6-4
目の前に、稲妻のような白い折れ線があった。
よく見れば線の中心付近には点が打たれている。綿花のような点だった。ぼんやり眺めていると、点は一つ二つと増えていった。その度に、点を中心として折れた線が八方へと伸びた。
何個目かの点が打たれた時、景色が砕けた。わたしの身体はもの凄い力で押し流された。
ずぶ濡れで床に横たわっていることを自覚してからようやく、水の中にいたのだと思い出した。咳き込みながらも息を整え、半身を起こして振り向けば、硝子の砕けた透明な筒が抜け殻のように立っていた。
「オリガ……馬鹿なことを」
包帯の肖像画が言った。溜息のような声が他の額縁からも上がった。
わたしは焦点の定まらない眼を走らせ、〈マザー〉を探した。先に目に留まったのは赤黒いマントの影だった。その持ち主は、何かを抱えていた。人だとわかると共に、垂れ下がった銀色の髪と、同じく垂れ下がった腕がマントと同じ色に染まっていることが視認できた。
辺りに広がる液体に足を取られながら、半ば這うようにして〈名なし〉の元へ向かった。彼は片手で抱えた〈マザー〉をゆっくりと、硝子細工を扱うように床に寝かせた。
〈マザー〉は息が荒かった。けれどわたしの姿を認めると、うっすらと笑みを浮かべた。
「怖い思いをさせてしまったわね」
血は彼女の右手首から溢れていた。わたしはそれを押さえ付けたけれど、指の隙間からどんどん湧き上がってきた。
「どうして……」
わたしの問いに、〈マザー〉は瞼で答えた。それから中空へ眼差しを向け、唇を僅かに開いた。
「こっちよ」
誰に向けられた言葉かわからずにいると、背中の方で爆発が起きた。
振り返ると煙が立ちこめ、その奥から見覚えのある、二足歩行のシルエットが現われた。ソートである。一頭分の影の向こうからは続々と、群れが浮かび上がってきた。どの馬上にも人の姿があった。ローブを纏い、顔には鏡の仮面。各々、銃火器を手にしていた。
「それが君の答えか、オリガ」
「愚かな選択だ」
「がっかりしたわ」
次々と降ってくる言葉に、〈マザー〉は口角を吊り上げた。
「お互い様ね」と、彼女は言った。
蒼白い光線が走った。先に引き金を引いたのはヒースだった。光線は別の方からも発せられた。何十、何百と、出所が別れていた。ただの壁だと思っていた暗がりの中には、眼を凝らすと、銃を構える人影が並んでいた。
テラーズの面々が応戦し、わたしたちの頭上を光線と鉛弾が飛び交った。けれど、テラーズ側の狙いが甘いのか、光線の数は一向に減らないようだった。
そうした中で、一頭のソートはわたしたちの方へ直進してきた。荒野と同じ色のローブを翻しながら降り立ったテラーズは、何も問うことなくマザーを抱き上げ、ソートの背中に戻った。わたしもまた、誰かに抱き寄せられた。火薬の臭い。汚れた赤。あまりに強い力で肩を押さえられたので、逃れようという気持ちは起こらなかった。
出口に向かって走った。
何人ものテラーズと擦れ違いながら。彼らは発砲し、中には光線を受けて落馬する者もあった。累々と倒れ伏す身体を飛び越えて、わたしは先に見える白い光を目指して足を動かした。
わたしたちの頭を飛び越えて、前方に何かが落ちた。いや、落ちたというにしては静かで、何らかの意思が感じられた。
それは折り曲げていた足を伸ばした。
彼の手にした光線銃の銃口は、こちらを向いていた。
「アニー、逃げても無駄だよ」彼は言った。「どうせ君ら作り物は処分される運命なんだ」
「あなただって人間ではないんでしょう?」わたしは声の震えを押さえながら言った。「同じ顔が何人も……そっちこそ、作り物じゃない」
「違うね。そもそもの設計思想が違う。君らは使い捨ての駒に過ぎない。だが、僕らは将来この星へ降りてくる〈彼ら〉が、ここで活動する肉体を得るための礎なんだよ。君らの身体は〈彼ら〉にとってゴミでしかないが、僕らの身体は〈彼ら〉自身の身体でもある。謂わば僕らは〈彼ら〉でもあるんだ」
「青い血が流れる人間なんて聞いたことないわ」
「新しい人間としての証だよ。赤い血の孕んだあらゆる欠陥を乗り越えた、人類の英知だ」
ヒースが引き金を引いた。〈名なし〉がわたしの前に立った。彼は動かない筈の左腕をもう片方の手で持ち上げ、ヒースの方へ向けた。
光が爆ぜ、霧のように消えた。
「――完全に潰しておくべきだったね」ヒースが嗤った。
続いて〈名なし〉は右手で拳銃を抜き、ヒースに向けた。
「お前に僕は殺せない」
〈名なし〉は銃を掲げたまま、硬直していた。よく見ると、その腕は震えていた。機械が異常を来しているのか、もしくは彼が内側で何かと闘っているようだった。
「〈禁忌〉を乗り越えることなど出来んよ。どれだけ計算を繰り返したところで、存在する数値をゼロにすることは不可能だ。限りなくゼロに近い値が残るだけ」
一発目が放たれた。けれどヒースは平然としていた。
「無駄だよ」
二発、三発、四発と立て続けに発せられた。弾丸は相手を掠めたようだった。それでもヒースが膝を折ることはなかった。むしろ彼は笑い出した。
「無駄無駄無駄」
五発目。左の頬に青い線が引かれた。それだけだった。
「残り一発」ヒースは同じ顔のまま言った。「もう一発、チャンスをあげよう。これで仕留められなかったらそのオルタナを撃つ」
光線銃は、わたしを捉えていた。
相手を突き殺すことも出来そうな先端を、わたしは見つめた。それぐらいしか抵抗する術がなかった。
〈名なし〉は、なかなか引き金を引かなかった。相手の頭か心臓を狙っているようだった。けれど、電子頭脳の奥底に眠る〈アジモフの禁忌〉がそれを許さないようで、銃身が留まることがなかった。
戦いの最中に在って、わたしたちだけは、細長い三角形を描いたまま時を停めていた。
わたしは相変わらず光線銃を見つめていた。けれど内心では、〈名なし〉の様子が気になって仕方がなかった。
「どうした?」ヒースが、わたしの胸を読んだようなことを言った。「何故撃たない?」
答えはなかった。彼が何かを問われ、答えたことなどなかった。
無言はしかし、受け取る者によっては答えになっていた。
ヒースの顔から笑みが消えた。彼は確かに動こうとした。が、体勢が僅かに傾いただけで、その場を離れることが出来なかった。〈名なし〉の手元で爆発が起こる方が早かったのだ。
発射された弾丸がどこを目指したのか、わたしには見えなかった。耳慣れない、甲高い音が二度鳴ったかと思うと、ヒースの両目が見開かれた。
鼻から、青い血が流れ出てきた。眼窩を抜け出そうとするような目玉が動いた。〈名なし〉を見たようだった。
「貴様――」
言い掛けた矢先、彼は吐血し、倒れ伏した。青い血溜まりが、わたしの爪先にまで達しようとしていた。
銃を収めた右手に、腕を掴まれた。
わたしは再び、〈名なし〉に抱えられながら駆け出した。
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