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 それはたった一晩のうちに起きた出来事だった。

 〈フロンティア〉に境界を接するナサニエル・ヨークから、住人たちが忽然と姿を消したのだ。

 建物に被害はなく、荒らされた形跡もない。これで何故、〈虐殺〉などと銘打たれているかというと、住人たちが殺された、明らかな形跡が残っていたからだ。

 思い出すだにおぞましいそれは、街の外れにあった。

 大きな穴。中には消し炭が詰め込まれていた。

 最初に街の異変を発見した人――アイゼンの街から来た駅馬車だった――によると、彼らが来た時にはまだ穴に炎が残っていたという。人が掘ったとは思えない異様な大穴と、そこから漂う肉の焦げた臭い。ただならぬものを感じながらも駅馬車は街に辿り着き、その異変を近在の街々に電信で知らせたのだった。

 この時、馭者は大穴に負けず劣らず妙なものを目にしていた。

 地平線を蠢く青い影。

 陽炎に揺れながら、その青はやがて、赤い大地の向こうに消えたという。

「〈管理者〉たちが動き出した」

 朝、まどろみ程度の眠りしか得られなかったわたしの前に姿を見せたベルダーシュが、開口一番そう言った。彼女は斥候に放った仲間たちの情報として、ナサニエル・ヨークの状況を教えてくれた。手が触れられると、ご丁寧に当地の光景が、まるで見てきたように脳裏に浮かんだ。肉の焦げた臭いまでも。

「もういい。やめて」わたしは彼女の手を払いのけた。「――これが〈彼ら〉の仕業だというの?」

 ベルダーシュは頷いた。

「オルタナの殲滅が始まった。同じ事が、他の場所でも起こるだろう」

「止められないの? 相手はヒースたちなのでしょう?」

「あの人工体が〈人類〉の使用目的に製造されたものだとすると、少なくとも1867体分を作成する材料は確保されている筈だ。我々との戦闘で破損したとしても、千体以上残存していると考えるのが妥当だろう。片や我々は二百にも満たない。それにこちらは、相手を戦闘不能にこそすれ、殺すことは出来ない」

「ならば皆に、武器を取って戦ってもらいましょう――」

 言ってから大きな見落としに気が付いた。同時に、ナサニエル・ヨークの人々が味わったであろう恐怖が足元から這い上がってきた。わたしは口元を押さえ、くずかごに屈み込んだ。

 それが出来るだけ、わたしはまだ幸せだった。小指一本動かせないまま、身体に火を点けられることに較べれば。

「……方法はあるんでしょう?」わたしは息を整えながら、ベルダーシュに訊ねた。「だからこそ、あなたはここへ来た」

 ベルダーシュはまた頷いた。それから、人差し指で天井を指した。

 この時は、彼女が天井ではなく空でもなく、更にその先を指しているなどとは、すぐには考えが及ばなかった。


 空の向こうへ行く準備は、わたしの知らない所で着々と進められていた。わたしが最後の一ピースとして嵌まれば完成、という段でさえあった。

「あなたたちはどこまでも勝手なのね」わたしは口を曲げてベルダーシュに言った。「わたしが断るだなんて、考えもしなかったんでしょう?」

 彼女は表情を変えず、こちらの皮肉を受け止めていた。

 わたしは溜息を吐いた。もちろん、ここまで来て船を下りることなど考えられなかった。この世界で青い影――〈騎兵隊〉を止められる可能性を持つのは、恐らくわたししかいないのだから。

 〈マザー〉にしてやられたという気持ちを感じなくもない。こちらの思考を含め、全て仕組まれたことだと思うと腹だって立つ。

 けれど。

 それでも。

 わたしは彼女の言葉を信じることにしたのだった。

 わたしたちに全てを託そうという彼女の言葉が嘘ではないと、信じてもいい気がした。少なくとも彼女を信じる自分の心を、否定したくはなかった。

「一つだけはっきりとさせておきたいのだけど」わたしは、ベルダーシュの眼を見据えて言った。「わたしがこれから取る行動は、全てわたしと、わたしの家族のために取るものよ。決して〈マザー〉やあなたたちを助けるためじゃない」

 それがどうした、とでも言いたげに、ベルダーシュはこちらを見返してきた。わたしは己の滑稽さを自覚しながらも続けた。

「大事なのよ、理由が。こういう時には。結果だけでは足りないの。どういう筋道を通って辿り着いた結果なのか。それを示さなければ、どんな偉業もすぐに意味がなくなってしまうのよ」

 ベルダーシュは小さく頷いただけで、歩き出した。

 伝えたいことが伝わったという手応えはなかったけれど、わたしも後を追った。

 乗り込んだのは、もはや見慣れた楕円型の宙に浮く〈船〉だった。元は地上と、空の向こうに浮かぶ〈天の揺りかご〉とを行き来するために使われていたのだとベルダーシュは語った。

「大丈夫なの? 何百年も昔の機械なんでしょう?」そんなもので空高くまで上がるというのは、なかなかゾッとしない話ではあった。

「問題ない」ベルダーシュは頷いた。「ここにある機械の中で、最もよく整備されているのがこの船だ」

 〈名なし〉が腕組みしたまま壁に寄り掛かっていた。他は、テラーズのオルタナ――もといアンドロイドたちが忙しく立ち働いていた。

「……それは安心ね」

 視界の端で、船室の扉が開いた。

 入ってきた人物を見た時は初め、何か悪い幻なのかと思った。それからすぐに、悪い幻であれと願う心が胸の隅に萌した。

 けれどそれは幻などではなかった。

「よう」男の顔に刻まれた刀傷が縮んだ。「元気そうだな。お互い、達者で何よりだ」

 わたしはベルダーシュを見た。睨んだ、といってもいい。

「〈名なし〉の論理パッチを充てているとはいえ、私たちには人工体の殺傷は不可能だ。我々にとって、彼は人工体を直接攻撃出来る貴重な戦力だ。背に腹は代えられない」

「だからって、よりにもよって――」

 拍車を鳴らしながら、ブッツァーティは歩み寄ってきた。最後に見たのは幻覚とはいえ痛みを感じる崖の上でのたうち回る姿だったから、その時に比べれば随分と元気そうに見えた。彼はわたしの目の前に来ると、浅黒い節くれ立った手を差し出してきた。

「まあ、仲良くやろうぜ。ひどい目に遭わされた者同士、力を合わせて、な」

 わたしは小さく息を吸い、ゆっくり、深々と吐き出した。

「わたしはわたしのために戦う」

 ブッツァーティの右手は、まだ握手を求めていた。

「あなたはあなたの理由で戦って。それはわたしには無関係よ」

 彼の横をすり抜けて、反対側の長椅子に座った。

「つれないねえ」肩越しにこちらを見ながら、ブッツァーティが言った。

 間もなく、〈船〉は浮上を開始した。

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