1章「瘴鬼と残月」 その4

 さて、それからまた二日後の夜――。


「なあ、お前ってさ、瘴鬼だよな?」


 ワンボックスカーの中で、一人の男が、隣に座っている男ににわかに尋ねた。車は止まっている。場所は西崎沙織の自宅からすぐ近くの道路脇だ。時刻は深夜十一時。車の中にいる、話しかけたほうの男は白いライダージャケットを着た青年だ。二十歳前後と言った雰囲気で、赤毛の髪はやや長い。顔は掘りが深く、濃いめだ。肌もいくぶん黒い。


 そして、彼の隣に座っているのは、華伝だった。いつもと同じ黒いタートルネックとレザーパンツという格好だが、今は耳元にインカムを装着している。さらに、スマートフォンをいじって、何かをチェックいる様子だ。


「ああ、僕は瘴鬼だけど、それが何か?」


 華伝は男に振り向きもせずに答える。


「いや、なんかめちゃくちゃ普通だし……」


 瘴鬼というのは、人としての心を失った者だと、昔から男は父親に聞かされていた。実際彼が今まで目の当たりにしてきた瘴鬼も、かろうじて人の輪郭を少し残した程度の化け物ばかりだった。それなのに、つい先日会ったばかりの、この目の前にいる瘴鬼の男と来たら、スマートフォンをいじりながら、見ていやがるのだ。……お料理サイトを。


「お前、何調べてんの?」

「スイーツのレシピだ。うちの家では、毎週一回はお菓子を作る決まりになっている。それは鉄の掟なんだ」


 スマフォをいじる華伝は真剣そのものだ。


「何そのルール。意味あんのかよ」

「ああ。この掟を破ると大変なことになる」

「どうなるんだよ?」

「しょんぼりされる。それはとても辛いことだ」

「……え」

「言っておくが、孝太郎。僕はこの掟を一度たりとも重荷に感じたことはない。むしろ、これは毎週一回のお楽しみ習慣だ。だが、毎週毎週作っていると、次は何を作ろうか、悩んでしまうものなんだ。だから、こうしてレシピを調べて、最善の選択を模索してるんだ」

「いや、何も張り込み中にやらなくてもさ……」


 男ははあとため息を漏らした。そう、彼こそは、今回の事件で急きょ弓雅に呼び出された鬼退治の助っ人、百瀬ももせ孝太郎こうたろうだった。そして、今、彼らは、瘴鬼と化した葉山智子の動向をさぐるべく、その一番の友人の少女、西崎沙織の家の近くに潜伏しているのだった。


「でも、本当に瘴鬼のほうから沙織って女に連絡くるのか?」


 孝太郎はふと疑問を口にする。こういう探偵のような仕事はしたことがない男だった。


「その可能性は高い。瘴鬼になっても、完全に人間性を失うわけじゃないし、そのまま以前の知り合いとコンタクトを取るケースは非常に多いんだ。特に、沙織ちゃんは葉山智子と一番親しかったらしい。だから、彼女を監視し続けていれば、何かあった時にすぐ動けるはずだ」

「まあ、そうなんだろうけどさ、盗聴しながら張り込みとか、やり方が地道すぎるだろ。お前も瘴鬼なら、同じ瘴鬼の気配を感じ取って探すとかできないのかよ?」

「できないことはないが、それは相手に直接触れた時だけだ。それに、相手によっては完全に人間に擬態していて、判別が困難な場合もある」

「ああ、うん。それはよくわかる……」


 目の前に、そのお手本みたいなのがいるから。


「じゃあ、何か便利なアイテムはないのか? 仕事がスムーズに片付くような」


 張り込みを始めて数時間、探偵じみた真似はいい加減うんざりな孝太郎だった。彼は気が短い方だった。


「そんなもの、あったらさっさと使っている」

「え、でも、この仕事を引き受けるときに親父にちらっと聞いたんだが、お前の実家って、鬼退治で有名な竜薙家なんだろ? 何か一つぐらい――」

「僕はあの家は十一年前に出て、縁を切ったんだ。何の頼りにもならない。それに、あの家はもうないしね」

「え、ないって?」

「二週間前に火事で全焼したんだ。誰かが火を付けたそうでね。それで、ほとんどの人が死んだって話だ」

「なんだよそれ――」


 孝太郎は寝耳に水だった。竜薙家といえば、かなり古くから鬼を討伐してきた、この業界では名門の一派だった。表向きは剣術を主体とした古武術の道場として知られており、門下生もかなりいたはずだ。そんな家が火事で断絶? にわかに信じがたい話だった。


「おい、俺はそんな話聞いてねえぞ。火事で数十人は死んだんなら、ニュースとかで大々的に報道するはずだろ」

「圧力がかかって報道されなかったんだよ。あの家は、昔から表ざたに出来ないことをやってきたからね。最近は政財界の大物も資金提供してたみたいだし」

「表ざたに出来ないこと?」

「……瘴鬼となった人間を使った、人体実験とかね」


 華伝の瞳が、一瞬細くなり、赤く光った。それはまるで研ぎ澄まされた刃のような、鋭く冷たい光だった。孝太郎はぞっとした。さっきまでのんびりレシピを検索していた男とは別人のようだ。それに、その言葉、いったい何を意味するのだろう。いや、そもそも瘴鬼である男が、どうして鬼退治の名門の家の出身なのだろう? 考えるほどに、おかしな話だ……。


「まあ、僕の出自はどうでもいいだろう。しょせん、僕はただの瘴鬼だ。本物の鬼には無力だ。だからこそ、君が呼ばれたんだし」


 華伝はふと表情を和らげ、また普通の人間の顔に戻った。


「ただ正直、君にはあまり期待していない。ベテランの親父さんの代理でやってきた新人だそうだしね」

「か、勘違いするなよ! 実戦経験が少ないからって、腕が悪いとかそういうんじゃないんだからな!」


 孝太郎はむっとして言い返したが、本当のところは、彼自身も不安だった。そう、この事件は、本来は彼の父、陽太郎が出向する予定だった。だが、急に陽太郎が腰を痛めて入院してしまい、急きょ、息子の孝太郎が現場に赴くことになった。まだ本物の鬼を相手にしたことがない、未熟者の彼が。


「本来なら、僕はこの件からすぐ手を引くべきなんだ。だが、さすがに新人で半人前で頼りない君を一人で行かせるわけにもいかない。だから、君には僕のバックアップに徹してもらう。具体的には、鬼の瞳術対策だ。あれを無効化できれば、僕も鬼相手になんとか戦えるはずなんだが……できるかい?」

「お、おう。まかせろや」


 そうは言ったものの、鬼の瞳術の無効化など、当然したことがない孝太郎だった。実のところ、かなり高度な符術なのだ。


「まあ、いつ鬼が出てくるかわからないし、その時までにマスターしていればいいよ」


 華伝はやはりまるで期待していないような口ぶりだった。


 だが、それに、「か、勘違いするなよ(以下略)」と、孝太郎が反論しようとした瞬間、華伝の装着しているインカムが、家の中にいる西崎沙織の変化をとらえたようだった。


「向こうから電話がかかって来たみたいだ」


 孝太郎もすぐに彼のインカムに耳を近づけた。

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