9-3
わたしたちを乗せた乗り物は、ゆっくりと回転していた。それとわかったのは、先ほどまで見下ろしていた真っ赤な大地が頭上にやって来たからだった。
「航宙船とのドッキングに備え、回転を同期する」
ベルダーシュの言っていることを、わたしもブッツァーティも理解出来ていなかった。
「取り敢えず、どこかに捕まっておく必要はない」
わたしは彼女から離れた。ブッツァーティが、尚も長椅子の肘掛けを掴んだまま訊ねた。
「あれが地上なのか?」
赤い大地の縁は弧を描いていた。離れていくにつれ、それが球体だとわかってきた。わたしたちは、その表面に立っていたのだ。
同じ赤でも、濃淡は様々だった。山や谷が作る影も見える。ヒビのような筋は、川だろうか。大きな橙色は荒野のようだった。どこが〈フロンティア〉で、どこがワイルダーなのかは区別がつかなかった。
「これが世界……」わたしは、硝子に手を触れた。「神様が見ている眺め」
球体は時折、硝子の向こうに現われた。乗り物はその周りをぐるぐると巡っているようだった。
「そろそろ準備を」と、ベルダーシュが言った。「航宙船とドッキングする」
ブッツァーティが懐を弄ったかと思うと、煙草を取り出した。彼は一本取り出して咥え、燐寸を擦った。わたしは鼻を摘まむ。
「やめてよ、こんな所で」
彼の口から、細い煙が吐き出された。
「人生最後の一本になるかもしれねえんだ。許してくれよ」
「自ら貴重な空気を汚すとは」ベルダーシュが言った。
「そういう生き物なんだよ、俺たちは」
ブッツァーティは黄色い歯を見せた。
やがて硝子の向こうに、これまでなかったような人工物が現われた。銀色のリングと、その中心を貫く一本の円柱。二つの構造物は、一本の細い管で繋がれていた。表面の色合いは、ヒースに連れて行かれた塔を思い起こさせた。
〈天の揺りかご〉――。
光の点として見上げるだけだったそれが、今は目の前に迫っていた。
〈船〉は、円柱の端に空いた四角い穴に入った。窓の向こうが闇に包まれた。迎え入れられるように静かで、穏やかな侵入だった。開け放たれた怪物の口に入っていくような不気味さも、そこにはあった。
「酸素濃度は地球と同等のものに設定されている。お前たちには少々濃く感じるかもしれないが、短時間の活動であれば体調に問題はない」
「本当に固まったりはしないんだろうな?」ブッツァーティが言った。身体のことだ。
〈船〉に乗る前、わたしたちは薬を飲まされた。急拵えではあるものの、ペリグリンでのことのように身体が硬直するのを防ぐ薬ということだった。
「こちらも効果は一時的だ」
「長居したら死ぬってことか」
「この先、煙草を吸い続けるのと、危険性はそう変わらない」
「煙草を選ぶね、俺は」
「そう時間は掛からない」わたしは二人の間に割って入った。「〈彼ら〉がわかってくれない時は、その時は――」
わたしの手中には、〈魔女〉のペンダント(既に鎖が切れ、ペンダントの体を成してはいなかったけれど)が収まっていた。わたしはそれを、改めて握りしめた。
乗り物が小さく揺れた。進行が止まったようだった。
わたしたちの姿を反射していた硝子の外が、仄かに明るくなった。倉庫のような、大きな空洞の中にいるということだけは理解出来た。
降りる間際、ベルダーシュがライフルを差し出してきた。ペリグリンの山でブッツァーティを狙ったのと同じ型の銃だった。
「いらないわ。わたしにはこれがある」わたしはホルスターに、父が遺した銃を差したままだった。
「敵は攻撃してくるぞ」
「頼もしい用心棒がいるもの」
それから、後ろに立っている〈名なし〉を振り仰いだ。彼は唇を結び前を向いていた。
「今度はしっかり守ってよね」
〈名なし〉は小さく頷いた。
わたしたちは、神様の眠る船に降り立った。
テラーズの面々と共に、薄闇の中を進んだ。
彼らの頭には〈マザー〉の遺した船の地図が組み込まれているのだという(ベルダーシュは〈インストール〉という言葉を使っていた)。辺りは静寂、というより、一切の物音が排されていた。自分の息遣いが、むしろ大きく感じられ、自然と呼吸が低くなった。
隊列はわたしを中心に組まれていた。両隣をベルダーシュの仲間が歩き、しんがりとして〈名なし〉がついてきた。ブッツァーティは、わたしの指示で先頭を歩かせた。背中を預けるほどの信頼は、彼にはなかった。隣にベルダーシュを置いたのも、抑止力としての意味合いが強かった。
わたしには見えない周囲の光景も、アンドロイドたちには見えているようだった。そうした中で、前を歩くベルダーシュが右手を挙げた。〈止まれ〉のサインだった。
息を詰める。意図せずとも、本能が呼吸を押さえ付けた。
周りを固めるテラーズたちが身構えるのが、空気で伝わってきた。
ベルダーシュの肩越しに見える前方の闇が、不意に穿たれた。光が射したのだと、一拍遅れてわかった。
光の中には人影が立っていた。
ヒースである。青い、騎兵隊の制服を着ている――といって、わたしをペリグリンの山へ連れて行った彼とは別人だろう。そちらは〈名なし〉により、わたしの目の前で頭を撃たれたのだから。
「ようこそ、オルタナの諸君。まさか君たちをここで迎えることになるとは」
両隣と前方で、銃を構える音がした。全ての銃口が、青い血を湛える騎兵隊員に向けられていた。狙われた張本人は両手を挙げた。
「穏便に行こうじゃないか。ここまでわざわざ、殺し合いをしに来たわけじゃあないんだろう?」
「今すぐ地上の〈騎兵隊〉を止めて」わたしは言った。
「悪いけど、僕にそんな権限はないんだ」
「なら、〈彼ら〉の所まで連れて行って」
ヒースは両手を挙げたまま、肩を竦めた。
「最初からそのつもりだったさ」
彼を水先案内人として、進むことになった。
「そう神経質にならなくても良いんじゃないかな」道中、ヒースはこちらに背中を向けたまま言った。「ここには僕しかいないし、僕には君らを攻撃する意思はないよ」
「うるせえヤサ男」ブッツァーティの声が被さった。「テメエには仮があるんだ。また妙な技使ったら、頭吹っ飛ばすぞ」
ベルダーシュの言った通り、少なくともブッツァーティの銃が向けられている限りは、ヒースへの脅しが成立していた。けれど、それは相手が単独の時だけだ。もし、向こうの仲間がどこかで待ち構えでもしていれば、途端に形勢はこちらが不利になる。戦いに不慣れなわたしでさえそう思うのだから、周りを固めるアンドロイドたちは尚のことだっただろう。彼らは片時も、臨戦態勢を解こうとはしなかった。
意外にも、敵の襲撃はなかった。この船には本当に、ヒース一人しかいないのではと信じそうになるほど、わたしたちは静かな道を辿っていった。
「着いたよ」
やがてヒースが足を止めたのは、両開きと思しき鉄の扉の前だった。見上げるほどに大きなそれは、巨人が余程の力を加えなければ開きそうになかった。
「随分と厳重なのね」わたしは言った。
「ここがやられては、元も子もないからね」
「大事な所にしては、易々と連れてきたもんだ」ブッツァーティがヒースの頭に銃口を押し付けた。
「〈彼ら〉がそれを望んでいるんだ」
ヒースは怯えた様子も見せずに、扉に手を翳した。すると、扉の表面にいつか見た額縁のような幻の枠が浮かんできた。枠の中には文字が書いてあり、〈LOCK〉が〈UNLOCK〉へと変わった。頭上で扉が、ゆっくりと開き始めた。
途端に中から、例の青い閃光が飛んでくることは、充分にあり得る話だった。けれどここでも、わたしたちが待ち伏せを食らうような事態にはならなかった。
「〈彼ら〉は君に興味を抱いているんだ、アン=モーゼス」ヒースが、こちらの胸を読んだようなタイミングで言った。「君がオリガの意志を継ぐに相応しい存在かを見極めようとしている」
「もしお眼鏡に適ったら、地上の人たちは救われるの?」
「それは〈彼ら〉に直接訊いてくれ」
ヒースは案内人らしく、自ら歩き出した。それに続いて、わたしたちの隊列も巨大な門を潜った。
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