10-2
金属の立てる乾いた音が、両方の耳から入ってきた。
そもそも込められていない弾が発射されることはなく、わたしの脳は、わたしの知る限り頭蓋に収まったままだった。
左のテラーズをベルダーシュが、右に立つテラーズを〈名なし〉が、それぞれ手にしていた銃の底で殴りつけた。床に倒れたローブは、布の塊と化した。
「ごめんなさい、ベルダーシュ」わたしは彼女の耳許で囁いた。
「問題ない。私たちに痛みはない」彼女は前を向いたまま言った。「それに、得られたものは大きい。彼女たちも本望だろう」
額縁の幻が一瞬、大きく形を崩した。すぐに元の姿に戻ったけれど、何らかの異常を来したらしいことはわたしの眼にもわかった。
「生意気な真似をしてくれる」〈怪物〉が言った。
わたしが見ている限り、ベルダーシュは銃を構えたまま動いていなかった。
事前に彼女から説明を受けていた〈作戦〉によれば、アンドロイド同士での会話に使う電気信号の回路をわざと開き、そこへアンドロイドの身体を操ろうと伸びてくる相手の触手をわざと侵入させ、捕まえることが出来るとのことだった。これら一連の攻防は全て無言のうちに、わたしたちの眼にも止まらぬ速さで行われるという。想像しがたい世界ではあるけれど、わたしはベルダーシュを信じ、彼女に全てを託した。
結果、〈作戦〉は上手くいったようだった。
「奴を捉えた」ベルダーシュが、わたしにだけ聞こえるように小さく言った。「あれは――やはり人間の意識ではない」
これも船に降り立つ間際、ベルダーシュから聞かされていたことだった。彼女は「あくまでも仮説」とした上で、こんなことを予想したのだ。
「〈管理者〉を名乗る十一人の科学者の意識は、既に完全な電気信号に変化しているかもしれない。つまり、私のような機械と変わらぬ存在になっている可能性がある」
「それは、〈彼ら〉が既に死んでいるということ?」
「元の肉体での覚醒が不可能という意味では、死と同義だ」
彼女の予想は、当たっていたのだ。
「おい、これ」場違いに陽気な声がした。
ブッツァーティが通路の脇にある蒼い光を見下ろして、手招きするように言った。
「見てみろ、その棺桶」
わたしも首を伸ばし、覗いてみた。
その〈棺〉の硝子には霜が張っていなかった。外側に結露が付いていたようだけれど、ブッツァーティだろう、拭われた跡があった。ぼやけていた蒼い光が、そこからだけは鮮明に外へと漏れていた。
近付いていくと、硝子の外に付いたのが結露ではないとわかった。
埃が積もっていたのだ。その拭われた隙間から、中で眠る人間の顔まで、はっきりと見通すことが出来た。
寝顔というには、あまりに生気のない顔だった。
再び目を開こうにも、その顔には瞼が存在しなかった。鼻も、唇も、頬も、全て。何もかも。
そこにあるのは、宿主の骨格だけだった。
「随分と洒落た墓場だぜ」
ブッツァーティの笑い声を聞きながら、わたしは隣の〈棺〉の硝子も拭いた。やはり、蒼い光に包まれた骸が姿を現した。その隣も、また別の〈棺〉も、中身は同じことになっていた。
額縁を見やった。ベルダーシュによる無言の攻撃が効いているのか、〈怪物〉は沈黙を続けていた。
〈怪物〉が囓り付いている、白い何か。それが何であるのか、ようやく見分けが付いた。
頭のない、人の身体だった。
「――アニー」
不意に〈怪物〉の声がして、不覚にも肩が撥ねてしまった。
「君は、チェスがあまり得意ではないようだ」
父のキングを取ったと思ったら、逆にチェックメイトを告げられた記憶が頭を過ぎった。愛おしい父との思い出が、黒い悪意に汚された気がした。
「チェックメイトだ、アニー」
「伏せろっ」
ベルダーシュの声が飛ぶのと同時に、視界が黒い影に覆われた。
方々で火花の散る音がした。〈名なし〉のマントの隙間から覗くと、ヒースの持っていた銃から発せられていた蒼い閃光が、雨を横にしたような勢いで降り注いでいた。
「どうなってんだテラーズ!」ブッツァーティがどこかで叫んだ。
「制圧に失敗した。物理的に破壊するしか――」
ベルダーシュの言葉は銃声に掻き消された。彼女は身体を仰け反らせ、そのまま仰向けに倒れた。ライフルで自分の顔面を撃ち抜いたのだ。
「あいつ自殺したぞ!」
「操られたのよ!」わたしも叫んだ。
「左様」〈怪物〉が言った。「アンドロイドの電子頭脳など、タイプライターと変わらない。そもそも概念の段階が違うのだよ」
「わかるように言え!」
「馬鹿では太刀打ち出来ないということだ」ベルダーシュの声がした。
見ると、先ほど銃の底で打ち倒されたテラーズの一人が起き上がるところだった。鏡状の仮面が外されると、果たしてベルダーシュの顔が現われた。彼女は闇の奥から飛んでくる閃光を避けながら、わたしたちが身を隠す〈棺〉の陰までやって来た。
「そいつも大丈夫なのかよ?」別の〈棺〉の方からブッツァーティが問うた。
「浸食されたノードは切り捨てた」
その割り切りが、この時は頼もしかった。
「さっき、言い掛けていたこと――物理的に破壊するって?」
「航宙船を自壊させる。システムの起動スイッチの存在は確認済みだ」
そう言うと彼女は〈名なし〉を促し、彼の手を取った。無言のうちに何かを伝えるような間が空いた。
「――スイッチの位置は彼にも共有した」
「あなたは行かないの?」
「あちらの電子攻撃を防ぎきるほどのプロテクトを構築できない。同行は却って危険だ。ここから支援する」
「危ないのは彼も一緒じゃないの?」彼とは〈名なし〉のことだ。
「彼の電子頭脳は長い間スタンドアロン状態を保っていたため、独特の論理防壁が構築されている。我々にも、そして〈管理者〉にも容易に突破は出来ない筈だ」
わたしは頷いた。それから、〈名なし〉を見上げた。
「お願い出来る?」
〈名なし〉は小さく頷き、ステットソンハットの鍔を摘まんだ。
「ブッツァーティ!」わたしは閃光が空気を切る音の中へ呼び掛けた。「聞いている?」
「聞いてるよ!」火花を避けるような声が返ってきた。
「あなたに贖罪の機会を与えるわ!」
「突っ込めって言うんだろ?」
「話が早いじゃない」
「残念だがお嬢ちゃん、こういうのは贖罪の機会とは言わねえんだよ」
知っている。
絶好の、復讐の機会だ。
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