1章「瘴鬼と残月」 その6

 さて、同じころ、華伝達の家では、ルカが自分の部屋で一人、頭を抱えていた。彼女の目の前のカーペットの上には割れた小瓶が散らばっている。当然、中身の液体もこぼれてすっかりなくなっている。


 どうしよう。これが最後の一本だったのに……。そう、彼女がたった今ダメにしたのは、鬼を眠らせるための特別な薬だった。華伝から瘴鬼の魂生気を受け取る際、起きたままでは彼を食い殺しかねないので、必ず飲むようにしているものだ。


「あ、あいつが悪いのだ。勝手に人の部屋を片付けて、よりによってあれの隣に置くから……」


 ルカはすぐそばの棚の、上の方の段に置かれているアルミの箱をちらっと見た。それはクッキーやチョコやキャンディーなどを保管しておくための、彼女にとって、とっておきのお菓子箱だった。ついでに言うと、華伝には秘密にして隠しておいているはずのものだった。彼はお菓子を食べすぎるのは体に良くない、などと、日ごろからわりと口うるさかった。だから、彼女はそれをクローゼットの奥の、衣類の山の中に忍ばせていた。


 それが、今日になって、いつのまにか棚の上に置いてあったのだ。(ついでにクローゼットの衣類も整頓されていた)華伝が掃除ついでにやったに違いなかったが、彼女はぎょっとした。中身は大丈夫だろうか。没収されていないだろうか。すぐに背伸びして箱に手を伸ばした――ら、手が滑って、隣に置いてある小瓶を下に落としてしまったというわけだった。焦りもあったが、ここ数日は瘴鬼の魂生気をもらってないので、あまり体に力が入らないのもあった。


 まあ、今すぐ薬が必要になるとは限らない。この薬の出所である瑞島弓雅に連絡して予備をもらえばいい……。彼女は部屋を出て、居間のテーブルの上に置かれていたタブレット端末を使って、弓雅に薬の在庫がなくなったとメールした。弓雅の電話番号は知っているが、彼は声の感じが低く怖いので、彼女はあまり話したくなかった。そもそも、彼女は人間という生き物そのものに恐怖を感じていた。……人間の作ったお菓子は大好きなのだが。


 弓雅からの返事のメールは来なかった。代わりに、家の電話が鳴った。華伝からだった。


「さっき、叔父さんから薬のことで連絡があったんですが――」


 なんということだろう。もう彼に失態が知れ渡っている! 二人の男の迅速な連絡網に彼女は顔が熱くなった。できれば華伝に知られずに薬を調達したかった。


「そ、その……薬を確認していたら、つい落として割ってしまってな……」

「確認?」

「ちゃんと中身が入っているかとか、賞味期限とか、配置の具合とか、そういう……」


 正直にことの顛末を話せるわけがないルカだった。


「そうですか。割ってしまったものはしょうがないですね」

「そ、そうだな。何も今日すぐに必要なものではないしな」

「いえ、それがさっき、瘴鬼を狩ったばかりなんですが」

「なんだと!」

「しかも、叔父さんからの返事だと、今は在庫がないそうです。新しく手に入るのに最低二日はかかるとか」

「二日……そんなに待っていたら、お前の中の瘴鬼の魂生気は――」

「はい、僕が吸収してしまいますね」


 ははと、彼は笑った。いや、笑い事ではないのだが。


「ルカ、残念ですが、今回は諦めましょう」

「いや、これは私の不手際だ。私がなんとかする」

「どうやって?」

「ええと……そうだな、今から私が言うものを買って来い。よいな?」

「はあ」


 彼はいかにも大丈夫かなあという感じの声だった。

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