8-2

「ベケットの言葉に反して、己の選択を後悔したことは一度もなかった。といって、決して楽しいことが続く日々でもなかったのだけれど。

 私の子(男の子だった)は、三回目の誕生日を迎える前に息を引き取った。私も彼もあくまで〈地球人〉で、この星で暮らすには早すぎた。私の肉体も、様々な病魔に蝕まれていたから、不思議なことじゃなかったわ。ただ、彼の一生に苦しみしか与えられなかったことは、今でも哀しく思う。

 初めは〈集落〉だったオルタナたちの住処は、やがて〈村〉となり、〈街〉を形成していった。一つの〈街〉から派生して、他の土地に〈村〉を築く者も現れるようになった。百年も経つ頃には、平地を中心として大陸の隅々に誰かの手が伸びていた。

 これが〈人間〉であれば、開拓のスピードはもっと遅々としていたでしょうね。けれどオルタナは、〈人間〉でいうところの〈成熟期〉を長く設定してあるから、生まれて十年もすれば、一人前の労働力になる。標準寿命の五年前に当たる六十歳までは、体力の衰えも出ない。あなたたちが普通だと考えているこのサイクルも、本来の〈人間〉とは違ったものなの。

 私の、本来の身体は六十を迎える前に限界が来たわ。予め用意していた人工体に記憶を移して、最初のオリガ=ブルガーコフは息を引き取った。以降、今までに十二回、私はこのような〈乗り換え〉を行ってきたの。

 厳密にいえば、私もまた〈人間〉じゃない。かといって、あなたたちオルタナとも違う。オルタナの肉体を使うのは簡単だった。それをすれば、もっと良質な肉体で、今もあなたの隣に立つことが出来た筈。けれど、それは断じて行わなかった。あなたたちの誰か一人でも犠牲にすることは、そんなことをする資格は、私にはないのだから。

 私は飽くまで、手持ちの材料だけで、自分の身体を構築し、〈乗り換え〉を行ってきた。

 これだけは誓って言うわ。決して、あなたたちを捕まえて食べたりなんかしていない。

 もう一つの哀しい出来事は、その点かしら。

 オルタナたちに嫌われてしまったこと。

 彼らがいつしか、私を異形の存在と見做すようになったこと。

 宇宙で眠る、かつての仲間たちがそう差し向けていることは想像がついたわ。〈彼ら〉は私がオルタナを扇動して、反乱でも起こすと考えたのでしょうね。

 ――妙な言い方になってしまったわ。

 眠っているのにどうして考えることが出来たのか。

 これは私たちが取り決めていたことで、肉体を氷漬けにした後でも、意識だけは機械に移して覚醒状態を保っておいて、航宙船の制御を行っていたの。身体は眠っているけれど、頭は起きているという、想像しただけでも草臥れる状態ね。結局私は地上に残ったまま戻らなかったから、これをせずには済んだけれど、〈彼ら〉は十一人でしっかりと実行したみたい。

 そんな〈彼ら〉が地上に、自分たちの手足となる個体を下ろしてオルタナたちの中に紛れさせた。そして内部から、オルタナたちの思考を操ったの。

 私と、私に付き添っていたアンドロイドたちは〈テラーズ〉と呼ばれることになった。恐怖をもたらす存在。皮肉なことに、綴りを変えれば〈地球〉を表わす言葉になるのだけれど。

 オルタナたちが私に背を向け始めた頃、或る人物が私の前に現れたわ。

 ベケット――彼と同じ顔を持つ、ヒースという名前の青年だった。

 彼は私に、宇宙への帰還を命じた。仲間たちからの、最後通牒という形で。

 私は応じなかった。〈彼ら〉と私とでは、既にあまりに長く別の時間を過ごしていたから。その間に空いた価値観の溝は、もうどうやっても埋めがたいものだった。

 全く以て理解出来ない、とベケットの顔を持つ青年は首を振った。どうしてあなたは茨の道を選んで歩くのか、と。我々と共にいれば、苦痛もなく、花の咲く楽園に降り立つ日を待つことが出来るというのに。

 話し合いは物別れに終わって、〈テラーズ〉となった私たちは山に籠もった。それから数百年の間、火星の日陰からオルタナたちの生活を見守り、空にいる〈彼ら〉の出方を覗い続けた。

 たしかに〈茨の道〉だったことは認めるわ。話し相手といえば、〈彼ら〉と対抗するために作ったアンドロイド――それも、小さい頃に亡くなった息子が大人になった姿を想像して作ったもの――。一切の孤独を感じなかったといえば嘘になるわ。それでも、自分で進むと決めた道であれば、堪えることが出来た。自分で決めた道を、自分の足で歩いているという実感さえあれば。


 私の中で、或る考えが靄のように渦巻いていた。それが固まって、明確な形を成すきっかけとなった出来事があるの。

 次の身体への〈乗り換え〉を行う直前だったわ。私は宛てのない旅に出ていた。

 酸素を作り出すためのシロクシナダが一面に咲いた草原で、一頭のソートを見つけたの。オルタナのいない場所で無機動物が単体でいるのはおかしいから、感覚系が壊れて迷子になったのだとすぐにわかった。修理をして、人のいる場所まで連れて行こうとすると、今度は男の子が一人でいるのを見つけたの。乗ってきたソートが故障して、立ち往生しているオルタナの少年だった。

 彼は私の姿を見て、食べられると思ったのでしょうね。小さな肩を竦めたわ。こちらは防護マスクにローブ姿。どう見てもテラーズという格好だったから。せめて恐怖を和らげようとマスクを取ると、彼は少し安心したみたいだった。

 近くの牧場の子だった。はぐれたソートを探しに来た、とその子は答えた。

 遠くで雷雲が光っていた。雨はすぐそこまで近付いていた。

 雨の中をずぶ濡れになって、はぐれたソートを探す少年。そんな姿を思い浮かべたら、急に笑いがこみ上げてきた。可笑しい、とはちょっと違う。強いて言葉にするなら、岩の間に芽吹いた花を見つけた時のような感覚。

 ごめんなさい、と私は目尻に浮かんだ泪を拭いながら言った。余程この子が大事だったのね。

 靄のように漂っていた気持ちが、この時に固まった。

 私たちが失ってしまったものを、彼らは持っていた。

 自分たちが生き残ることばかりに執着していた私たち〈人間〉が失ってしまったものを、彼ら〈オルタナ〉は持っていた。

 これから先、〈人間〉を名乗るのは、彼らなのだ――。

 別れ際、私は男の子に或る物を渡した。

 それは謂わば、私が航宙船の中で持っていた権利の全て。十二等分された権限の内の一つ。一欠片でも欠けてはならない、大事なピース。

 そして、私が〈彼ら〉に対して切りうる、唯一にして最大の切り札でもある。

 けれど、そのカードを切るのはもう、私の役目じゃない。〈彼ら〉をどうするかは、この星の人類であるオルタナたちが決めること。私が譲ったのは、彼らが〈彼ら〉と対等に渡り合うための力なの」

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