7-3
「事の起こりは、西暦2039年――今からおよそ、五百年前のこと。
本当はもっと以前から、その兆候はあったけれど、大きな変化という意味で、この年に基準を置くことにするわ。
この時、私たち人間は地球という星に住んでいたの。あなたたちが〈空の向こう〉として認識している場所ね。地球と、その傍に浮かぶ月という小さな星が、人間たちの住処だった。
今、あなたがいるこの場所は、火星と呼ばれていた。当時は、限られた職業に就く人間だけが行き来できるような、手つかずの秘境だった。元々この星は、地球と環境が似ているとはいえ、空気から何から、地球と同じ物に作り替えなければ人が住めない土地だったの。その作り替えが、ようやく始まろうとしていた頃だったわ。
2039年、地球で大きな戦争が起こった。戦争、というのは、集団同士が争うことね。荒野で時々起こる縄張り争い。あれのもっと大規模なものと考えてもらえればいいわ。動機は殆ど変わらないから。
当時の人間は、たった一発で一つの街を焼き尽くす威力のある爆弾を持っていた。それを互いにちらつかせながら縄張り争いをしていたのだけど、爆弾はいつしか交渉の手段から相手に向けて放つべき武器に変わっていた。ある一人が、考え方の違う他者を殲滅するために使い始めてから、全員が、箍が外れたように同じことをし出した。
地球はかつて、青い海と大地の緑に覆われた星だったけれど、これがあっという間に赤と黒と灰色に染められた。人類が生まれるずっと前、それこそ、何百億年と保たれてきた地球の姿を、人間たちはたったの一週間で変えてしまったの。
私はその時、月の表面から、大火傷を負ったような地球を眺めていた。研究者として、月に建てられた施設で働いていたの。何人かの仲間と、赤黒く染まった球体を見上げていた。誰もが言葉を失ったわ。
そのうちに一人が、「我々も逃げよう」と言った。「直にここも戦場になる」と。
彼(男の研究者だったの)の言葉は正しかった。月にも地球上と同じ利害関係がそのまま存在したから、同様に暴力の応酬が始まった。何十年と時間を掛けて築いてきた街が破壊されるのに、そう時間は掛からなかった。
その時にはもう、九十億いた人間の数は、一億を割っていた。人間は着実に、滅びへの道を転がっていた。
ここで私自身の話をしておくと、私は、生態学の研究を行うチームに所属していたの。具体的には、どうすれば人間は長生き出来るか。もっと言葉を選ばずにいえば、いかにして永遠の命を手に入れられるか。
そんな研究を行う組織だから、どうにか人類を生き残らせる方向へと頭が働いたのね。私たちは少なくなった研究資材を掻き集め、航宙船(星を渡る乗り物をそう呼んでいたの)を手配して、殆ど着の身着のままで月から飛び立った。研究施設に働く者と、たまたまそこへ逃げ込んできていた僅かな人々を乗せて。私たちが把握している限り、1868人。もし、他に月を脱出した人々がいないとすれば、それが最終的に残った人間の数だった。
私たちに行く当てはなかった。地球も月も、とても戻れるような状況ではなかった。消去法的に火星という案が出たけれど、こちらとて、行ってすぐに人が住めるような環境にはなっていなかった。地球と同じ環境に作り替える作業(テラ・フォーム、と私たちは呼んでいた)の真っ最中だったの。全てが完了するまで、およそ七百年掛かる計算だった。地球の人々は、いつかそこが〈第二の故郷〉となることを夢見て、夢を見たまま、息を引き取ってしまったというわけね。
火星に舳先を向けながら、私たちは今後の方針について、何日も話し合った。1868人の全人類を救う手段は、そう多くは残されていなかった。むしろ、話し合いをすればするほど、殆ど絶望的であることだけがわかってきた。
まず、食糧の問題があった。月から火星までは、私たちの船で二十ヶ月掛かる計算だった。積み込んだ食糧をどう切り詰めても、途中で尽きるのは目に見えていたわ。かといって、口を減らすわけにもいかない。段々と事態が切迫してくる中で、苦し紛れに出たのが人々を眠らせるという方法だった。つまり、眠ってさえいれば空腹も感じず、食事をしなくて済むという考えね。
幸い、というべきかはわからないけれど、人々を長い間眠らせておく設備はあった。人が〈永遠の命〉を手に入れる手段の一つとして、氷漬けになる、というものがあったから。凍らせてしまえば、身体を流れる時間も止まるから、年を取らずに済む。次に目覚めた時、時間としては未来にいるけど、自分はずっと眠った当時のままでいられる。おまけにお腹も空かない。誰にとっても最良の選択だと思われたわ。
もちろん、全員が眠りに就くわけにはいかない。これはあくまで一時的な方法で、火星に着いてからの身の振り方はやはり考えておく必要があった。
船に乗り込んだ人々の種類のせいか、自ずと統制権は科学者に集まったわ。ここに軍人のような人種でもいたら、もう少し荒っぽいことになっていたのかもしれないけれど、船には知識人と、争いを好まない一般市民だけだったから、事は穏やかに進んでいた。月を出て数日もすると、十二人の研究員が、議会のようなものを構成するようになった。
その中に、私も名を連ねていた。優秀だからとか、そういう理由じゃない。ただ単に、研究員が十二人しかいなかったため。人類の存亡が掛かっているとあれば、誰もトップになんて立ちたがらなかったし、立たされたら立たされたでどうにか責任を分散させようと必死で頭を捻った。その結果が、この〈議会〉という仕組み。全員が平等に議決権を持っているといえば聞こえは良いけど、要は皆が互いに腰にロープを巻いて、荒波の中に飛び込んだのね。
必ず目覚めさせるからと固い約束を交わした後、一般市民たちは速やかに氷漬けされた。尤も、約束の握手をした手は、震えずにはいられなかった。
氷漬けも永遠のものではないと、私たちは知っていた。船に搭載された生命維持装置もまた、私たち生物と同じく寿命に縛られた存在だったから。その寿命は六百年。テラ・フォームが完了するまでには、どう見積もっても間に合わなかった」
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