだな、華伝」
伝衛門は三人を一瞥するや否や、一瞬驚いたように目を見開いたのち、華伝にこう言った。六十代半ばくらいの、白い総髪の老人だ。顔色は悪く、やせ細っているが、弓雅の言うとおり意識ははっきりしているようだ。ベッドの上で、背筋を伸ばして上体を起こしている。
「ええ、お久しぶりです。おじい様」
華伝はゆっくりとベッドに近づく。
「十一年ぶりか。大きくなったな」
「そうですね。僕ももう無知な子供ではない」
孝太郎には二人の態度には明らかな温度差があるように見えた。伝衛門の声には孫に対する愛情のようなものが感じられたが、華伝はひたすら冷やかだった。
「弓雅、お前は相変わらず胡散臭い風貌だな」
「はは。竜薙のじい様はまた辛辣だ。胡散臭いのは俺の商売であって、外見はそうでもないでしょう」
弓雅はにこやかに対応するが、やはりどこかよそよそしさがあった。しかし、この状況で一番の部外者は――。
「ところで、弓雅、お前の隣の赤いのはなんだ?」
そう、竜薙の家とは全く無縁の赤い髪の男、孝太郎であった。
「い、いや、赤いの呼ばわりはひどいっす。自分、百瀬孝太郎って言います。鬼封符術師のはしくれです」
「そうか、百瀬のところのわっぱか」
伝衛門は孝太郎の父のことを知っているようだった。
「さて、おじい様。僕達は別にあなたのお見舞いに来たわけではありません。あなたにお伺いしたいことがいくつかあるのです」
「……左紋のことか?」
何か心当たりがあったのだろう、伝衛門は察しがよかった。
「はい。今現在、僕達の追っている事件に彼が関わっている可能性が高いのです。一カ月も前に死んだことになっている彼がね」
「それに、二週間前には竜薙家は何者かの放火で全焼だ。ぶっそうなことがまた立て続けに起こるものですな、竜薙のじい様」
華伝と弓雅はともに伝衛門に詰め寄った。だが、彼はすぐには返事をしなかった。しばし考え込むように黙ったのち、「その前に、まず私の質問に答えてもらおうか」と、華伝に言った。
「それは十一年前のことですか、おじい様」
「ああ。お前はあの日、残月の鬼の娘と出奔した。あれはあの後、どうなった?」
「生きていますよ、ちゃんとね」
「なんと……十一年も生き延びているのか」
伝衛門は目を見張った。鬼に関してはそれなりの知識を持つ孝太郎も驚いた。残月の鬼はすぐ死ぬのが常識だった。
「では、さらに聞こう、華伝。あの日、お前とお前の父の間でいったい何があったのだ?」
「何ってそれは――」
瞬間、華伝の瞳がいっそう冷たい光を帯びた。
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