10-4

 撃鉄を起こす音が、耳許で鳴った。

 伸ばしかけた手を止め、横目を向けた。

 銃口をこちらに向けた拳銃が、顔のすぐ横にあった。所々が、蒼い光を受けて鈍く輝いていた。

「――一応訊くけど」わたしは、銃の持ち主を見やりながら言った。「どういうつもりなのかしら?」

「ちょっと面白えことを思い付いたんだ」顔の傷を縮めながらブッツァーティは言うと、肩越しに〈名なし〉を振り向いた。「お前は武器を捨てな。禁忌を破られちゃあ敵わねえ」

 拳銃の床に落ちる音が響いた。

 ブッツァーティはわたしに銃を突き付けたまま、〈怪物〉の方を向いた。

「取引しようぜ。もちろん、対等な立場としてな」

 〈怪物〉が、頷くような間が空いた。

「ご覧の通り俺は、あんたの危機を救うことが出来る。あんたが何者だろうと構いはしねえよ。ただ、或る物を譲ってくれさえすれば」

「聞こう」

「地上で暴れ回ってるっつう〈騎兵隊〉。あれを俺にくれ」

 顔を向けようとしたわたしの頬に、拳銃が食い込んだ。

「あれはオルタナを抹消するための存在だ」

「だからこそ都合がいい。もちろん、地上の奴らを残らず殺されるのは勘弁だ。指揮権っつーか、そういうのを俺に丸ごと寄越せば、今すぐこいつの頭を吹き飛ばしてやるよ」

「あんた――」わたしは奥歯を噛み締めた。「初めからこうするつもりだったの?」

「怒るなよ。俺たちは怒っちゃいけない生き物なんだぜ?」ブッツァーティが、左半分が蒼く照らされた顔を寄せてきた。「人が怒らないためにはどうすれば良いかわかるか? 圧倒的な強さで押さえ付けりゃ良いんだ。怒りを感じないほど圧倒的な力でな。俺ならそれが出来る。俺が地上に平和な国を作ってやるよ」

「認めよう」〈怪物〉が言った。「トマス=ブッツァーティ」

 「君の」

  「申し出を」

   「受理しよう」

「話のわかる相手で助かるよ」

「だが」

 「我々の計画は」

  「遂行されねばならない」

「地上の人間を滅ぼすって話か? まあ、どうしてもしたいってんならしょうがねえな。俺が死んだ後でなら、好きにすれば良い」

「ブッツァーティ……!」

「なに怒ってんだよ、良い子ちゃん。誰だって自分が一番楽しく生きたいと思うだろ。それのどこが悪い? テメエが生きてなかった過去も、テメエが生きる筈のねえ先の未来も、俺には関係ねえんだよ。俺は今の俺のために生きる。それ以外は知ったこっちゃねえ」

 何も考えられなかった。

 何も考えたくなかった。

 この男に対して、何らかの感情を抱くことすら抵抗を覚えた。

 〈マザー〉が、少年時代の父に見た、わたしたち〈オルタナ〉の可能性――。けれど、それは結局、彼女の買い被りでしかなかった。〈オルタナ〉もまた、地球人類と同じ轍を踏もうとしている。彼らに作られた存在である以上、やはり彼らを越えられないのだ。

「約束しよう」

  「ブッツァーティ」

 「君が存命の間は」

    「地上に手出しはしない」

「交渉成立だ――」

 ブッツァーティの言葉は途中で切れた。代わりに悲鳴とも呻きともつかない声と、固いものが砕けるような音が被さった。

 彼の身体は壁に叩きつけられてから、床に落ちた。

 赤い光が、わたしの視界の端を漂っていた。首を回すと、隣には〈名なし〉が立っていた。ステットソンハットの下に、赤い光は灯っていた。

「テメェ……」ブッツァーティは床に何か吐き出した。小石が落ちるような音がした。「〈禁忌〉はどうしたんだよ?」

 〈名なし〉は一歩ずつ、ブッツァーティの方へ近付いていく。その足取りはゆっくりとしたものだった。初めは勿体付けているようにも見えたけれど、全体的に動きがぎこちなかった。熱に浮かされた病人が、無理矢理出歩いているといった様子だった。

 やがて〈名なし〉は、ブッツァーティの前に辿り着いた。そしてマントを翻し、配線が剥き出しになった左腕を振り上げた。

「機械が人間を攻撃していいのかよ?」ブッツァーティの声は、心なしか震えていた。「回路が焼き切れそうだぜ?」

 たしかに〈名なし〉のうなじからは白い煙が出ていた。彼の電子頭脳は、今まさに〈禁忌〉と戦っているのかもしれなかった。

 特にネックになる第一条。これを〈名なし〉は、長い年月を掛けて克服していた。九十九パーセントまで乗り越えた、といっても過言ではなかった。跳弾で間接的に相手を負傷させるところまで出来るようになったのは、〈禁忌〉の限界に対する肉迫だった。

 だけど、残り一パーセントの壁が高いのだ。

 人間(もしくはそれに準ずる)相手に、直接、自らの意思を以てダメージを加える。もっとはっきり言えば。〈禁忌〉の根幹そのものを守る最後の一パーセントを、〈名なし〉は無理矢理乗り越えようとしているのだった。

 たぶん、所有者であるわたしを守るために――。

 〈名なし〉の左腕が、振り下ろされた。


 時間が停まったようだった。

 喉に痛みが走った。何か叫んだ覚えがあったけれど、何を言ったのか思い出せなかった。

「ハ、ハハ……」ブッツァーティが引き攣った笑い声を上げ始めた。彼はそのまま、気が振れたように笑い続け、最後に気を失った。

 〈名なし〉が、ブッツァーティの顔の前で止めた手をゆっくりと下ろした。それでいい、とわたしは肩をすぼめた。そして、黙って様子を見ていたらしい額縁を見上げた。

「残念だけど、もう時間よ」

「アニー」

  「君は」

    「愚か者だ」

「自分でもそう思うわ」

 だけど。

 だからこそ。

 選ぶ道を、間違えたくない。

 わたしは〈YES〉と書かれた幻に触れた。

 〈怪物〉最後まで何か言っていたけれど、声は両側に引き延ばされたように低くなり、聞き取ることは出来なかった。やがて〈怪物〉の画は額縁諸共、砂のようにバラバラに砕けて消えていった。

 続いて、〈棺〉の中の光が消えた。立っていた十一の箱から順番に消えていき、やがて通路の両側に並んだ他の〈棺〉もどんどん灯りを落としていった。

 蒼い光が失われてしまうと、辺りの暗闇が思いのほか濃さを増した。そんなこちらの胸の内を読んだようなタイミングで、赤色の光が灯った。選択の幻が表示されていた場所に、新たに〈COMPLETE〉の文字が出て、すぐに数字に変わった。〈12:54:33〉とあった(最後の二桁は速くて判読できなかったけれど)。

 数字は刻々と減っていた。砂時計の中を砂が落ちるような速さで。

 その意味を悠長に考えている暇はなさそうだった。

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